40、埋もれていた「越前堀」
~大桑の調査成果から(3)~
図は大桑城の麓〔現在の大桑市洞(いちぼら)・栢野(かやの)・六反(ろくたん)のあたり)〕の江戸時代の様子が描かれた絵図です。古城山の麓には、「四国堀」や「外堀」「越前堀」が、大桑城の落城後、江戸時代に至ってもまだ残っていた様子が描かれています。地元での聞き取りからも、昭和40年代まではよく残っていたようです。
「越前堀」と「外堀」は今も残っていますが、「越前堀」にあたる堀跡は調査を行なった平成8年の段階では、既にどこにあったのか、全くわからなくなっていました。
こうした条件の下、調査に大変役立ったのが、「地籍図」(ちせきず)と呼ばれる明治時代の地図でした。
現場周辺の「地籍図」を一見したところ、江戸時代の絵図で「越前堀」と示されているあたりに細長い土地の区画があったことがわかりました。
これが「越前堀」の痕跡ではないかと推定し、試掘をしたところ、予想が的中し、堀跡が姿を表したのです。
忘れ去られていた「大桑城」の遺構が一つ蘇ったのです。その時の感動は今も忘れることができません。
地籍図とは、地籍調査の成果として作成される地図であり、地籍調査後に法務局に送付されて法務局備付地図(公図)となるもので、土地の面積や距離等は記載されていません。
<次へ>