次の旅は南予と高知県西部かな | この美しき瑞穂の国

次の旅は南予と高知県西部かな

2024年GW前半に青森県の旅をしたが、次の旅は2024年4月17日に揺れの強い地震があった南予(愛媛県南部)と高知県西部にしようと思う。



南予の宇和島藩(愛媛県宇和島市)は伊達政宗の長男・秀宗より代々伊達家が藩主を務めており、なぜか仙台と繋がる。仙台といえば2024年4月12日、13日に宮城県の旅をしたこともあり、関連性から南予に訪れておきたい。


宇和島と仙台は繋がっている


それと高知県西部のことを調べたら、古代において土佐国は元々西部の波多(はた)国と東部の都佐(とさ)国に分かれており長く別の国だったそうで一つになったのは江戸時代のことだそうだ。



波多国の初代国造(くにのみやつこ)は第10代崇神(すじん)天皇の御世に任じられた天韓襲命(あまのからそのみこと)で、渡来人が帰化した人物と考えられている。


波多といえば古代氏族秦氏に繋がるだろうか?秦氏といえば2023年7月の土佐の旅で秦氏ゆかりの地を色々巡ったが、ひとえに【波多】と言っても皇別氏族、地祇系氏族、渡来系氏族といろいろあるようで、もしかしたら秦氏に絡んでくるかもしれない。


2023年土佐の旅(まとめ)


そして波多の流れはどうも大分県中津市から来てるようなのでこちらにもいずれ行こう。



高知県西部はかつて幡多(はた)郡と呼ばれ、高知県東部の土佐弁とは違う幡多弁という方言があるそうだ。去年泊まった室戸岬の旅館の方が高知県は西部と東部ではまるで違うと仰られていたが、元々は違う国だったことを知って深く納得した。



そして高知県西部の宿毛市にある高知坐(たかちにます)神社は幡多地方最古の神社で第10代崇神天皇の御世の波多国造・天韓襲命の頃から鎮座しているといわれているから波多国は古代においては重要な地であったようだ。



また宿毛市には一宮(いっく)鹽竈(しおがま)神社なる神社がある。この神社は林有造なる人物が宮城県より勧請した鹽竈神社に一宮神社を合祭したものである。


明治時代に高知市の土佐国一宮・土佐神社に一宮神社を合祭する令があった際に古来より当地に鎮座する神様を遠隔地に合祭することに納得出来なかった地元の人が宿毛城に祀ることを願い出て許可され、その後大正時代に鹽竈神社に合祭されたという。



鹽竈神社といえば宮城県にある東北鎮護・陸奥国一宮であるから、これまた宮城県と繋がってくる。



そのようなわけでこれまでの旅の流れと四国西部がいろいろと繋がるので次は南予と高知県西部の旅をしよう。