前回の五智国分寺より徒歩3分で目的地の居多神社の参道に到着です。
鳥居を潜り階段を降りると越後一之宮の一つ居多神社があります。
そして、今度は階段を上り鳥居を潜ると!
又しても親鸞聖人像が・・・前回の像と顔が全く違います・・・・・・
では、居多神社の由緒です。
近くに越後国国府があったことから国司の尊崇を受け、越後国一宮とされた(ただし彌彦神社とする説もある)。『延喜式神名帳』では「居多」を「けた」と読ませており、北陸地方に分布する「気多神社」と同じ系統の神社とされる。
承元元年(1207年)、越後国府に流された親鸞は当社の近くの海岸に上陸し、まず当社に参拝したという。戦国時代、上杉謙信死後の上杉家の家督をめぐる争い(御館の乱)に巻き込まれ、当社は景虎方についたため、対する景勝方によって社殿が焼かれ、社家の花ヶ前家は国外の各地を転々とした。慶長3年(1598年)、景勝が会津に移ったため、花ヶ前家は越後に帰った。この混乱により社勢は衰微したが、その後の歴代領主より崇敬を受け、社領の寄進を受けて再興した。
明治6年に県社に列格した。それまでは日本海に面した所に社殿があったが、海岸侵食により境内が崩壊したため、明治12年(1879年)、現在地に仮社殿を造営して遷座した。
平成19年(2007年)、本社殿を造営。平成20年(2008年)6月落慶。
では、居多神社の御朱印です
次回は、上杉謙信公の所縁の地を巡ります。
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