シカモア通り 108番地 | ウィザードルーグ

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キャデラックに乗って火星の舞踏場へ

ジム・モリソンと言えば、ドアーズ…そしてジムの支えは詩の女神、パメラ・カーソン。

ただジムの死後はあまり彼女についての情報は少ない。ジムのガールフレンドとして存在したヘロイン中毒のヒッピーガール。ジムにちゃんとパフォーマンスをさせる為に、ステージに上がる前に彼が持ってるドラッグや、酒を全て自分が一気に摂取しちゃうようなこともしていたそう。


実のところ彼女はジムを超える、

とてもユニークでぶっ飛んだ度胸を持つ女性だったのだ。


ハリウッドにウンザリしたジムは、パリならセレブとして常に人の目に晒されることなく生きていけるだろうと、パメラと1971年に引っ越した。だかジム・モリソンという人は、静かに詩人として生きていくことなど到底無理な人間だった。

パリに行っても、おかしな連中はいつも付き纏い、彼に酒やドラッグを進めた。

しかもパメラは、変わることなくヘロインを常用していた為、彼女のディーラーは常に彼らのアパートに出入りしていた。


パリでのジムとパメラ 1971年


当時ジムのお気に入りの少年、年中つるんでいた、ダニー・シュガーマンは、彼の著書”知覚の扉の彼方へ” の中で、ジムの最後はバスタブで心不全で亡くなったと書いている。パメラが発見し、解剖も行われず、ドアーズのメンバーが到着した時には既に埋葬されていた。または、自作自演の死の噂も書いている。


80年代当時は、ネットもなく、本などでしか情報が得られなかった。私もこの本は唯一のジムについてのバイオグラフィーだった。


しかし、近年にサム・バネットという、パリでも当時有名だったRock and Roll Circus というクラブのマネージャーがとんでもないニュースをぶちまけた。

ある晩、ジムとパメラ、また彼女のヘロインディーラーが飲みに来ていたが、そこでジムがトイレでヘロインを吸い、オーバードーズを起こしたという。ジムは針を非常に怖がっていた為…トイレで発見した時は、既に息絶え、口から泡を吹いていたので、鼻から吸収したことがすぐ分かったという。


警察を恐れたパメラとディーラーは、彼を担ぎ、クラブの裏口からこっそりとアパートに戻し、バスタブに寝かせてから、パメラはまずマネージャーに電話したという話…パメラにとって警察を呼ぶことは、彼女の薬物所持による逮捕に繋がるからだ。


その後、パメラはロスアンゼルスに戻り、相変わらずの荒れた生活を続けていた。24歳のパメラは、常に、もうすぐジムのところに行くのとダニー・シュガーマンに言っていたという。


当時、ハリウッドのワンダーランドアベニューに住んでいた住人、ダニー・シュガーマンも含めて、ジムの死後、彼は70年代を通し、引き続きドラッグを続け、廃人のような生活を続けていた伝記を書いている。その中にパメラとまた出会い、友達になり、亡くなるまで会っていたと綴っている。


ジムの死後、ロスに戻ったパメラ


ジムは全ての財産をパメラに譲ると遺書に書いたが、彼らは実際に夫婦ではなく、コロラド州で内縁の妻となり、ジムの死後、彼女にその遺産が入るまで3年かかった為、相変わらずその日暮らしをしていた。


パメラはハリウッドのシカモア通りにある家で、ランディ・ラルストンともう1人の男性3人で家賃をシェアしていた。


友人ラルストンと一緒に 1973年


自分の部屋もなく、ソファーで寝ていたパメラ


いま存在する中では彼女の最後の写真


下、この写真の数日後にソファーで亡くなっている所を発見される…

皮肉な事に、ジムの遺産は彼女が亡くなった1974年の4月にパメラの家族が相続する。


彼女もジムと同じく27歳だった


108番地 シカモア通りの家


不思議だが、周りの風景や、近隣の家はリフォームされて新しくなっているが、この家だけが何故か当時のままの状態でひっそり残っている。



近年、ジムが埋葬されているパリ、ペール・ラシェーズの墓に、ファンが常に押しかけ、荒らされている為、パメラの家族が、彼女の埋葬地にジムの墓を移す予定でいるという。50年の月日を経て、やっと2人は同じ土地で安らかに眠ることができるのでしょうか?




安らかに、ジムとパメラ・スーザン・モリソン…