今回は、後北条三代目の氏康の墓参りです。
北条氏康とは
関東の戦国大名、後北条氏第3代。氏綱の子。1541年(天文10)家督を継ぎ、翌年から相模、武蔵の広い範囲で代替り検地を行った。52年上杉憲政を越後に追い、自分の甥の足利義氏を古河公方にたて、前公方晴氏父子を幽閉した。さらに河越、松山周辺に検地をし、滝山、鉢形の支城に子の氏照、氏邦を入れた。そのほか、税制改革、軍役を定めた「小田原衆所領役帳」を作成するなど、領国経営の安定を図った。59年(永禄2)には氏政に家督を譲ってこれを後見し、武田・今川氏との同盟をバックに上杉輝虎の進攻を退け、勢力を拡大した。晩年、駿河に進出した武田信玄を討つため、上杉氏との同盟締結に全力を傾け69年締結したが、死にあたっては、これを破棄して、ふたたび武田氏と結ぶよう遺言したといわれる。