以前、生命主義宗教の定義について触れました。仏教、儒教、道教、キリスト教等、日本にはこれまで外来の宗教が入ってきていて、このうち特に表面的には、仏教は日本人に受け入れられたように見えます。
しかしながら、仏法者を自任する最近の宗教教団の、仏教の受容形態を良く見てみると、仏教用語は使用しているものの、内実は、「生命主義宗教」的な色彩が強いといえます。どうしてこのようなことが起きたのでしょうか?
仏教の受容時代において、「彼ら(当時の日本人)の大多数が大乗仏教のあの大建築のごとき哲学を理解し得なかった」(推古時代における仏教受容の仕方について・和辻哲郎)がゆえに、「哲理でもなく修業でもなくして、むしろ釈迦崇拝、薬師崇拝、観音崇拝」になってしまったということ。また、さらに時代が下れば、教祖崇拝、カリスマ崇拝になっていった。
そして教義の実体的内実は、日本人の民族としての基底信仰に回帰していったのではないか。であるがゆえに、無意識的に「生命主義宗教」的世界に帰着したのではないかと考えます。
日本人の基底信仰、それは「アニミズム」「自然崇拝」「先祖祭祀」「呪術」の要素を持った多神教でしょう。
特に「アニミズム」=森羅万象一切に聖なるものが宿っているという考え方は、生命主義宗教的です。ラテン語のアニマは(anima)は、気息・霊魂・生命といった意味であり、これはバラモン教のアートマンと良く似た概念といえるでしょう。
宇宙は生命であり、また森羅万象全てに生命が宿る。そして生命の基本的属性は聖性を帯びており、宇宙のリズムと合一することによって毀損した生命力を回復することができる。こうした生命主義宗教の考え方は、アニミズムの素朴な力強さを秘めていると考えられます。