一般的に「犯罪とは、構成要件に該当し、違法かつ有責な行為である」と定義されます。体系論的に「構成要件」「違法性」「有責性」という三つの要素から犯罪を考察するのでよいと思う(行為については前回話した)のですが、ここではそもそもこのような体系論的思考が必要なのかという点でも争いがあり、それは次回に話したいと思います。
いずれにしても、この三つの要素の意義につき、前回は構成要件について話しました。それでは違法性とは何か、責任とは何かという風に進めたいのですが、これら二つの概念は構成要件に比し一般常識的用語であり、とっつきやすいところがあると思います。勿論、違法性の実質であるとか責任の本質というのは掘り下げればきりがないのですが、ここでは三者それぞれの関係性を考えることによって、一応イメージが湧くという話し方をしたいと考えています。
まず、これら三者はどういう関係にあるのか、それとも無関係にそれぞれが独立した犯罪成立要素であるのか。ここは構成要件とは違法類型であるとする考えと、違法類型であるとともに有責類型でもあるという考え方が一般的であります。以下構成要件と違法性との関係、構成要件と責任、違法性と責任の関係に入りたいと思うのですが、その話に入る前に、構成要件とは行為類型であるという考えがあり、まずこれを考察することによって、構成要件と違法性、責任との関係がについての理解が深まるような気がします。
【行為類型説とは何か】
構成要件とは違法類型であるとか違法有責類型だとする考えがあるのは話した通りですが、ここに一つ行為類型だという考え方もあるんですよね。
構成要件を単なる行為の類型とする説です。構成要件の罪刑法定主義機能を重視し、構成要件を価値没却的記述的なものであるとする考えであり、構成要件を違法性、責任とは別個独立した概念と捉えるわけで、したがって構成要件は違法推定機能も責任推定機能も有さないということになります。まず、犯罪行為を構成要件に該当するかどうか判断し、それから後に違法性を有するか更に有責性を有するかと判断していくわけです。しかし、この考え方を採ることは現代社会においては困難な気がします。たとえば、構成要件ないし条文に「人を傷害した」という規定があるとします。刑法以前の無数の行為の中から、この「人を傷害した」という行為を没価値的記述的に類型化したとすると、外科医がメスで患者の身体を切り刻む行為も「人を傷害した」行為となりかねない。ここは先取りになるかもしれないが違法ないし責任という価値的な視点を入れるべきですね。構成要件理論の先駆者であるベーリングにより提唱されたものです。現在ではあまり採用されない考え方だと思いますが、違法性や責任との関係を理解するためには避けては通れない歴史的意義を有する考え方だとは思います。
【構成要件と違法性の関係】
通説的見解は構成要件とは通常違法とされる行為を類型化したものであると考えます。確かに、構成要件というのが形式的な犯罪の枠組みだとすれば、違法性とか責任というのは個別的実質的であり、価値的なものだと思いますね。構成要件という形式的な枠組みをもって犯罪を判断し、その後で違法性の判断に入るべきであり、構成要件の段階で違法性を先取りして考えるのは、まさに構成要件の自由保障機能に反するのではないかともいえそうですね。しかし、構成要件の本質的意味をおもえば、行為の「違法性」の有無及び程度を考慮せずに価値中立的に構成要件該当性を判断することはできないように思えますね。
構成要件該当性の判断を行為の違法性、つまり規範違反性及び法益侵害の有無・程度を考慮せず、ひたすらに「価値中立的」に行うことはできないと思います。実際、構成要件の範囲を認識するにあたっては、刑罰法規の文言だけをそのまま考慮して行うのではなく、法益侵害や規範の本質から目的論的に解釈して文言を拡張したり、逆に縮小したりする必要もあるわけです。そして、規範的構成要件要素というものも考慮に入れれば、構成要件を違法性と切り離して考えることはできないはずです。特別な違法性阻却事由がないかぎり違法性が肯定される程度の法益侵害性及び規範違反性が構成要件該当性から認められる必要があるということです。
ここで私が思ったのは、上記のように構成要件を違法な行為を類型化した違法類型であるとしたならば、構成要件該当性の判断と違法性の判断とは質的相違がなくなってしまうのではないか、同じようなものであり、構成要件該当性の判断は違法性の判断の一部分になってしまうのではないかということです。実際、構成要件と違法性の質的相違を否定して、構成要件を違法性の構成部分に過ぎないとする考えもあるようです。これを消極的構成要件の理論というようですが、この考えを突き詰め、犯罪論体系を行為、不法(構成要件+違法性)、責任とする学説もあるようですね。
しかし、私は構成要件というものの独自の存在意義を考えるべきだと思います。というのは、構成要件該当性を判断するということは、刑罰法規の予定する違法行為、つまり法益侵害、規範違反に該当する行為の類型にあてはまるかどうかという判断であり、当該行為に際しての具体的諸事情はひとまず脇に置いた、ある種表面的な判断だと考えられるからです。それに対して、違法性の判断というのは構成要件に該当した行為を、それぞれの行為事情すべてを考慮して非類型的、実質的に判断するなわけなのです。要するに構成要件に該当する行為というのは違法性を推定するという機能を有するということです。そして、違法性の段階では、正当防衛等違法性阻却事由を吟味するのは勿論ですが、それだけに尽きるものでもないということです。
【構成要件と責任】
私が学生時代に学んだ基本書は、構成要件を違法類型であるとともに責任類型でもあるとした考え方でした。構成要件を違法類型であるというのはイメージ的にもつかめたのですが、責任類型でもあるという点についてはよく理解できなかったものです。今でもよく分かりません。そもそも責任の重要要素である責任能力を形式的な枠組みを真骨頂とする構成要件要素とすることは難しいような気がするのです。構成要件ときわめて主観的な責任を密接不可分なものとしてとらえるのは、犯罪論体系としての三分立が意味をなさないような気がするのです。確かに、刑罰法規の中には責任非難ができないことを理由に構成要件の範囲が限定されていると判断できるものもありますね。例えば、「証憑隠滅罪」は「他人の刑事事件に関する証拠」とあり、犯人自身が自ら同じことをしても罰せられないわけです。しかし、この一事をもって構成要件は責任類型でもあると言い切れるのでしょうか。
ただ、故意の犯罪論体系における地位については、どうしても構成要件と責任の関係を避けて通るわけにはいきませんね。次回以降に話してみたいと思います。
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