生きるために② | 恋波

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2/7の昼過ぎ、訃報が届いた。

徳島の叔父が亡くなった。

毎年とくしまマラソンに出る俺を1番応援してくれる。

亡き親父のお姉さんが伯母なので、その叔父とは血は繋がっていない。
だけども1番大好きな叔父だし、ほんまの親かのように可愛がってもらった。

肝臓癌だった。

叔父は自分の方がだいぶん悪いのに、母の容態をすごく心配してくれ、伯母や従兄弟に見舞いに行ってやれと言ってくれたりしていた。

それで一度見舞いに来てくれた時、母は本当に励まされた。

母を1人にするわけにはいかず交代で看病し通夜は弟が、告別式は俺が参列した。

しかし大切な人がこうも同時期に大変な状況になるなんて、誰かのイタズラなんだろうか…




話は少し戻る。

1/26に退院してからは実家に俺か弟が泊まって看病していくことになる。
母は病気が悪化する前からなかなか寝れないタイプだったので、真夜中でも起きてる日が多々。

朝昼の薬の中には利尿剤が入ってるが夜の薬には利尿剤はない。夜中のトイレの頻度をを少なくする為だ。
だが実際は夜中にトイレに行く頻度が高い。
利尿剤が遅れて効いているのか?

そのせいで夜中はよく起こされる。

1人でトイレが困難だからだ。

そんな日々が1週間ちょっと続く。

寝不足が続くと疲労感が半端ない。

2/4、貧血が酷くなり、救急車を呼ぶ事態に。

ここまで触れてなかったんですが、肝硬変の影響で貧血も酷く、病院では何度も輸血している。

それでまた入院をすることになったが、2/7の阪大に説明を聞きに行く日に退院しましょうと。
退院後直接阪大に向かう計画。

阪大には俺だけでなく、本人母も一緒に行かなければならない。

しかし前日、先生に提案する。
母を阪大まで連れて行くにはリスクがあるのでやめた方が良いのでは?と。

すると先生は阪大の先生に問い合わせ…

阪大の先生から帰ってきた返事は、、、

もう手遅れです。

本人自ら出向く元気が無いのはもう手術を受ける体力はないと。

時間が経つとともに覚悟を決め、同時に治ったらお母さん、どこに連れて行ってあげようか、どこの美味しいもん食べに連れってってあげようか?とか色々考えたりしていた。
するとどこかでお母さんは必ず治る!と根拠のない自信へと変わっていっていた。

根拠のない自信だった…

逆に阪大での肝移植を断たれてから、一気に形勢は逆転。

先生はお母さんはもう長くはないと言い切り、本人に伝えますか?と。

お母さんは常に自分の状態をちゃんと教えてな。言っていた。
なので言うことにする。
最後は病院か?自宅か?

お母さんは自宅で。と選択した。

そしてさらに質問する。

『死ぬの、怖くない?』

『怖ない。』と。

涙が溢れでた。今泣くべきじゃないと思いながらも涙が止まらなかった。

『泣きなや〜』
お母さんは言う。
泣きたいのはお母さんの方なのに…