今年のノーベルウィークでは、どんな協(狂)奏曲が奏でられるのか? | 朱雀ひのでのブログ

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ノーベルウィーク、始まる

 

2019年のノーベル各賞の発表が、いよいよ始まります。

(日本時間だと、今日(7日)の夕方以降、7日に医学生理学賞、8日に物理学賞、9日に化学賞、10日に文学賞(2年分)、11日に平和賞、14日に経済学賞が発表予定)

それについての予想が、報じられているようです。

(リンク切れの際は、注目記事869参照)

 

文学賞は、昨年のノーベル文学賞選考委員の不祥事で発表見送りになり、昨年分と合わせて2年分の受賞者が発表されることになっており、話題になっていますね。

毎年候補に挙がりながら、その都度受賞を逃がしてきた村上春樹氏が受賞することになるのか、どうか?

(個人的には村上文学は好きではありませんが)

 

日本が注目すべきなのは、医学生理学賞や物理学賞、そして化学賞で受賞者が出るかどうかでしょうね。

欧米ほど、研究環境に恵まれないといわれる日本人の中で、どこまで世界に認められるかが、焦点ですね。

 

せめて受賞者が出ることで、政府や企業、大学が、研究環境を少しでも良くする機運に、つながって欲しいと、願っています。

 

 

秋の風物詩(?)となった、某国の協(狂)奏曲の行方は?

 

毎年、某国では受賞者が出ることを期待して、一喜一憂し、受賞者が出ないで落胆するというのが、秋の風物詩(?)になっています。

まあ、某国から受賞者が出ようと出まいと、本来日本は関係ないのですが、一々その論評に、日本と(出た場合に)受賞者に対する、的外れな論評を出してくるのが鬱陶しいですね。

 

受賞者が出ればと願って一喜一憂するのは分からなくないですが、それはあくまで受賞者のもので、国籍は指標の一つに過ぎないと思います。

まず研究者たちなどの環境をよくすることが、先でしょう。

そうでない限り、この後何十年経っても、受賞者が出ることは、望み薄でしょう。

 

 

現実的でない環境保護を訴える少女が、ノーベル平和賞候補者筆頭?

 

さて話を平和賞に移します。

 

先日の国連総会で極端な論調で環境保護を訴えた、グレタ・トゥンベリさんが、(受賞予想)下馬評筆頭だそうです。

 

ブックメーカーの予想ですから、外れる可能性も多い(実際、過去によく外している)のですが、本当に受賞したら、平和賞の選考委員は、節穴だと断じて良いと思います。

 

単に環境破壊を食い止め、温暖化を防ぐように訴える程度なら、一つの意見としては、ありでしょう。

しかしこの少女の訴えは、常軌を逸しています。

 

なぜならその意見を全面的に取り入れた場合、人類は電気のない、石油や石炭などの化石燃料を一切使わず、無論、原子力を一切否定する社会を築くことを、余儀なくされます。

 

それを実行したら、人類の文明レベルを、1000年ほど強制的に後退させることになります。

そんなことが、現実的に可能かどうかを考えれば、実現不可能な愚論だとしか、言いようがありません。

どこの国が、それを受け入れるというのか?

 

少女出身のスウェーデンだって、発電所をすべて捨て、鉄道や船、飛行機をすべて捨て、電気、ガスや水道その他のインフラをすべて捨てるような生活に踏み切るのは、絶対に不可能でしょう。

 

少女が国連に来るときに、それらを一切使用せずやってきたとは思えませんし、ニューヨークで電気や水道等を一切使わないホテルに宿泊したわけでもないでしょう。

 

人類に現代文明すべてを捨てさせる道筋を一切示さず、理想どころか空想、いや、妄想レベルの意見など、現実に即した環境保護活動には、何の役にも立ちません。

むしろ地に足の着いた解決策を提示するための妨げになり、有害な主張だとしか言えません。

少なくともそれが可能な方法があるというのなら、その道筋を示すべきでしょう。

世界の過半の国々が、受け入れ可能な方策を。

 

 

もしトゥンベリさんが受賞するなら、彼女は魔法使いか?

 

私には、この少女の主張が現実的な方法論に基づいた意見であるとは思えませんが、皆さんには私の見出すことが出来ない解決策が見える方は、いらっしゃるのでしょうか?

実際彼女にも、それが見えているのか、はなはだ疑問です。

 

もっとも少女の母親は、彼女は大気中のCO2を見ることが出来ると証言していますから、私たちが計り知れない魔法使いなのかもしれませんが。

そうならば、各国首脳を糾弾する前に、首脳らの目の前で環境改善の魔法を見せつければ、あるいは考えを変えさせられた、絶好のチャンスだったと思いますが?

 

いずれにしても、もしこの少女がノーベル平和賞を受賞することになれば、少なくとも平和賞選考委員には魔法をかけることに成功したといえるでしょう。

もっともそれは、メダパニやコンフュといった類の魔法でしょうが。

そしてますます、平和賞のありがたみが、薄れていくでしょうね。

近年、平和賞受賞者が、むしろ平和を乱す結果が生じていることへの反省を全くしていないことが、より明らかになるでしょう。

 

※メダパニやコンフュ:RPGゲームの、ドラゴンクエストシリーズやファイナルファンタジーシリーズで出てくる、精神錯乱魔法のこと

 

さて1週間後には、どういう結果になっていることやら。

これ以上、受賞に値しない人を受賞させることで、世界の心ある人たちに、落胆を与える結果が出ないことを、祈るばかりです。

 

 

本当に平和賞を与えるべきは、トゥンベリさんではなく…

 

もし平和賞を今与えるとしたら、まだ香港の『民主の女神』に与えた方が、トゥンベリさんよりも百万倍もふさわしいと思いますね。

権力にひるまず、『平和を脅かす』シナ政府に立ち向かっているのですから。

 

香港が仮に独立したら、シナ政府は東シナ海、南シナ海への野望を大いに減じられ、太平洋進出も、滞ることでしょう。

彼らの活動が、将来の戦争への危険を減じるかもしれないのです。

 

その応援の意味で、香港デモの関係者に平和賞受賞を決断できたなら、意味のある賞になるでしょう。