宇和島と仙台は繋がっている | この美しき瑞穂の国

宇和島と仙台は繋がっている

2024年4月17日愛媛県と高知県でМ6.6最大震度6弱の大きな地震があった事から、揺れの強かった地域にこの先行く可能性を想定していろいろ調べてみた。



そして震度5強の揺れを観測した愛媛県宇和島市の和霊(われい)神社の由緒を調べて解ったことがある。



和霊神社の御祭神は山家清兵衛公頼(やんべせいべえきんより)公。



山家公頼公は仙台藩初代藩主伊達政宗の家臣であったが、政宗の長男・秀宗が宇和島に移封されるのに従って宇和島藩家老として仕えて藩政を支えた人物である。



宇和島藩はそれまでの領主による悪政により疲弊していたが、公頼は悪政を改めて租税軽減や産業振興などを行ない、藩政を改善させたという。しかし公頼の活躍に嫉妬する他の藩士による讒言を信じた藩主・伊達秀宗が家臣に命じて公頼一族を御成敗として皆殺しにしてしまったという。



その後、公頼殺害に関与した者たちが落雷・海難など次々に変死するという異変が起き、公頼の無実が証明されたことなどもあり秀宗が公頼を祀る山頼和霊(やまよりわれい)神社を創建したという。



仕事が出来る人が妬まれて讒言により追い落とされる、または討たれるというのは菅原道真公にも似ている。菅原道真公は宇多天皇に重用されて学者の家系であることから本来は昇ることが出来ない冠位に昇ったことが妬まれ、藤原時平の讒言により右大臣から降格され太宰府の太宰権帥(だざいごんのそち)として左遷され、太宰府で失意のうちに亡くなった。


そして菅公は死後怨霊になったとされ、藤原時平はじめ藤原一族が次々に病死し、源光(みなもとのひかる)が狩りの最中に沼に落ちて溺死、また台風・洪水・疫病などの災厄が続き、内裏の紫宸殿に落雷した際には公卿を含む数名が死亡したという。そして紫宸殿の落雷を目撃した醍醐天皇は体調を崩されてその3ヶ月後に崩御したという。


こうした災厄が続いたことから菅公は死後に右大臣に復され、北野天満宮に祀られることになったのである。


正しい人を迫害すれば、迫害した者たちには報いがあるということか・・・まさか仙台と宇和島が繋がるとは思わなかった。



そのようなわけで今後こちらの方へ行く事を想定しておこう。