「DENSHOやってる?交換しようよ。」翼はスマートフォンを取り出すと二次元バーコードを端末に表示させ、
ほれほれと画面を左右に揺らしながら結菜に向けた。
「DENSHO?やってるよ!読み込むね。」結菜は丁寧語交じりから砕けた喋り方に代わっていた。
翼と結菜は同じ1回生で年齢も同じであることを互いに知ったからある。
どうやら、結菜は関東の出身らしい。結菜の兄が関西の大学に進学し、
翼の生まれ育った本宮市に住んでいて結菜も本宮市に住むことを決めたというのだ。
あっけらかんと話す結菜を見ていると、兄妹の仲は良好に思える。
そこそこに仲がいい兄弟であっても、一人暮らしをしているのであれば近くに住むことは稀であろう。
どちらかが一人であることを好むのであって、近くに兄妹が住んでいたとなればお互いに独り立ちをしたという気にはならないはずなのだ。
翼というと親元を離れたことといえば小学校の林間学校くらいなものであり、
それも集団生活であるからして、完全な独り暮らしをしたことがなかった。
通学に時間を割いているとはいえ、通学定期券もあり独り暮らしの家賃光熱費を思えば
まだまだ実家暮らしのモラトリアムを享受し続けても問題はないのである。
掃除炊事洗濯はからっきしで、親にまかせっきりで日々の生活を満喫してきていたのであった。
一方で結菜と言えば、一通りの家事はこなせるようである。兄の世話もしているのであろう。
ピロリ、と結菜のスマートフォンは翼と友達登録ができたことを知らせた。
結菜のスマートフォンの画面には黄色いひよこのゲームキャラクターとアカウント名"つばさF"が表示されていた。
結菜が個人トークルームを開き「よろしくね。」と『つばさF』にメッセージを送ると
ふふと笑い、よ・ろ・し・くとつぶやきながら翼は返した。
「また何かあったらよろしくね。もしかしたら時々お店に遊びに行くかもしれませんし、その時はよろしくお願いします。」
「じゃあじゃあ、クーポン券横流ししておきます!今は持ってないけど、また今度。
あ、別に怒られないやつだから気にしないでね、これは駅前でいつも配ってるやつだから。
……ああそうだ、漫画はよく読むの?」
「漫画はあまり読まないんだけれども、昨日はわたしの知らないことに触れてね。漫画で知識を取り入れたくて。」
昨晩、結菜が読んでいた漫画を考えると知らないこととは麻雀だったのだろうが、
何が起きたら宗教勧誘された日に麻雀に興味を持つようになるのだろうか。
選んでいた漫画について詳しく聞かれるのは恥ずかしいかな、と翼は考えてそこについてはあまり触れようとしなかった。
「それにね、フローズンやソフトクリームが食べ放題って書いてあって……。つい。」
食べ物につられたようで、少し照れた様子の結菜だったが、翼は自分の所属している店が褒められた気がして悪くなかった。
「でしょう?最近は少なくないけど、うちはドリンクとフード充実してるんだ!その分スタッフは大変だけどね!」
Cafestaでは深夜時間帯などスタッフが少なく忙しい場合には出前や菓子類の販売にとどめているがフード系も扱っている。
店長の山Pは、うちの店はインターネットができて漫画も読めるがあくまでも喫茶店なんだ、
ドリンク・フードはレトルトや冷凍であっても欠かしてはいけないよといつも言っている。オーナーの受け売りだろうけれども。
「そうなんだ。お仕事ってやっぱり大変だよね。私の高校アルバイト禁止でさ、仕事をしたことがないの。
学費は両親が出してくれるのと、仕送りがもらえるのだけど、生活費はアルバイトって約束しているの。
早く働かないと来月の支払いがすぐきちゃう!」
実をいうと翼の高校もアルバイト禁止の校則が存在していた。翼は気にしていなかったし、
両親からも『社会経験は必要だね、社会経験は積んでおくと良いよ。』と言われていたし、あの真面目な優子に至っては
『校則?そんなもの守る必要ないわ。生徒の自由を守らない不当な校則よ。ばれたって所詮は使いもしない内申点に響くくらいだわ。
私は推薦なんていらないもの。』と吐いて捨てたくらいであった。
「もうアルバイト先の目星はついてるの?」翼は自分の経験をもとにアドバイスをしようと、
軽い気持ちで聞いたが意外な言葉が返ってきた。
「ええ、雀荘『clover』っていうところ。麻雀が打てるお店ね。」
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大阪梅里行きの通勤特急が本宮北口駅へと滑り込む。
1限の授業を取ろうとすると、寿司詰めのサラリーマンと学生たちの車内にさらに押し込まれるようにして乗車しなくてはならなく、
大変息苦しい体験をすることになる。通称、世間で広く知られている通勤、通学ラッシュというものである。
翼はスマートフォンを取り出すと、聞いている音楽の音量を少し絞るようにし、詰められた寿司どもの仲間入りを果たした。
圧迫された車内、身動きができなくなるその瞬間、翼の目の前にあの女の子が視界に飛び込んできた。
あ……。あの学生証の……。確か……宝塚 結菜さん。
小柄だが、意思が強いようなきりっとした目と眉。一つくくりでコンサバティブな服装をした彼女はとても
麻雀が好きそうには見えない。とはいっても、翼のイメージとして、麻雀を好きそうな人たちは軽音サークルにいる人たちと
あとは……特別だろうが、雀荘に入っていたゆるふわなメイドさんしか脳裏に浮かんでこない。父親が持っている漫画に出てくるキャラクターにしても、現実で知っている人たちはどれも癖が強い人ばかりだった。
人と人に挟まれたわずかなスペースで、偶然、二人の視線がまっすぐ合ってしまう位置に来てしまった。
麻雀好きなんですか。うーん、いきなりすぎて怖いな。昨日はどうもありがとうございました。これも怖い。
翼は結菜に話しかけてみようかと思ったが、満員電車はほぼ面識のない相手に話しかけるシチュエーションとしては向いていないと悟った。
大体、相手の名前を認知しているのは翼だけであろう。自分が知らない手段で相手が自分の名前を知っている状況は恐怖感も付きまとう。
翼は声をかけることをためらった。
同じ学部の一回生であれば、水曜日1時限目の科目は第二言語のはずだ。中国語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、韓国語から選べるのだが、同じなのだろうか。
翼はドイツ語を選んだ。響きがカッコ良い。といっても知っているのは、イーベリーベディッヒとグーテンモルゲンくらいなものである。
あと、クマの女王が目印のケーキ屋さん「アインディアディーム」。兵庫県民としては知らないはずがないドイツ語である。
結菜もドイツ語を選んでいるのだろうか。
いや、ドイツ語を選んでいたとして、翼と結菜には何の接点もないのだ。学部が同じなだけであり、学科が異なるので話しかける意味もほぼないし、
友達を作る……と言ってもあとから自分が接客したインターネットカフェ店員と後からばれるのも、それはそれで気まずいものではないのだろうか……。
うん、今無理やり話かける状況ではないことが確かなので、ドイツ語の教室で隣になるとかするまでは話しかけないほうがよいだろうと翼は思った。
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翼は仕方がなく目線を上にずらし、電車の吊り広告をみつめていた。
みんなお金は必要なんだよな、そりゃぁやりたいことは山ほどあるからお金はあるに越したことはないよね。
学費は前期後期と数十万円かかる。年間で100万円は超える。両親に感謝しながら勉強しなくてはならない。
勉強やアルバイトでも時間は使うが、サークル活動などで楽しみながら自分の糧になることをやりたい。
どれも全力で楽しみたい。体力はある、まだまだ若いんだから。
楽器を調べたが、エレキギターやベースは入門者用は1万円くらいのものがある。1万円くらいならば、学食のポテトフライやソフトクリームを我慢で
どうにかなるだろう。問題はランニングコスト。ただ、個人で音楽をするとなると気にならないがやはりスタジオやライブハウスを借りたり、楽器のメンテナンスや
交際費がかかってくる。やはりバンド組むならメンバーと仲良くしたいし、遊びに行きたい。
うむむ……と考えるたび、翼の眉間のしわが一つ一つ深く刻まれていくのであった。
「気分が悪いのですか……?」正面から女の子の声が聞こえた。聞き覚えのある、昨日聞いたばかりの……声。宝塚 結菜だった。
「え!?私変な顔してた!?」人がぎっしり詰まっている電車の中、素っ頓狂な声を上げて翼は体をびくつかせてしまった。周りの視線が痛い。
「あ……いえ、難しそうな表情をしていらしたので、具合が悪いのかと。すみませんね、出しゃばりました。」結菜は申し訳なさそうに言う。
「あー!ありがと、変な顔してたかもだけど、変なのは生まれつきで、あー……あと変な声出してごめんね!宝塚さん!」
「どうして私の名を……?」
……やってしまった。
翼は他のことを考えながら文字を打ったり、喋った場合、よくそれが言葉となって出力してしまうことがある。
チャットや、メールならまだ消去が可能、口から飛び出した言葉は消せないのでたちが悪い。
学校の教師に向かって、お母さんと呼んでしまっても、クラスメイトはすぐ忘れてくれる。
相手にとって初対面だとインパクトとして残ってしまう。まあいいや、理由は素直に話そう。
もうすぐ乗り換えの駅にとまるからそこで降りて話をしよう。
乗り換え先の線の始発駅なので次の電車は比較的すいていた。バタン、バタンと対面式の座席を進行方向に乗客たちが倒していく。
翼と結菜はドアの一番手前の席に座った。結菜は窓側、翼は通路側になった。結菜は少し真剣な表情をして翼のほうを向いた。
「で、なんで大学が同じってわかってるんですか?通学経路も同じってわかってるようでしたし……。あ……まさか”昨日”の……?」
「あー……わかっちゃった……?」翼は自分から話したかったが、相手がわかってしまって咎められた気分になり、決まりの悪いような顔をする。
翼の言葉を受けて結菜の鋭い目がキッとさらに鋭くなったように感じた。
「私は興味がない、入らないって伝えたはずです!」結菜は強く訴えかけてきた。昨日は会員証作って楽しそうに漫画持って行ってたじゃないの。
「あれ!?でも入会したよね!?」私そんなに無理強いしてたかなと接客態度を振り返る。
「そういう手口なんですか……とりあえず名簿から消してください!」よくわからない強気で迫ってくる結菜にタジタジとなった。
「えっとまって、待ってください、お店に来ていただいたら本人確認の下、登録抹消できますので……。」
翼の返しに結菜の表情が曇っていく。
「え……お店って何ですか……。あ……違う……私ったら……。ええと……新興宗教の勧誘ではなかったのですね……?」
どうやら、"昨日"結菜は新興宗教の勧誘にあい、入会するかしないかの話になっていたようである。
そのあと、夜にインターネットカフェに来て入会をしたことを思い出したのであろう。
「新興宗教……?私は、実はインターネットカフェの店員なの。昨日、あなたが来てくださったCafestaの。カウンターで接客させていただいたのは私。
あなたの名前を知ったのもそれから。学生証を見て同じ大学の同じ学部の子だって思ったら記憶から抜けなくて。ごめんなさい、先に言おうと思っていたの。」
「ああこちらこそごめんなさい。昨日、とある女性に助けられてね、私もだれか困っている人がいたら助けたいなとおもってしまっていたの。声をかけたのは私なのにいろいろごめんなさいね。」
「よくわからない顔をしている私が悪いんだよ……あはは。」
どちらもごめんなさいをくりかえした後、新入生の宗教勧誘には気を付けたほうがいいことや、お互いにまだサークル活動を決めかねている話、出身高校の話などの話をした。
結局のところ、なぜインターネットカフェに来たのか、なぜ麻雀漫画を読み漁っていたのかは触れずに。