ほとんどすべてが『表現の不自由展』再開反対で占められた、アンケート結果
ZAKZAKのツイッターで、愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」で、いったん中止になった企画展「不自由展・その後」が6日にも再公開されることを受けて、緊急アンケートを実施したそうです。
その結果がZAKZAKで報道されていますが、それは以下の通りのようです。
(リンク切れの際は、注目記事868参照)
【あいちトリエンナーレ緊急アンケート(最終結果)】
《質問1》昭和天皇の写真を焼き、足で踏みつけるような映像作品の公開への税金投入をどう思いますか。(投票、約66590票)
賛成3% 反対94% どちらでもない3%
《質問2》憲法21条の「表現の自由」をめぐり、「内容は問わない」という愛知県の大村秀章知事と、「限度はある」という名古屋市の河村たかし市長が対立している。あなたが賛同するのは?(同、約38640票)
大村知事4% 河村市長93% どちらとも言えない3%
※アンケートはzakzak公式サイトのツイッターで、1日午後2時から3日午前6時まで行われた
それぞれの質問に対する回答で寄せられた意見は、次の通り。
《質問1》への意見
《天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴。税金投入など許されない》
《公共の福祉に反しているか否かを考えるべき》
《反対だが、個人が身銭を切ってやるのは止めない》
《賛成だ。公開して全国民の前に全てさらし、税金がこう使われていると自覚させる絶好の機会だ》
《質問2》への意見
《河村市長に賛同》
《愛知県知事は被害者ぶっている》
《判断はお金を払い、見た人がするものだ》
《憲法的には大村知事の言うことが正しい》
統計的に考えれば、愛知県で同様の調査をしても、真逆な結果が出るとは、まず考えられない
これはあくまでZAKZAK独自のアンケートではあります。
しかし賛成がわずか3%、そして反対が94%だったというのですから、統計的に考えて、日本のどこかを選んで同様の調査をしても、(作為的なサンプル群を選ばない限り)誤差が10%を超えるとは、考えにくいですね。
つまりZAKZAKによるツイッター調査でなく、愛知県限定で同様の調査をしても、真逆な結果は出ないであろうことが、容易に想像できます。
第一、愛知県民の特徴は、名古屋という大都市を抱えながら、堅実な思考を持つ人が多いです。
無借金経営にこだわる企業が割と多いのも、その傾向からでしょうね。
そういう人たちの集団が、日本の価値観を叩き潰すような『芸術』を広く受け入れるというのは、到底考えられません。
名古屋市の河村市長に対しては、好き嫌いがあるでしょうが、少なくともこの件に関する限り、河村市長は名古屋市民、愛知県民の声を、良く代弁していると見られているでしょう。
賢明な考えを持つ愛知県民が、自分と異なる意見を聞こうとしない知事を広範に支持するとは、考えにくい
河村市長は、愛知県の大村知事に対して送付した、『あいちトリエンナーレ2019にかかる愛知県知事への公開質問状』と題する文書を、名古屋市のHP上で公開(PDF)しています。
その内容を読む限り、真っ向から愛知県知事側が論破するのは、難しいと思います。
最も何を根拠に言っているのかは不明ですが、大村知事はそれを『論破する』と発言したとか。
ただそれを、愛知県民がどれだけ信じて受け止めるかですね。
難しいと思いますが。
先日の記事でも触れた通り、『苦情』を『威力業務妨害』と見なしてネット上にさらし、一定時間を越えると一方的に電話を切るシステムを取り入れるなど、県民たちの声を、真摯に聞こうとはしていないのですから。
そんな人を信頼するほど、愛知県民はおろかな存在だとは思えません。
トヨタ自動車をはじめ、愛知県の企業を見ても、あるいは愛知県出身の様々な方々の発言を見ても、進取の気風を持ちつつ、賢明な考えを持った方々が多い土地柄なのですから。
それが大村知事4%に対して、河村市長93%という(ZAKZAKの)アンケート結果が、よく示しているでしょう。
(くどいようですが、統計的に考えて、愛知県で同様の調査を行っても、真逆な結果が出る可能性は、ほぼないと思います)
『表現の不自由展』再開をさせた方が、大村知事やそれを支持する人たちが、未来を失くす
このアンケート結果を見て、大村知事や『表現の不自由展』再開を望む人たちは、どう考えるのでしょうね?
ZAKZAKのアンケート調査だから、ゆがんだ結果で無視してよいというのでしょうか?
もちろんネット上の公募意見で、誰でも回答できる環境である以上、調査が歪められた可能性は(ZAKZAK自体の作為か、大村知事反対派が結託して反対意見を大量に入れたかで)あり得ます。
しかし、アンケートの母集団が66590票(恐らく有効投票総数を指すものと思われます)もあれば、その操作は困難だと思います。
ただこの結果を一笑に付し、あくまで『表現の不自由展』再開を進めるというのならば、やらせてみたら、いいのではないでしょうか?
まず間違いなく、『表現の不自由展』再開を断念するよりは、大村知事の異常さと、それを支持する人たちの偏執さが、広くあらわになることでしょう。
そしてその方が、愛知県民はもちろんのこと、日本国民の多くが、それらの人たちへの反感を強くすることでしょう。
『表現の不自由展』再開にこだわるあまり、彼ら自身の未来を失くす。
それが彼らの(政治)生命を断ち切ることに、なるのではないでしょうか?
明日から再開するという『表現の不自由展』再開後の展開が、不謹慎ではありますが、楽しみになってきました。