カナの問わず語り。 | 上から読んでも下から読んでもナカノカナ。~相模原・町田の女装娘カナの気まぐれ雑記~
自分史を綴りってみたくなりました。改めて人に語った事って無かったかも。

私の事を語る前に、まず前置きに両親の事を。

私の父は秋田の生まれ、中学の頃に横浜に引っ越して来ました。

母は地元上溝の生まれ、ずっと相模原で育ちました。

父は仕事で横浜から、相模原に電車で通ってたそうです。

両親の馴れ初めは近所にある三菱重工で。父が会社の就職試験の時に、事務をしていた母に出会ったそうです。

その後交際、結婚。夫婦となってから現在までずっと相模原に住んでいます。

私が生まれたのは1985年3月22日の午後8時の確か20分位だったかと。結婚してから2、3年後の事です。

予定日より2日遅れての出産でした。当時から依頼心がやたら強かったのでしょうか。

小さい頃は人見知りはしない子だったそうです。

幼稚園の頃から、徐々にその兆候が出て来ました。確かその頃に、両親や先生に相談した記憶があります。

「自分から遊ぼうって、話してごらん」と言われてその通りにしたら、「ダメ」と言われてしまいました。何でもその子たちは約束してたから、他には入れられないとの事でした。

今思えば、それがトラウマなのかな?、とも思います。

だけど私自身もワガママで、悪い事をしてもまず謝らずに逆ギレばっかりしてたと記憶してます。

この時期に初めて夢中になった音楽はなんとクラシックでした。それまでにいくつか歌謡曲などを聴いた事はありましたが、本格的にのめり込んだなはこれが初めてでした。有名な定番の曲ばかりでしたが、色々聴きかじってました。

恐らく某国営放送の番組に出演していた、童謡や唱歌で知られる、某姉妹が歌っていた、「トルコ行進曲」がきっかけでした。

曲を聴いて、意味も分からず楽しい曲だと思いそこから、しばらく入れ込みました。

確かこの頃、初めて女装?をした記憶があります。

5歳の頃だったかな、母方の実家で母の昔のスカートを穿いたのが初めてかと(しかも皆の前で見せたのです)。

何でしたんだろうね?。前々から母はちょっと穿かしてみたかったそうです。

と言うのも、手前味噌ですが私は当時よく女の子と間違えられていて、母は一度してみたかったそうです。

そんな事を聞いている内にその気になったんだと思います。

父はそれに関する話をすると、すぐに不機嫌になったそうです。それは割と最近までそうでした。

実際穿いたら、恥ずかしくてすぐに引っ込んで、脱いでしまいましたね。

小学校は当時住んでいた下九沢の作ノ口小学校に入学。この頃は両親の影響でか、70~80年代のニューミュージックを聴いていました。これもやはりしばらくよく聴いていました。

小学生になってからも前述の傾向は直らず、傍若無人な振る舞いをしてました。

一時期虐められてたのも、そういった行動を繰り返した事の積み重ねだったんだろうな。

その後3年生の1学期いっぱいまでその学校におり、別の小学校に引っ越します。

引っ越す前には、「居なくなって良かった」と言われる程でした。

またこの頃から、後に私を長く苦しめる精神疾患の症状が出始めました。

続く。