Richard I & Berengaria de Navarra

 

Half 4th cousins (Robert Ier de Bourgogne, Ermengarde d'Anjou)

 

さて、リチャード1世のファンの皆様、お待たせしましたw

イングランド王リチャード1世と、王妃ベレンガリアの関係系図です。

リチャード1世はアキテーヌ公時代に、時のフランス王ルイ7世王女であり、兄ヘンリー若王の妻・マルグリットの同母妹であるアデル(アレーとも)と婚約していました。

しかしヘンリー2世は、末息子ジョン(後のジョン王)が生まれたあたりから、年齢的な要因(王妃アリエノールの方が9歳年上)や性格的な問題から、アリエノールを疎み、若い愛人に手を出したことから、アリエノールは激怒し、前夫ルイ7世の後押しもあり、息子たちを父ヘンリー2世に反逆するように仕向けたのです。

結局、ヘンリー2世が勝利し、アリエノールは息子たちの反乱をそそのかしたかどで幽閉されてしまい、その間にヘンリー2世はアデルに手をつけてしまった、そうです。(ヘンリー2世はアリエノールと離婚し、アデルと再婚するつもりだったとの説もあります)

 

やがてフランスではルイ7世が崩御し、第3王妃アデルとの間にできたフィリップ2世が即位します。

フィリップ2世は異母姉であるアデルと、リチャードとの結婚を急かしますが、ヘンリー2世が息子の結婚を拒否したため、リチャードとアデルの関係も疎遠になってしまいます。

1190年にヘンリー2世が崩御し、リチャード1世が即位しますが、リチャード1世は間もなく第3回十字軍に出征します。

その間に良好だった(どのくらい良好だったか、、、はそっちの専門家にお任せしますw)フィリップ2世との関係も修復不可能となり、1191年にアデルとは正式に破談となります。

 

リチャード1世が不在の間、摂政としてイングランドを守っていたアリエノールは、ナバラ王国のバックアップを狙い、ナバラ王サンチョ6世の娘・ベレンガリアをリチャード1世の新たな婚約者とします。

リチャード1世とベレンガリアは以前から面識があったため、この婚約はトントン拍子に進み、「聖地エルサレムで結婚式を挙げたい!」と駄々をこね、、、もとい熱望したリチャード1世は、紆余曲折(詳細はWikipedia見てくださいw)を経てキプロス島で結婚式を挙げました。

 

結局リチャード1世とベレンガリアに子供はできず、イングランド王位は末弟のジョンが継承します。

ちなみにベレンガリアの母サンチャは、ルイ7世第2王妃・コンスタンサの姉なので、ベレンガリアはマルグリット王女(義姉でもあります)&アデル王女(リチャード1世の元婚約者)とは母方のいとこ同士になります。

 

pixiv → https://www.pixiv.net/artworks/78484530