うしろ姿 | 駿河堂のブログ

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オルタナ?メディア、もう一つの視点

 

車のエンジンをかけた時、

スイッチを切り忘れていたステレオが響いた。

 

・・・・MR.BIGの、二つ前のアルバムの曲だ。

 

その曲が流れる中、朝の出勤、通学風景を車窓に、

ほんの数分運転した辺りで、ある情景が頭に浮かんだ。

 

片足を少し引きずりながら・・・・

スタッフに囲まれて歩いていく、スターのうしろ姿・・・・。

名実ともに、紛れもないスーパースターのうしろ姿。

痛いほど脳裏に焼きついて、忘れられない。

 

運転しながら、涙があふれそうになる。

久しぶりのさわやかな日光、穏やかな日常の朝・・・・

 

日常とは、本当はとても得がたいものなのかもしれない。

今日一日、「無事」であること「普通」であることを願うことは

できるが、そうなるかどうかは自分ではどうもできないことを

自分を含めて、多くの人はあまり意識していないのではないか。

でも、それをずっと意識していても心身がもたないので、

日常を過ごす上では、ぐっと無意識下に閉じ込めているのだろうと

思う。

 

(駿河堂の最初の練習曲は、「Shine」だった。これがMR.BIGとの

 出会い。)

 

 

この「うしろ姿」が脳裏に焼きつくこととなったのは・・・・

駿河堂がドラムを習い始めたのが、そもそものきっかけだ。

そして、ドラム講師がハヤト先生でなければ・・・・

東日本大震災後の公演を見ることがなければ・・・

マックス君がエレキギターを始めることがなければ・・・

ピートさんが、このバンドに興味を持つことがなければ・・・

ギターキャンプに行くことが、

会うことが、

目指すことが、

・・・・あらゆることが見事につながってそうなった。

 

そうなって振り返って考えてみると、

あらゆることの共通点は、好奇心と勇気、そして共感だと思う。

「好きこそ物の上手なれ」

というが、シンプルに「好き」という気持ちこそが、

何かが成し遂げられることのベースになるのは間違いない。

 

「やりたいことがあるって、すごいことですよね」

「発信したいことがあるって、すごいですよね」

担当の税理士さんが、いつもそう仰るのだが・・・・

確かにそうだな、と思う。

 

シンプルな気持ちに忠実な人は、

やりたいことに勇気を持ってチャレンジできるし、

人と共感できることを素直に喜ぶ。

困難な環境に遭遇して、あきらめかけても・・・・

または一時はあきらめてしまっても・・・・

なんらかの形で「好き」なことを実現しようとすると思う。

ずっと

「好き」なことが実現せずに、不平、不満を言っている場合は

やることをちゃんとやりきれていないのではないだろうか。

必死で行動していると、

不平、不満すら言っている暇がない。

卑屈になっている暇などないのである。

 

好きなことを、仕事にして

好きなことで、スーパースターになった「うしろ姿」。

その好きなことの要を奪われても・・・

必死でまた一歩一歩目指す、その姿勢。

最初は・・・・

なぜ、ここまできてそんな残酷な試練が与えられるのかと

憤慨するほど悲しみを感じた。

だが、それをも受容し立ち向かう美しい「うしろ姿」。

 

真にさらけ出すこと、

真の純粋さとは、

この何も語らずともにじみ出るこの「うしろ姿」だ。

 

私は、今まで「純粋」という言葉の意味を勘違いしていたことに

やっと気がついた。