今回は、11年ぶりに總持寺に参拝です。
三松関
三門
梅壽庵
向唐門
三松閣
香積台
おさすり大黒
布袋尊
金鶏門
百間廊下
紫雲臺
大祖堂
總持寺由緒
総持寺は、神奈川県横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山で、正式名称を「諸嶽山 總持寺」といいます。「諸嶽山」とは、山号つまり寺院の別称を表しています。
総持寺の前身は、かつて石川県輪島市にあった真言律宗の教院「諸嶽観音堂」と言われています。
1321年(元亨元年)、霊験あらたかな諸嶽観音堂の住職である定賢権律師は、あるとき夢で瑩山禅師という禅師を迎え入れるように観音様から言われました。そのとき瑩山禅師も同様に、諸嶽観音堂に行くよう夢でお告げがあり、そこで瑩山禅師が諸嶽観音堂に入院したことが総持寺のはじまりとされています。
同年、諸嶽観音堂が現在の「諸嶽山 總持寺」という名前に改名され、その翌年には後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、大本山となり、曹洞宗を公称するようになりました。
しかし1898年(明治31年)、火事によってお寺の大部分が焼けてしまったため、1911年(明治44年)に現在の神奈川県横浜市鶴見区に移転されました。
石川県輪島市の旧地は、もう一度建て直されて「総持寺祖院」と改称され、大本山總持寺の別院となりました。
総持寺は曹洞宗の大本山ですが、福井県吉田郡永平寺町にある「永平寺」も曹洞宗の大本山とされています。これは、永平寺を作った道元禅師が仏教の教えを中国から日本に伝え、総持寺の瑩山禅師がそれを全国に広めて、曹洞宗の礎を築いたからと言われています。そのため曹洞宗は、総持寺と永平寺の両院を大本山としています。
御朱印