John Plantagenet & Isabel of Gloucester (1st Marriage)
Half-2nd Cousins (Henry I of England)
 
John Plantagenet & Isabelle d'Angoulême (2nd Marriage)
5th Cousins (Robert II Capet)
 
リチャード1世の後継者としてイングランド王位を継承したのは、リチャード1世の末弟ジョンです。
 
リチャード1世が、即位当時、成人していた弟のジョンをさしおいて、まだ2歳である甥・アルテュール(リチャード1世のすぐ下の弟・ブルターニュ公ジョフロワ2世の遺児。ジョフロワの死後に誕生)を王位継承者に仮決めした事で(それだけ、ジョンが王に不向きだという事を見抜いていたんですね)、ジョンが兄に不満を抱いていた事や、リチャード1世と仲違いした、フランス王フィリップ2世から
「ヘイYou、おにーちゃんは十字軍行きっぱなんだからさ、Youがイングランド王になっちゃいなYo!(某サイト風(?)の異訳w)」
とそそのかされた事、、、などなどから、ジョンは王位簒奪の野心満々になっていきます(怖)
まぁリチャード1世は即位して早々、第3回十字軍に出征してイングランドを不在にしていたという背景もありますが、、、10年即位してイングランドにいたのはたった6ヶ月でしたし☆
リチャード1世は、ナバラ王女ベレンガリアとの間に嫡子がなく(庶子はいましたが)、結局、いまわの際にジョンの王位継承権を認め、1199年に崩御し、ジョンが王に即位しました、、、が、、、
 
さてさてさーて(by七つの大罪w)、話はリチャード1世が即位した1189年に遡りまして、ジョンはグロスター伯家の相続人であるイザベル・オブ・グロスター(ヘンリー1世を共通の曽祖父にもつ、またいとこ同士でもある)と結婚し、この結婚によりジョンはグロスター伯領を引き継ぎます。
しかし10年後の1199年、ジョンが王位を継承した年に離婚し(即位したのが4月で、おそらくそれに前後して)、イザベルは王妃とは認められず、グロスター伯位をも召し上げられます。2人の間には子供はありませんでした。
ジョンと離婚後、イザベルは2度結婚しますが、それはまた別のお話で、、、
 
離婚から1年後の1200年、ジョン王はアングレーム伯家の相続人であるイザベル・ダングレームと再婚します。
イザベル・ダングレームはルイ6世の曾孫で、フィリップ2世のいとこ姪、ラテン皇帝ピエール2世の姪(イザベルの母アリス・ド・クルトネーはピエール2世の妹)と、、、かなり華麗なる一族ですねw
イザベルはリュジニャン家の、ラ・マルシュ伯ユーグ9世と婚約していて、いわゆる「略奪婚」という形であったため、ユーグ9世はフィリップ2世に訴え、ここからジョン王とフィリップ2世が敵対し、、、あとはWikipedia見てください(毎度ながら雑w)
 
Wikipedia見る限り、トンデモない失政を重ねまくり、フランスとの戦争に負けまくって、母アリエノールから受け継いだ広大な大陸領土も次々とフランスに取られ、悪いことづくし、、、というイメージが強いですが(その後イングランド王に「ジョン」という名が使われなくなったのは、このことを忌避して、といわれています)、2度目の妻であるイザベル・ダングレームとの間に2男3女をもうけ、イングランド王家の血統がつながり、、、
 
「イングランドの領地は失ったが、DNAは残った」
 
という点では良かった、と思いたいですね、、、
 
ちなみに、ジョン王の死後、イザベル・ダングレームは、元婚約者・ユーグ9世の息子であるユーグ10世・ド・リュジニャンと再婚します。