新潟県上越市中門前  林泉寺 | 神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

神社仏閣を参拝しております。
休みを利用し、地方にも遠征をしております。

最近は、歴史上の人物の墓や著名人の墓参りが主に成りつつあります。
基本的に、神社仏閣巡りの方•墓巡りの方のみ承認します。
スピリチュアル系は、拒否しますのでご承知下さい。

居多神社より徒歩45分・・・・・

 

途中でタクシーでもと思ったのですが、タクシーはまったくもって通りません・・・・・

 

 

到着したのは、上杉謙信 所縁の寺院の林泉寺です。

 

 

総門です。

 




そして、立派な山門です!

山門には、龍が画かれています!




本堂です。



上杉謙信公のお墓を見学に!!!



こちらが、謙信公のお墓です。



そして、川中島の戦死者供養塔です。




榊原 政岑公墓です。




林泉寺の由緒

 

明応6年(1497年)、越後守護代・長尾能景が亡父の17回忌供養のため曇英恵応を開山に拝招して創建した。能景とその子・為景の保護を受けて守護代長尾氏の菩提所として発展した。 天文5年(1536年)に為景が死ぬと為景の末子・虎千代(のちの上杉謙信)が7歳で林泉寺に預けられ、14歳で呼び戻され元服して景虎と称するまで林泉寺の六世住職・天室光育から学問を学んだ。景虎がのちに上杉氏を継承し上杉輝虎を称すると林泉寺は上杉氏の菩提寺となる。輝虎は七世住職益翁宗謙のもとで参禅し、元亀元年(1570年)に剃髪したとき師の諱から一字を取って不識庵謙信と号した。

 

天正6年(1578年)に急死した謙信の遺骸を収めた棺は、謙信の号のもととなった春日山城内の不識院に埋葬されたが謙信の養子・景勝が慶長3年(1598年)に会津へ、慶長6年(1601年)に米沢へと移封されたのにともなって米沢へと移された。通説では林泉寺もこれにしたがって移転したとされている。開山以来の袈裟と持鉢は上越市の林泉寺に残されており法統上の正統を伝えている。

 

ご朱印は、お坊さんたちが外出中の為との事でいただけませんでした・・・・・

 

 

 

次回は、春日山を登ります!