母親の事故と、生きる力
母の生きる力事故当日9時間の緊急手術・ショック状態が長いこと・ばい菌が膝やお腹に入っていること・首の状態から、意識障害も起こり得ること最悪を拭えないまま実家へ戻ったのは午前4時を過ぎてからでした。緊急ということもふくめ長い時間関わっていただくこととなる医療に関わる方々に対しても申し訳なさと対応していただけることへの感謝の気持ちにあふれる日となりました。二日目の夕方10分間の面会が許される。顔の腫れは昨日より落ちついたように見える。母の意識はまだない午前中の検査で意識障害につながる脳梗塞の心配はなくなったと聞きました。3日目私は行けず前日と比べてさらに顔の腫れは落ち着き父親が声をかけると右目を開けたと報告を聞く4日目私は実家の会社のサポートに入り始めるお昼に1人で面会に行き恐る恐る耳元で〝母ちゃん〟〝元気か〟声にならない空気だけの言葉をかけた。(声かけの内容は許してください)(日常の照れくさい交じりの声かけをしちゃいました)ダメ元の声かけだったのだけど本当に右目をうっすら開くまたまた声にならない声で〝 頑張れ〟〝また来るね〟そう言うと目は合わないけど小さくうなずいていた。嬉しくて看護師さんに伝えると父親と私の接する母の話と医師や看護師が観る母は一致しないと言っていた。頭をうっているからという話から、反応はあまり見られないようだった。5日目日常に戻るための手術が始まる。首や足の固定のため9時間を超える手術が行われた。途中から待っていた私は夕方手術後に母に会えました。人工呼吸器の外れた母、声かけに戸惑っていたら看護師さんから〝起こさないといけないので、しっかり声をかけてください〟と言われる。父親が張りのある声で話しかけると右目をしっかりとあけた。寝返りを打ちたいようなそぶりや、右手を持ち上げたりと自分が動けることを確かめているように見えた。父に〝痛いか〟と言われた母は〝う~ん〟と絞り出すような乾いた返事をしていた。6日目父のみ面会へ行くさらしを変えるために看護師と話していたら〝さらし〟と母が話したと言っていた。7日目救急病棟から一般病棟へうつるここから、面会のルールが厳しくなり母とは会えていません。事故当初の状態から1日、1日少しずつ感覚を取り戻して行く様子に嬉さもあり、驚きも感じています高齢になる母 、これから厳しいことをいくつも受け入れていかないといけません。私自身も、車の運転をやめる時というのをハッキリと考えられるようにしないといけないなと親を見て改めて感じました。運転中に気絶していたかもしれない母。幸い他の人を巻き込むことなく、単独の事故となったことが奇跡。何事もなく今までがあったけれど、まさか身内でこんなことが起こるなんてと私の人生に切り離せない出来事となりました。