その時はまだ小さい芽が咲いた感じのものだった。
だったから?特に治療するわけでもなく、とりあえず定期的に検査をするだけだった。
肝硬変は治らない病気だ。
進行具合は個人差があるらしく、普通に影響なく過ごせる人もいれば、一気に悪くなる人もいる。
発覚してしばらくはどうこう無かったように思う。
それが一昨年の夏、2017年、結構しんどい日が続いたと言っていた。
肝硬変の影響か?と少し心配したが、夏が過ぎてからはマシになったみたいだったので気にも止めなくなった。
去年、2018年。
この年は何かと痛い辛い箇所が増えていってたと思う。
それに外出するとすぐ疲れてた。
歳のせいもあるやろう 、多少肝硬変が進んでいるかもなんて思いもしたが、検査結果自体は平行線だったので、この時もそんなに気にしなかった。
11月中旬ぐらいお腹がパンパンに腫れ体重も10kg近く増加。
どうにもこうにもしんどいという事で一緒に病院へ。
肝硬変の末期に出てくるお腹に水が溜まる腹水だった。
今日すぐに入院しても良いと言われたが、何も準備が出来ていないので翌日入院することに。
この時は11日で退院出来た。
今に思えば、ここが1番のターニングポイントだった。
また12月中旬辺りからお腹が張り出し水が溜まり出し、クリスマス明け26日に入院する。
ここからは本当に日に日に悪くなるばかり。
先生はこの時、やや遠回しにもう長くはないことを伝えられる。
この先は本人の気持ち次第、病院か自宅か…
母は自宅を選択。
母にはこの時はとりあえず一旦家に帰ろうかというニュアンスで退院させることに。
もうこの時母は殆どのことが1人で出来ない身体になっていた。
ただ頭はめちゃくちゃ冴えていて、色々細かいこともしっかり覚えている。ボケとは無縁だった。
入院中介護認定をしてもらった。
通常は認定までに1ヶ月以上掛かるところを早くしてもらい1ヶ月弱で出た。
要介護4
わかる人ならこの4の重さがわかると思う。
母は一人暮らし。
幸い俺と弟は同じ市内。
兄弟で協力し合いながら仕事の合間は介護看病。
後はヘルパーさん、訪問看護士、在宅医療の先生の協力を得て何とかやっていくことになる。
12/26から1ヶ月の入院だった。
この退院する前日に担当医から話があった。
肝移植の話である。
もしうまくいけばお母さんの命を助けられるかもですよ。
母の肝臓を全て取り去り、俺の肝臓を一部切り取り、それを母の身体に移植するといったもの。
肝臓は再生する 臓器。
仮に半分切り取っても1〜3ヶ月ぐらいで元どおりの大きさになり、機能的も徐々に回復するらしい。
今思えばなぜもっと早く言ってくれなかったと思うのだが、この時、俺は大きな希望に包まれた気持ちになった。
問題は何点かある。
先ずは金だ。
保険効かなくて500〜1500万。
これにどれだけ保険が効くのか?
それとやはり身体の影響。
母はもちろん、提供する側の俺へのリスク。
波乗り、マラソンへの影響は?
いやこれはもう波乗りもマラソンも出来なくなったってそれは仕方がないとどこかで覚悟はした。
でも仕事へ復帰はどれぐらい?
今の仕事を続けても大丈夫なのか?
これは生きていくには外せない。
後はネットで調べたら合併症の恐れがあったり、ほぼ無いにしても少しは死亡例もある。
担当医は消化器内科で詳しくはわからないらしく、肝移植するのは消化器外科でそこで詳しく聞いて下さいとのこと。
なので紹介状を書いてもらう。
大阪大学付属病院へ。
俺の中である程度覚悟は出来ても詳細が分からなければ、もう一歩前には進めない。
阪大訪問は2/7に決まる。