828 これらの論争が諸々の修行者の間に起ると、これらの人々には得意と失意とがある。ひとはこれを見て論争をやめるべきである。称賛を得ること以外には他に、なんの役にも立たないからである。
828の解説
人間的思考が立ち上がりこれらの論争が諸々の修行者の間に起ると、これらの人々には得意と失意とがある。ひとはこれの運動を見て論争をやめるべきである。称賛を得たところで修行が進むわけではないからである。
人は、修行の過程において眼に見えるものを欲する。すなわち人から称賛されることで、自分は修行が進んでいると言う証が欲しいと思うのである。これも戒禁取(かいごんしゅ)なのである。その煩悩が立ち上がり他の者に戦いを挑む。人は知らねばならぬ、論争に赴いた時点で敗北していることを。修行とは、人間的思考(得意⇔失意)に気をつけ自らを制し寂静にすることであって、得意を貪り求めるものではない。聖者には、その運動の状態をあからさまに見る智慧が存在する。その智慧によって自らの状態を知る聖者はもはや貪り求める証を必要としないのである。
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