私たちが日々、
心を豊かさ(Abundance)で溢れさせ、
自分自身が「私の最愛の居場所」であるために、
とても大切なことがあります。

 

それは、外側の世界に振り回されず、
凛とした「境界線」を引き、自分の美学を生きること。

 

だけど私たちは日常の中で、
ついつい他人の言葉に心をザワつかせたり、
自分の小さな声を後回しにしたりしてしまいがちですよね。

 

特に「家庭」という狭い場では
関係が密であるがゆえに
家族と境界線が引きにくくなります。

 

今日は、我が家の小さな日常の一コマから。

子どものピュアな願いと、

夫へのちょっとしたモヤモヤ(ここだけの愚痴です。笑)を通して、

私がハッとさせられた「自分自身との繋がり方」についてお話しさせてください。

 

子どもの“声”って、
心の声のように時に優しくて

インパクトがないから、

ついつい気に留めずに
スルーしてしまうこと、ありませんか?

 

先日、小学5年生の長男に
「今、すごくやりたいこととか、
こうなったらいいなってことある?」

と聞いてみました。

 

すると、彼は

「ナーフの大会に出たい」というのです。
※おもちゃの銃でスポンジの弾を撃ち合う遊び

 

「自分が思ったことは必ず実現する」
という体験をさせたい私は、

 

さっそくどこでやっているのか

彼にGoogle検索させました。

 

ところが、住んでいる北海道内での開催はなさそうで。
数年前の古い情報しか出てきません。

 

「大会に出たらどんな気持ちになりたいの?」

と聞くと、

息子は「すごくたくさんの人が来てね、
隠れたりしながら撃ち合いをするんだ!」

と目を輝かせて教えてくれました。

 

大会がなくてガッカリさせたくなかった私は、
「だけど、大会だと、大人も参加するんじゃない?

それで、大人の方がうまかったりしたら
面白くないこともあるかもよ。

だったらさ、とりあえず今度の休みに
うちでまずはやってみたらどうかな?」

 

と提案しました。

 

大会の方が

環境が準備されているため

その世界観に浸りたかった長男は、
少し物足りなそうでしたが、


「まぁそれなら今度そうしようか」

と少しずつイメージを膨らませ始めました。

 

「じゃぁ、まずナーフは大会に
どんなルールがあるか調べてみたら?」

 

と促すと、大会では「撃たれたら一発で即退場」
というルールがあることが判明。


せっかく出てもすぐに終わったら
ガッカリすると思ったのか、

 

「それなら自分で(ルールを作って)やった方がいい」

と、息子の気持ちは
家での開催へとシフトしていきました。

 

そこからは、もう大興奮です。

「どんな的がいいか」「何が必要か」

「うちの銃で何人参加できるか」

だんだんと面白くなってきた息子は、

「僕、手がうずうずしてワクワクが止まらないよ!

ママ、チラシも作って配ろうよ」

とまで言い始めました。

 

ここまできたら、本人のやる気はバッチリ。

ここからは実現のために大人のサポートが必要です。

 

「協力者がいた方が実現が近づくから、パパにも話してみよう」

と提案しました。

 

ところが、仕事から帰ってきたパパに同じテンションで伝えても

息子の表現がいまいち伝わりません。

 

「目に当たると危ないから、そこだけは気をつけないとね」

という、出ました”大人のアドバイス”。

 

これで息子のやる気は一気に削がれてしまいました。

 

私のところに来て

「パパ全然わかってくれないよ」

と落ち込む息子に

 

「まぁ、しょうがない、ママが手伝うから大丈夫だよ」

と励ますと、また心を取り戻していました。

 

 

人の願望や希望って

最初は、とても繊細な「芽」のようなものなんだなと、

つくづく思わされました。

 

特に、子ども「このおもちゃ欲しい」という

分かりやすい願いなら大人もすぐに理解しますが、

「こういうことがしてみたいな」というフワッとした願望は、

 

大人が「危ないから」「時間がないから」「天気が悪いから」

そして、「面倒だから」と言えば、
あっという間に消えてしまうのです。

 

だけど、こうしたフワッとした願いを一緒に実現していくことこそが、
本当の意味での子育てであり、子どもの人生に後々大きな影響を与えるものだと思うのですね。

・・・と、これは半ば夫への愚痴になってしまいますが、
夫は私の他のんティティなこともあまり重要視してくれません。

 

「お風呂場のここが壊れているから直して」
「自分宛ての郵便物、確認して」「賞味期限ギリギリの豆腐は買ってこないで」

 

といった日常の頼み事は、

聞いているつもりで反応はするものの、

全部忘れて毎回振り出しに戻ります。

 

注意すると、まるで初めて言われたかのように驚くのです。

 

さらに厄介なのは、頼んでいないこと

(まだ満杯になっていないゴミを出しちゃう、とか

今淹れようとしていた私のコーヒーを注ぐ、とか
(夫が淹れると一気にお湯をドバッと淹れるのでシャバシャバになるの)

仕事早く切り上げて帰ってくるなど)は頑張ること。

むしろ、仕事が一緒なので、夫は慌てると仕事が雑になり、
見落としが多くなるので、仕事を丁寧にやって欲しいのです。

子どものことで手一杯の夜に、帰ってこられると

かえって私のやることが増えるってこともあります。

 

だから私は

「あなたは本当にわかってない」と言ってしまうと、

夫はショックを受けるのでお手上げです。

 

夫は時々

「子どもとの関係がうまくいかない」

「接し方がわからない」とばやきます。

 

でも、こちらの言葉が通じない姿を見ていると

「何を本当に求めているんだろう?」と思ってしまうんですね。

 

人間って、
大切な人のことを「見ているつもり」

話を「聴いているつもり」

で、本当は心ここにあらずって、とても多いのです。

 

でもね、

これは夫のことを客観的に見ていて
ハッとした、

私自身の経験でもあるのです。

 

この状況を自分に置き換えてみると

「私も自分の心の些細なサインや声を

夫が私や子どもに対してしているのと同じように、

なかったことにしているんじゃないか?」
と気づいたのです。

 

家庭のなかでは不満や怒りが

とめどなく湧いてくるものですが、

家庭という場は「鏡の部屋」だと思えばいいのかもしれません。

 

そこに映し出されるのは、

すべて「自分と自分との関係」です。

 

それがわかるとね、

相手に不満が湧いたときにも、

こうやって一歩立ち止まって確認することができます。

 

「なぜこれがこんなに引っかかるんだろう?」

「私はこれと同じことを、自分自身にやってしまっていないかな?」と。

 

夫が私の思いに

トンチンカンなように

私は私の

「本当はこうしたい」
「こっちを選びたい」という

 

小さな声にトンチンカンだったのではないか。

夫の的外れな行動も、私自身が相変わらず
外側の正しさばかりを優先するクセを

鏡のように映し出していたように思います。

 

他人への不満や愚痴が湧き出るときって
「ねえ、いま境界線ブレているよ」
「もっと自分を大切にして」という


自分自身からのお知らせだと捉えると

その感情を素直に受け取れるようになります。

 

相手や状況を必死に
コントロールしようとする手を放して
その矢印を自分に向けてみるのです。

 

「私は、どうしたい?」って。

 

そうしていつでも
「自分の心地よさ」「望み」を優先して大切にすると
境界線って自然と引かれ、
自分の内側を常に心地よい美学で満たしていくことができます。

 

それこそが本当の豊かさ((Abundance)の始まりです。

 

他の誰でもない、私が私の最愛の居場所になるために。

今日も、湧き上がるすべての感情を
客観的に見て
自分の「美学」を真ん中に置いて生きていきましょう。