「そうねえ、
今、楽しいことって、、、
ないねえ。」
「前、楽しかったことは、、、、
一人でどこでも行けたことかしら」
って、優しく答えてくれた。
私が歯科治療のために伺っている老人ホーム。
ある80代の女性の入居者のかたに、
今楽しいことと、以前楽しかったことを
聞いた答えだ。
この方は
とても穏やかで、優しくて、周りの方に気を配るかた
この答えを聞いて、、、楽しかったことは、、、
「一人で、、どこでも、、、いける、、、
か。。。」
私自身
怪我をして、それを回復していく過程で得ていること
怪我がなければ、そして、まさかのオペ後の悪化がなければ
当たり前で通り過ぎていく言葉
意識もしない言葉
私自身
怪我がなければ、そして、まさかのオペ後の悪化がなければ
先人たち、先輩たちからこのような言葉をいただける
今の環境に感謝することもなかったかもしれない
そして、
生きていく価値
その人の人生から得た気づき
の言葉が、キラキラ光って聞こえること
もなかっただろう
かつての私は、長く
膝が痛い、ってことが、すべて自分にとっては
正義で、
膝が痛いから、、出来ないって意味づけることが
正当で、、
膝のいたくないひとには理解できるはずがないと
なにかから自分を分断することで
自分は犠牲者である、
という空想のカプセル内にいて
でも世の中のレースは、
膝が痛かろうが
足が痛かろうが
ハンディなんてくれないし
自分の正義にて
我慢しようとアピールしようと
称賛なんかない
そういった意識をたとえ笑顔で隠したとしても
たとえ努力しても
結果は、加速しない、
そして、成果が思うほどない、
ハッピーで被包されない。
だって空想のカプセルは、空想の不安で満ちていたから
なんかこれ、どうやら
世界の側でなく
自分のほうがおかしいなって感じ始めて
過去を0をし今の状況をマイナス
ととらえる考えから
今を0として、変化をプラスとして
自ら湧き出る喜びのみを指標とし、
考え、行動をして、違う価値観を受け入れることを知ることで
心が変わり
体が変わる
そして心が変わる
今から思うに
膝の硬さは、心の硬さを表現していたのかもしれないし
膝の痛みは、なにかの痛みを表現していたのかもしれない
かつてはただ
非力なこどもだったかもしれないが
今は違う
力、自信、喜び、愛、、で満たすことができる
だから
何もかもが
自由だ!!