William Longespée(3rd Earl of Salisbury)& Ela FitzPartick(Countess of Salisbury)

4th cousins twice removed(Robert Ier de Normandie)

 

皆さんお久しぶりです、覚えていらっしゃるでしょうか??

サボりがちですいません、でも元気ですのでご安心くださいm(__)m

 

前回イングランド王ヘンリー2世の嫡子たちについてとりあげてまいりましたが、今回は庶子についてとりあげてまいります。

とはいっても、今回の3代ソールズベリー伯ウィリアム・ロンゲペー以外は、聖職者になったか夭折したか詳細不明かで、成人して子孫を残したと確認できたのはコレだけなんですよねw

 

さてさて、ヘンリー2世の庶子の代表格であるウィリアム・ロンゲペーの母はIda de Tosnyといいます。

2代グロスター伯妃アウィス・ド・ボーモンの姪(Idaの母マルグリットは、アウィスの姉)であり、ジョン王第一王妃イザベル・オブ・グロスターの母方のいとこにあたります。

ヘンリー2世との間に3人の息子をもうけ、3兄弟はロンゲペー(Longespée)の姓を与えられます。

3兄弟が生まれた後に、Idaは2代目ノーフォーク伯ロジャー・ビゴッドと結婚します。

 

そうそう、主役はウィリアム・ロンゲペーでしたね☆

ウィリアム・ロンゲペーは、ソールズベリー伯相続人であるエラ・フィッツパトリックと結婚し、11人の子供をもうけ、さらに3代ソールズベリー伯の称号もゲットします。

 

ここまで見てみると、ソールズベリー、ノーフォーク、とその後英国の上級貴族のにおいがプンプンしますね☆

この先百年戦争や薔薇戦争の時代になると、王族と貴族の超複雑な絡みがめっちゃごっちゃあるんですが――

うーむ、この辺も目が離せないです☆

 

pixiv → 

 

 

 

 

 

 

 

John Plantagenet & Isabel of Gloucester (1st Marriage)
Half-2nd Cousins (Henry I of England)
 
John Plantagenet & Isabelle d'Angoulême (2nd Marriage)
5th Cousins (Robert II Capet)
 
リチャード1世の後継者としてイングランド王位を継承したのは、リチャード1世の末弟ジョンです。
 
リチャード1世が、即位当時、成人していた弟のジョンをさしおいて、まだ2歳である甥・アルテュール(リチャード1世のすぐ下の弟・ブルターニュ公ジョフロワ2世の遺児。ジョフロワの死後に誕生)を王位継承者に仮決めした事で(それだけ、ジョンが王に不向きだという事を見抜いていたんですね)、ジョンが兄に不満を抱いていた事や、リチャード1世と仲違いした、フランス王フィリップ2世から
「ヘイYou、おにーちゃんは十字軍行きっぱなんだからさ、Youがイングランド王になっちゃいなYo!(某サイト風(?)の異訳w)」
とそそのかされた事、、、などなどから、ジョンは王位簒奪の野心満々になっていきます(怖)
まぁリチャード1世は即位して早々、第3回十字軍に出征してイングランドを不在にしていたという背景もありますが、、、10年即位してイングランドにいたのはたった6ヶ月でしたし☆
リチャード1世は、ナバラ王女ベレンガリアとの間に嫡子がなく(庶子はいましたが)、結局、いまわの際にジョンの王位継承権を認め、1199年に崩御し、ジョンが王に即位しました、、、が、、、
 
さてさてさーて(by七つの大罪w)、話はリチャード1世が即位した1189年に遡りまして、ジョンはグロスター伯家の相続人であるイザベル・オブ・グロスター(ヘンリー1世を共通の曽祖父にもつ、またいとこ同士でもある)と結婚し、この結婚によりジョンはグロスター伯領を引き継ぎます。
しかし10年後の1199年、ジョンが王位を継承した年に離婚し(即位したのが4月で、おそらくそれに前後して)、イザベルは王妃とは認められず、グロスター伯位をも召し上げられます。2人の間には子供はありませんでした。
ジョンと離婚後、イザベルは2度結婚しますが、それはまた別のお話で、、、
 
離婚から1年後の1200年、ジョン王はアングレーム伯家の相続人であるイザベル・ダングレームと再婚します。
イザベル・ダングレームはルイ6世の曾孫で、フィリップ2世のいとこ姪、ラテン皇帝ピエール2世の姪(イザベルの母アリス・ド・クルトネーはピエール2世の妹)と、、、かなり華麗なる一族ですねw
イザベルはリュジニャン家の、ラ・マルシュ伯ユーグ9世と婚約していて、いわゆる「略奪婚」という形であったため、ユーグ9世はフィリップ2世に訴え、ここからジョン王とフィリップ2世が敵対し、、、あとはWikipedia見てください(毎度ながら雑w)
 
Wikipedia見る限り、トンデモない失政を重ねまくり、フランスとの戦争に負けまくって、母アリエノールから受け継いだ広大な大陸領土も次々とフランスに取られ、悪いことづくし、、、というイメージが強いですが(その後イングランド王に「ジョン」という名が使われなくなったのは、このことを忌避して、といわれています)、2度目の妻であるイザベル・ダングレームとの間に2男3女をもうけ、イングランド王家の血統がつながり、、、
 
「イングランドの領地は失ったが、DNAは残った」
 
という点では良かった、と思いたいですね、、、
 
ちなみに、ジョン王の死後、イザベル・ダングレームは、元婚約者・ユーグ9世の息子であるユーグ10世・ド・リュジニャンと再婚します。
 
 
 
 
 
 
 

 
Joan Plantgenet & Guglielmo II di Sicilia (1st Marriage) 
6th cousins once removed (Hugues Capet)
 
Joan Plantagnet & Raymond VI de Toulouse (2nd Marriage)
4th cousins once removed (Robert II Capet)
 
皆様、あけましておめでとうございますm(__)m
ホントはお正月の時点でだいたい出来てたんですが、なかなかアップできなくて、すっかり遅くなって申し訳ありません☆
まぁ、自分昔同人やってた時、2月に入ってから「あけましておめでとうございます♪」って年賀状が来てた時ありましたケド、今はどうなんでしょうか、、、??w
当時はまだハガキが主流でしたが、今はメールの方が多いんでしょうねw

 

 
イングランド王ヘンリー2世の三女・ジョーンは、最初1176年にシチリア王グリエルモ2世と結婚します。
2人の間には1男が生まれましたが、夭折し、その後子供がないまま1189年にグリエルモ2世と死別します。
その先がまた超波乱万丈な人生で、、、Wikipedia見た方が早いですね☆
 
ジョーンは2度目の夫・トゥールーズ伯レーモン6世と再婚(レーモン6世にとっては3度目の結婚)し、2男1女をもうけますが、最後の出産で産褥死し、その時に生まれた男子も夭折します。
レーモン6世はジョーンの死後2度結婚しますが(全部で5回、、、いやいや、このくらいでビックリしてはいけない☆)、2度の結婚とも子供はできず、ジョーンとの間にもうけたレーモン(後のレーモン7世)が後継者となります。
、、、え、他の兄姉たちに比べて雑だって? Wikipedia見た方が早いですからw(汗)