前回、法称の論理学では、論理的に推論が成り立つ関係は、「因果関係」と「同一関係」の二つであると記述しました。
法称は、先師である陳那の主張に忠実である、師匠の言うことに従っている、と言っているようですが、実態はかなり異なる(変化している、進化している?)ように感じられます。仏教世界の師弟のこのような関係は、他にも少なからず見られるようです。
陳那と法称で扱いの異なることの一つは「喩」の扱い方です。前回も書きましたが、陳那は主張の根拠として「同喩」だけでなく「異喩」も使用していますが、「異喩」は「同喩」の対偶なので、論理学的に言えば不要です。法称は「異喩」を使っていないようです。また、「同喩」にしても、法称は軽く扱っているように感じられます。
「喩」、すなわち「たとえ」「事例」「エピソード」と言い換えることができると思いますが、個人的には「命題」の根拠に「喩」を使用することには、危うさを感じます。
「命題」の根拠として「事例」を紹介すると、「命題」の説得力が増すと同時に、聞き手の関心も高まることがよくあります。特に、」日本人に「事例」(エピソード)が好きな人が多い、と指摘する人がいます。
例えば、ある主張について日本人の担当者に「その主張の根拠としてエビデンス(証拠)を示してくれ」と指示したところ、その担当者は、1,2のエピソード(事例)を持ってきたので、困ってしまった、という話を聞いたことがあります。この場合のエビデンスというのは、偶然発生したかもしれない1,2のエピソードではなく、対象の統計的なデータ・事実・傾向などが該当すると考えられます。
以前「エクセレント・カンパニー」という本が、ベストセラーになったことがあります。エクセレント(素晴らしい、成長している、儲かっている)会社のマネジメントはどのようなことをやっているか、例えば「エクセレントカンパニーではMBWA=現場を歩き回る経営を実施している」(事例、エピソード)などを紹介した本でした。いわば「エクセレントになりたければ、こういう会社がやっていることをまねしろよ」というような本でしたが、そこで紹介されていた会社のいくつかは、その後の業績不振でなくなってしまったり、他社に吸収されたり、つぶれはしないがとてもエクセレントとは呼べない状況に陥っていたりしています。
こうした類は、エピソード(事例)であり、エビデンスとはならないと思います。経営学が社会科学であるとするならば、因果関係を立証するにたるエビデンスが必要だろうと思います。
話が、法称から外れてしまいました!!
参考文献:「インド人の論理学」(桂紹隆著)、「東洋の合理思想」(末木剛博著)、「講座仏教思想第二巻 認識論 論理学」(服部正明他著)、「講座大乗仏教9 認識論と論理学」(桂紹隆他著)、「インド仏教の歴史」(竹村牧男著)、「ニヤーヤとヴァイシェーシカの思想」(中村元著)、「 哲学・思想事典」(岩波書店)他
