現存12天守『丸岡城』 お仙泣かすな馬肥やせ?            | 道祖神の招きにあひて

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八ヶ岳山麓の山小舎(ヒュッテ)をベースにした、百名山登山、スキー、自転車・鉄道・巡礼の旅、秘湯、自然観察、DIYなどの趣味のブログです。

現存12天守を巡る旅も、先月の『自転車遍路🚴』中に讃岐『丸亀城』を攻略し、残るは『丸岡城』(福井県坂井市)と『備中松山城』(岡山県高梁市)の2城に。

今回の富山~能登行きの帰路にて丸岡城の攻略が必定😅です。

ということで越前『丸岡城』へ

1576年、柴田勝家の甥『柴田勝豊』の築城。
2層3階建ての『望楼型天守🏯』
『板張り』の建物が質実剛健。さらに『野面積み』の石垣が武骨で格好いいじゃないですか❗ なんか柴田勝家を連想する😅よね。

柱や梁には『手斧(ちょうな)』の跡が随所に・・・
急角度⤴️の階段 60度以上ありそうかな😅
羽織袴姿の藩士も☝️を上ったんだよなー

天守最上階から見た丸岡の街
☝️『石瓦葺き』の屋根は全国の天守でここだけなんだね!
屋根に使用されている石瓦の枚数、なんと6,000枚、その重さ120t。って、すごいな❗


3階には天井が無く、堅牢な梁が丸見え。


正面の鬼瓦は『阿形』⬆️⬇️

裏面の鬼瓦は『吽形』⬆️⬇️

古くて小さな天守だけど、建築の見所満載のお城です❗

・・・閑話休題・・・

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」
有名だけど、一体誰が誰に宛てた手紙なの?

徳川家康の忠臣で『鬼作左(おにさくざ)』の異名をとった本田作左衛門重次が陣中から妻へ宛てたこの手紙。
家を守り、家族を愛し、忠義を尽くす思いが短い文に簡潔に込められていますね。

文中の『お仙』は鬼作左の息子で、その後(1612~)、初代丸岡藩主に就任した『本田成重(幼名仙千代)』のことだったんですね。

そんな縁から、丸岡城のすぐそばに『一筆啓上 日本一短い手紙の館』があります。


2018年の一筆啓上賞大賞5篇の中から・・・

「『校長先生』へ
 校長しつでいつもなにをして
 いますか。きゅうしょく一人で
 たべてさみしくないですか。」

「思い出 『家庭科の先生』へ
 提出した宿題の運針えお見て、
 溜息をつくのは、やめて下さい。
 母も不器用なんです。」


「『校長先生』へ
 僕の事、知ってますか?
 僕は全体の中の一人です。
 いつか見つけてみて下さい。」

笑いとペーソス溢れる作品がいっぱい❗

手紙やコメントは短いのが一番。
心に刺さります。

『現存12天守』、残るは『備中松山城』。来春までには訪ねてみたい。


おしまい

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