ピートさんと秘密の友達 | 駿河堂のブログ

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オルタナ?メディア、もう一つの視点

「人生は夢です。叶えなさい」

 

 

マザーテレサの言葉は、シンプルで心に響く。

 

マザーテレサは、駿河堂の霊名だ。

受洗(カトリックの洗礼)の際、神父さまが

「子供達に導かれて、洗礼に至った」という意味で、選んで下さった。

 

当時、まだマザーテレサは福者であったが、

生前から宗教を問わず、世界的に有名だったマザーのお名前を

いただくことは畏れおおくも有り難く・・・・

子供達によって人生が拓けてきた自分にとってはぴったりと

マッチする名前だった。

 

子供達が自分の人生を探し始めたここ数年、

その危うさや、エネルギー、輝き、初々しさは、どんなドラマよりも

劇的で、魅力的なものだと感じている。

子供から大人への変革のこの時期・・・・

素直な感性がゆえの憧れや苦しみ、悩み、不安、希望といったものが

複雑なリズムで色鮮やかな音を刻んでいく。

 

 

(広島東照宮でおみくじをひくマックス君とピートさん。

悩める時期は、おみくじが気になる・・・・)

 

 

駿河堂は、高校から親元を離れたため、

この時期の子供達(自分)に接する親の姿をあまり見ていない。

もちろん、連絡もよくしていたし、休日には帰ったりしていたが、

たまに会うのと、一緒に生活するのとでは違うのではないかと思う。

どれぐらいの「距離感」が必要なのだろうかといつも悩む。

 

人は、何時ごろから大人になるのだろう。

そもそも、大人ってなんだろう。

法律的な位置付けと、身体的なものなど括(くく)りはあるが、

社会的自立と責任、というところだろうか。

会社に属していれば、仕事への責任、

親であれば、親の責任・・・・

この、

「親の責任」というのは・・・・難しい。

法律上の責任というのは理解しているし、その責務を担うつもりで

いつもいる。

だが、成人したからといって、

「はい、もう親の責任は、ナシね」

というわけにはいかない仕組みになっていることも事実だ。

また、

子供が育つ過程において、全て親の責任であるかというと

そうではない。

親戚、ご近所、学校の先生など、子供に関わる大人たちは

たくさんいるわけで、親の知らない世界は、既に早くから存在

している。

生活のマナーやスタンスといったものは、親との生活から習得

すると思われるが、人生の手本は親だけではなく、むしろ

世界が広がるにつれ、家庭以外の大人に憧れたり、師事したり

するようになってくる。

親は、大人の中の一人にすぎず、特に子供が大人になっていく

時期は、水面下で支えることはすれど、子供の人生の視覚上からは

少しずつ退いていかなくてはならないと考えている。

 

スマホやSNSといった、デジタルネットワークの時代に育っている

子供達は、早くから様々な世界の人たちと関わりを持ち、

10代半ばともなれば、行動力も加わって、アナログにその世界を

体験することも可能になる。

やがて、子供達の人生は、親でさえも踏み込めない、

子供達だけのものになっていく。

自分の責任において選択し、自分の人生を描いてゆく(自立)のだ。

 

マックスくんとピートさんにおいても、例外ではない。

むしろ、「可愛い子には旅をさせろ」とばかりに、

特にマックス君には、あまりに早い段階に旅をさせてしまい、

傷つけてしまったのではないかと思う。

それ以来、彼らを支援することと、親の願いや理想みたいなものを

混同することはないように心がけている。

 

だがしかし、

ピートさんにおいては、周囲が「けっこうな大人」が多いのが

若干心配だ。

しかも、人間的、社会的に完成された、理想的な大人。

更に、「男性」となると・・・・。

もちろん、同年代の友人も多いのだが、しかし・・・・

完璧に近いナイスな男性を知っていると、どうしても周囲の

同年代の男子を意識することはなくなる・・・・。

(自分もそうだっただけに・・・・)

いやしかし、

それはピートさんの人生なのだからしょうがない。

 

マックス君が、ロシアの美女を連れてこようが、

ピートさんが毛むくじゃらでタトゥー三昧で青い目のミュージシャンを

連れてこようが・・・・滝汗

 

(秘密の友達?からいただいたバンダナを手首に巻いて、

路上ライブに参加するピートさん)