さらに、明治二十二(一八八九)年二月十一日に公布された大日本帝国憲法をみてみます。この憲法は、まず告文と憲法発布勅語を記し、その後に第一章天皇以下本文が記される構成になっています。
その最初に置かれた告文は、「皇祖皇宗及皇考ノ神祐ヲ祷リ併セテ朕カ現在及将来ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ神霊此レヲ鑒ミタマヘ」と結ばれます。
天皇が神佑を祷り、此の憲章を履行することを誓うので、神霊が鑒みたまうよう庶幾する、というこの告文の構造は、まさに神人相依思想の表明です。
神道神学の「神人相依」ということばは、文字面の構成は神と人とが同等・対等であるかのようにみえますが、その心は、神あっての人であるという人としての心得を意味しているのではないか、と私は思います。
天と地なしには人は存在できない、人間にとって存在可能な天地あっての人間界である、そのことを今や、人類は危機感を以て意識しはじめている時代ではないでしょうか。
同様に、神の恵みや助けがあっての人間存在である、神の意志や働きを無視したり、反抗したりしては、人としての存在を維持できない、そういう思想であり、信心として、「神人相依」ということばを伝承したい、というのが今回の取り組みです。
この「神人相依」の思想・信心は、今日の私たちにとっては、単に歴史上の遺物のようなものなのかどうか、そのことについて、もう少し考えてみます。