神奈川県足柄下郡箱根町湯本 早雲寺 北条氏綱墓所 | 神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

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後北条氏 二代目の北条氏綱の墓参りです。

 

北条氏綱とは

関東の戦国大名、後北条氏第2代。早雲の子。家督相続は虎の印判状が使用され始めた1518年(永正15)とみられる。父の遺業を継ぎ、武蔵方面へ領国の拡大を図った。24年(大永4)に上杉朝興を江戸城に攻略。そのころ伊勢から北条に改姓し、上杉氏にかわって関東を支配しようとする意を内外に示した。32年(天文1)には焼失した鶴岡八幡宮の再建に着手し、8年後に大工事を完成させて、その力量を関東諸将や畿内に誇示した。この間、甲斐、駿河、下総に兵を進め、37年朝興の子朝定の武蔵河越城を攻略した。さらにその翌年には、小弓御所足利義明と安房の里見義堯の連合軍を下総国府台に破って、下総西部にまで勢力を拡大した。41年、義を専らに守るべきこと、父早雲のように倹約を守るべきことなど、基本的な心構えを記した5か条の置文を氏康に残して死去した。