スッタニパータ 学生ジャトゥカンニンの質問1098の解説 | suttanipatacomのブログ

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suttanipata.com管理者がスッタニパータ(ブッダのことば)をわかりやすく現代風に解説

1096 ジャトゥカンニンさんがたずねた、「わたくしは、勇士であって、欲望をもとめない人がいると聞いて、激流を乗り超(こ)えた人(ブッダ)に〈欲のないこと〉をおたずねしようとして、ここに来ました。安らぎの境地を説いてください。生まれつき眼(まなこ)のある方(かた)よ。先生!それを、あるがままに、わたくしに説いてください。

 

 

 

1097 師(ブッダ)は諸々の欲望を制してふるまわれます。譬えば、光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克(か)つようなものです。智慧ゆたかな方(かた)よ。智慧の少いわたくしに理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、ーこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」

 

 

 

1098 師(ブッダ)は答えた、「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪(むさぼ)りを制せよ。ー出離(しゅつり)を安穏(あんのん)であると見て。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたたちにとって存在してはならない。

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ジャトゥカンニンよ。諸々の人間的思考の運動(快⇔不快)による欲望に対する貪(むさぼ)りに基づく運動を制せよ。ーこの運動から出離(しゅつり)を安穏(あんのん)であると見て。この世は無常であり、取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたたちにとって存在してはならない。

 

 

 

人は、輪廻のあるいはカルマの渦に巻き込まれて生活をしているが、聖者は、その渦に違和感を覚え、そこから離れ出る。人間的思考の運動(快⇔不快)を制する修行を進めると、俗世間的な営みに違和感を覚えそこから自然と離れるのである。そしてそこに安らぎを感じる。それを知って修行者は、日々、自らの人間的思考の運動に常に気をつけそれを制して遂には安穏を観たのである。