いま世の中では、

すべて思い通りになる

ことが善で

不快なものは遠ざける

 

という傾向があります。

 

確かに、ネガティブなものに

捉われてばかりいる

というのは違うと思いますが

 

どのような状態でも

心持ちは同じ

いつも幸せでいる

 

という人の心には、

恐怖がないように思います。

 

ポジティブとかネガティブ

という言葉で分けると

ネガティブは悪いものになります。

 

けれども

「思い通りの人生」が

必ずしも

 

自らにとっての

本物の幸せの道

だとは限らないのです。

 

私が敬愛するインドの聖者は、

 

『喜びがあれば、

それと同じだけ

人生には悲しみがある。

 

この喜怒哀楽の世界を抜け出し

永遠の平安を手に入れなさい』

 

と説かれています。

 

喜怒哀楽は

マインドが作り出したものであり

これらは、すべて一時的に起こる

幻想なのだと教えています。

 

太陽の熱が雲を起こすように

光りがあるから闇がある

 

それは束の間の

虚しいものである、と。

 

この言葉をはじめて聞いた時は、

ちょっとショックでした。

 

理解したくない。

 

そして


消えてなくなる

「雲」でもそれが欲しい

と思っていました。

 

つまり

消えてなくなって

掴んだかと思えばまた消える

そんな雲のような実態のないものを

追いかけ続ける人生でいい。

 

と当時は本当に思っていたのです。

 

それでも

起こることは起こるのが

人生ですから

 

どのように

この「雲」を捉えていようとも

 

「喜び」と「悲しみ」は

交互にやってきて

いつでも「悲しみ」に怯える

パターンに縛られ続けました。

 

けれども

その幻の追いかけっこ

ヘトヘトになり続けて

わかってきたのは、

 

悲しみも大切な経験

 

ということでした。

 

悲しみがあるから

喜びの価値がわかり

悲しみがあるから人は謙虚になり

悲しみがあるから理解が深まり

悲しみがあるから感謝できる人になります。

 

さらに

 

『喜びを歓迎するように

悲しみを歓迎しなさい。』

 

と聖者は説かれました。

 

「そんなこと絶対にイヤ」

と思いましたが・・・

 

確かに

私たちが抱える「悩み」とは、

 

いかに「悲しみ」を遠ざけるか

ということに

人生のすべての時間を使い

「悩み」続けるということです。

 

そして

 

悲しみを遠ざけるほど

悲しむことが怖くなるのでした。

 

ただ

見方が変われば、

悲しみは恵みを与える

 

ということに氣がつきます。

 

悲しみは心を鎮め

悲しみは心を強め

悲しみは心を繋ぎ深めます

 

これが理解できるようになると

忍耐強くなりますし

 

悲しみが怖くなくなり

有難いとさえ感じる

 

ようになるのです。

 

そして

 

これが喜怒哀楽の

ヴェールを超えたところにある

本物の幸せの道へと導き

 

その時

私たちの心は

恐れを知らず平安です。

 

ですから

目指すものは、

 

「思い通りの人生」ではなく

どのような状況でも

いつも幸せな心を育むこと

 

これが本当の意味で

恐れに支配されない

自由な心なのだと感じます。

 

質問:

あなたはどのような時に

「思い通りの人生」を生きたい

と感じますか?

 

意識してみてね♡

 

Love Aska❤︎Aina