895 これらの偏見を固執して、「これのみが真理である」と宣説する人々、ーかれらはすべて他人からの非難を招く、また、それについて(一部の人々から)称讃を博するだけである。
これらの人間的思考の運動(優⇔劣)による偏見を固執して、「これのみが真理である」と宣説する人々、ーかれらはすべて他人からの非難を招く、また、それについて一部の同じような見方をする人々から称讃を博するだけである。このように運動にもとづいた見方に執着をすると、ある時は称賛され、ある時は非難されるという運動を招くのである。それを知って聖者はその運動による反応の仕方によく気をつけ、その運動から出たところに智慧を視たのである。
一部の人々は何故に、これのみが真理であると言うのであろうか?あるいは人間的思考の運動によって「これだ」と掴んだものに執着をするのであろうか?かれらは、その掴んだものに執着をし、手放そうとしない。故に苦を生じるのである。真理とは、思考の運動によって見た一部が真理なのではない。思考を止めた状態で見る全てが真理なのである。それを知って聖者は、自らが見たこと、知りえたこと、学んだことに固執することなく全てを手放し、心が運動することなく真理に気づき遂には彼の岸へと到達したのである。