湘南リメンバー、笑顔リメンバー♪ -4ページ目

湘南リメンバー、笑顔リメンバー♪

英語と手話と笑顔で、人とコミュニケーション、海ともコミュニケーションしちゃう日記

あえぶろ最近、大きな虹が日本のあちこちに出て、話題になっています。


二重の虹とか…、信じられないくらいキレイで神秘的ですが、一部では地震などの前兆では?といった不安な声も出てますね。


そういえば、文化の違いの一例として、国によって虹の色の数のとらえ方が異なるという話を以前本で読んだことがあります。


日本では、虹は七色と考えるのが常識になってますよね。


でも、五色だとか、三色など違ったとらえ方をしている国もあるそうなんです。


たとえば、ニュートン以前の時代のイギリスや、昔の日本では五色だとされていたとか。


また、昔の沖縄では二色(明るい色と暗い色)と考えられていたそうです。


一般に、「虹」の手話表現は、身体の正面上部の空間で「七」の指文字を表した片手で虹の形(弧)を描きます。


昔、初めてこの手話を教わった時に、「なるほどなぁ~!」と、すごく感動しましたが、これは日本文化だということになりますね。


試しに、今日職場でアメリカ人と香港出身の中国人の2人の社員に聞いてみたら、どちらの地元でも「虹は七色」と考えられているとの話でした。


日本と共通点があるのは、なんか嬉しい♪


おもしろいので、他の国出身の人にも聞いてみようと思います。


違いがあったら、それを話題に異文化談義ができると思いませんか?(^ ^)


今日は、会社の帰りにジムに行ってきました(^ ^)


都合のつく限り、週に2回夜遅い時間にジムでトレーニングをしています。


本当は、サーフィンしたいんだけど…


以前は、毎年毎年、一年を通じて毎週末のように湘南の海でサーフィンをしていました。


でも、ここ数カ月は、いろんな予定があって、サーフィンはできないまま過ぎています。


毎日「波乗りしてぇ~!波乗り、波乗り!」と、頭の中で誰かが(おまえだろっ!)叫んでいます。


そんな状態ですから、せめてジムで身体を動かしたり、たまには外を走ったりして、気を紛らわさないと!(^ ^;)


波乗りって、やらない人には「遊び」みたいに見られたりしますね。


僕自身は、かなりハードなスポーツとして始めました。まあ、スキューバダイビングやったり遠泳をやったりした後で、ウインドサーフィンにハマり、気づいたらサーフィンをやっていたという状況ですから。


自分としては、かなりブルーカラー精神を持つサーファーだと思っています。そして、手話通訳と同様に、ライフワークだとも思っています。


波乗りの楽しさ・・・それは、もちろん波に乗ることが快感なんですが、それだけではないんですヨ。


例えば、スキーのゲレンデの斜面の状態って、表面がスムーズな所もあれば、コブがあったり、アイスバーンがあったりしますが、全部見たとおりの状態ですよね。


でも、波って、形や大きさ、力の強さが、毎回違います。

いま来た波と同じ波って、いつまで待っても来なかったりします。


それで波乗りに向く良い波の周期(「セット」と呼んでいます)の合間は、サーフボードにまたがって、ずっと沖の方を見て、これから来る波の育ち具合をずっと見守っているワケです。


で、小ぶりな波やサイズは大きくても形が波乗りに適していないうねりが、いろんな表情で僕たちの身体を揺すって通り過ぎて行きます。


そんな時に、「あ、いま海が話しかけてきている!」と感じられるんです。


まるで、波を待ちながら沖に向かって期待の気持ちを心の中でつぶやいているサーファーに対して、語り返すかのように。


そんな海の言葉は、音ではありません。

波打ち際で派手に聞こえるような水の音ではなくて、直に身体に伝わってくる水のうねりとか波動みたいな感じと言ったらよいでしょうか。

とにかく、身体や肌で感じる声です。


きっと、そう感じているのは僕だけじゃないハズ!

周りのサーフィン仲間も感じているにちがいありません。


だって、「あ~、なかなかイイ波来ないじゃんかぁ~!」とかぼやいてる時でも、見ると顔はぜんぜん残念そうじゃなくて、ニッコニコですから。


こういう表情って、浜から見てる人達には背中向きですから、見えないんでしょうね。


ですから、じっと波待ちしているサーファーって、意外と退屈してなくて、むしろウキウキしているんです。


そう、海と会話しながら♪



あ~、こんな独り言書いていたら、ますます波乗りしたくなったぁ~!


でも、明日も仕事じゃあ~!(泣)

あめぶろDead Body Language (Crime Line.)/Penny Warner
¥722
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先週読み終えたこの本は、聴覚障害を持つ女性を主人公としたミステリーで、マキャヴィティ賞(アメリカの国際ミステリー愛好会クラブの賞)を受賞した作品です。

田舎町にある小さな新聞社を遺産相続してジャーナリストを始めたばかりの37歳のConnor Westphalは、4歳の時に患った髄膜炎によって聴力を失っています。

ある日、地元セレブの未亡人の死体が発見されますが、Connorは、その死体の姿勢が奇妙であることに気づき、この殺人事件のスクープ記事をとるため、自分で犯人探しを始めます。

ところが、彼女は、(健)聴者と一緒の学校で学び明瞭な発話はできますが、補聴器を付けても人の話の内容を聞き分けることができません。

それで、コミュニケーションの手段としては、手話と、相手の口を読む読話、TTY(特殊なアダプターを用い文字で会話する電話)を使ってます。
本書ではあまり活躍しませんが、聴導犬(hearing-ear dog)も飼っています。

そんな事情ですから、離れた場所で警官同士が交わす内緒話の唇を読み取ることができる反面、聞き込みに回っても相手が横や下を向いて話す度に読み取れなくなったり、後ろから誰かが近寄って来ても気づかない、など不利な点も多く、こういった要素がストーリー展開に巧妙な味付けをしています。

ネタバレになるので言えませんが、終盤でも、Connorが聴こえない、プラス女性であるという要素がハラハラ感を盛り上げる効果として利用されています。

作者はもともと児童教育や児童文学に携わっているせいか、J.ディーバー、M.コナリー、J.グリシャムなど第一級のミステリー作家に比べて、プロットやキャラクターにアクの無いあっさりした作風ですし、謎解きも少し甘いかな。
それでも僕は十分楽しめました。
聴覚障害、手話の関係者、興味を持たれる方々には、特にオススメします。
特に本作では、難聴者の方々に「そうそう、そうなんだよ!」と共感できるのでは、と思える描写が幾つもあります。
とにかく、聴覚障害者が犯人探しをするというミステリーは、大変珍しいですね。

ちなみに、コーダ(ろう者の両親を持つ聴者)を主人公としたミステリーとしては、昨年出版された丸山正樹「デフ・ヴォイス」(文芸春秋)があります。
同作は、ろう者についての一面的な(つまり、特定の立場の見解と思われる)説明の記述が目立ち、本来のミステリー小説としての出来には不満が残りました。

このConnor Westphalを主人公としたミステリーは、シリーズ7作まで出版されているので、アメリカでは商業ベースで好評を得ていると思われます。

しかし、日本では、本書が「死体は訴える」(ハヤカワ・ミステリ文庫)として翻訳出版されましたが、今では絶版になったまま、シリーズ第2作目以降は翻訳されていません。
大変残念です。

今年の春先に、会社のある人から、「今年、行政書士の資格を取りたいんだけど、試験に合格するための教材はどれが一番のオススメ?」と質問されました。


こういう質問って、ありがちですよね?(^ ^;)


○○○の資格試験に絶対合格できるテキストは何?

○○大学の入試の英語で合格点を取るために最適な単語集はどれ?

TOEICで○○○点取るために一番間違いのない対策本は?


聞きたい気持ちは、よ~くわかります。


でもハッキリ言って、あまり意味のない質問ですよね。


どんなに良いテキストでも、斜め読みしたのでは、力は付きません。


読みっぱなしで済ませるだけ? それでもまだ足りないでしょう。それなりに問題の演習と分析が必要でしょう。


つまり、一生懸命勉強しなければいけないワケです。


そこで、僕から逆に質問したいです。


そのテキストを使って一生懸命勉強した結果、合格できました。

さて、合格できたのは、テキストのおかげだと思いますか? それとも、あなたの努力のおかげだと思いますか?


反対に、テキストは読んだけど一生懸命勉強しないまま、試験に落ちました。


不合格は、テキストのせいだと思いますか? それとも、あなたの努力不足のせい?


おそらく、僕の質問に対するみなさんの返答は、同一ではなく、人によって様々になると思います。


つまり、誰にでも当てはまる決まった正解なんて無いんですね。


世の中を見渡すと、「正論」と言われるものは沢山沢山あります。


そんなに沢山あるのは、なぜでしょう?


唯一の「正論」なんて無いからでは? と僕は思います。


なにが正解かどうか誰にもわからないからこそ、他人の意見だけに左右されないで、最終的には自分で判断した方が良いように思います。


その方が、たとえ後で思い通りの結果がでなかった場合でも、納得できます。


生きていくために聞かされる教えは、ほとんどが仮説です。


ですから、人生に参考書はいっぱいあるけど、教科書はないんだと思います。



あ、これはネガティヴな言い方だな。


言い直します。


人生に教科書はないけれど、生きていくための参考書はいっぱいありますよね♪


そう、こういう言い方が大事だと、先日紹介した「五感で磨くコミュニケーション」にも書いてありました。


例えば、「英会話ができるようになりたい。でも、英会話スクールは高いんだよな。」と言ったら、そこで話が終わってしまいます。


これを逆にして、「英会話スクールは高いんだよな。でも、英会話ができるようになりたい!」と言えば、そこから、どうしたらよいか・・・という風に、話が前向きに展開できます。


ということで、分かれ道を前にしても立ち止まらずに、笑顔で進みましょう!


…この文章のテーマに書いたとおり、これは、ある友人と、そして自分自身に対してのメッセージです。


次のような言葉があります。

After it leaves, happiness shoots light.(幸せは去ったあとに光を放つ。)

イギリスの諺だそうです。
今は苦しくても一生懸命頑張っていれば、後になって「ああ、あの時は充実していて幸せだったんだなぁ~」と、きっと満足できるから...
といった励ましの際に、よく引用されますね。

確かに、そうですね~。
前向きになれる言葉です。

でもね...
ときどき、違う感情がわき上がったりして。。。

自分がスゴクスゴク大切に想っていた人なのに、その人と別れるはめになった。

そんな結末が待っているのだったら、

そうだったら、

もっともっと相手のためにしてあげられる事が、いっぱいあったんじゃないかなぁ~、と。

後になって気づくのでは遅すぎるよ。


どうしようもなく愚か。。。

日頃、手話通訳者の自覚として、通訳対象者である聴覚障害者に通じる通訳をしたいと思っています。

通訳者は、自分の好みの手話を使えば良いというものではありませんから (^ ^;)


相手の使う手話の特徴やレベルに合わせて、日本手話が望ましい場合もあれば、いわゆる中間手話(これも相手によって表現方法に幅がある)、あるいは忠実な日本語対応手話が適している場合もあります。


とは言え、その中でも僕にとって特に継続的な研鑚が必要なのは日本手話です。

ろう者の友人・知人と会って話をしながら、いろいろ教えを乞うています。


そうした勉強の一環として、今日は、会社の仕事を終えた後で、NHK手話ニュースのキャスターなどで有名なろう者・赤堀仁美さんの講演会に行きました。


赤堀さんの講演会は、日本手話の文法をテーマにすることが多いのですが、今回は、「手話の世界で育った私」というテーマでした。


ろう学校時代、就職後、海外での留学・視察など、ご本人の経歴の中で身に付けた手話やろう者の生活についてのトピックスを内容としてました。


盛り沢山な話の中で、僕としては特に、

・話者の年齢、相手方との関係、場面によって、手話のスタイルが異なる。

・語彙について、言語間で意味のずれがある。

・手話の方言

ということについての話は、いつも関心のあるテーマなので、興味深く聞きました。


ここで、詳しい説明はできませんが、分かりやすい一例を挙げますと…

「かたい(堅い、固い、硬い)」という日本語を意味する手話単語があります。

これは、右手の五指を折り曲げ、左斜め下に力強く振り下げて止める動作で表します。

(五指ではなく、親指と人差し指だけ曲げる人…赤堀さんもそうでした。あるいは、親指、人差し指、中指の三指を曲げる人もいます。)


それで、手話で、「顔」(人差し指で顔の外郭をなぞる動作)プラス「かたい」と表した場合、日本語の発想で読み取ると、「(緊張で)顔が固い」とか「(真面目すぎて)顔が堅い」と読み取ってしまいそうです。

※一応、NMS/NMMつまり顔の動きなどの要素は、触れないでおきます。


しかし、通常これは、「顔が若いね」「昔と顔が変わってないね」ということを言う手話表現なのです。

「かたい」という手話単語には、「状態が変わらない」というニュアンスもあって、この意味での手話の用例のバリエーションは、日本語の「堅い、固い、硬い」に当たる用例よりも豊富にあります。

例えば、「雨」プラス「かたい」とやれば、「雨はまだ止まずに降っている。」を意味します。


このように、日本語と手話の間には、同じ語彙のように見えても意味の違いがあるので、単純に単語レベルでの当てはめをすると間違いが生じます。


ですから、単語を機械的に覚えるのではなく、その単語を使った様々な用例、文例での表現を覚えて使ってみることが、正しい手話の習得のためには大事ですね。

あ、偉そうに書いてますが、実は僕自身に対して言ってます(笑)


これは、手話に限った話ではないですね。

例えば、日本語と英語の間でも単純な単語の当てはめができないことは、よく知られています。


日本手話の場合も、日本語の発想とは異なる点をよく勉強して確認しておかなければ、安易に使えないポイントが沢山あります。

まあ、新しい発見もあったりして、それが手話を学ぶ楽しさなんですよね (^ ^)

The Curious Incident of the Dog in the Night-Ti.../Vintage
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この本は、イギリスを舞台として、自閉症を持つ15歳の少年の一人称の文体で書かれている物語です。


数学については人並み外れた能力を持つが、社会的な生活を営むことは苦手な主人公。

彼は、大好きだった近所の飼い犬を殺した犯人を探し始めたことをきっかけに、苦手な他人の世の中を徘徊するという冒険に出ます。


その冒険は、父の居る家から逃げ、自分の新たな居場所となる母の家を探し求める旅に発展します。

それはつまり、この少年が大人へと成長する過程で、社会の中での居場所を探し求める道程を想像させることにもなります。


最初から最後まで鮮烈に訴えてくるのは、主人公の視点から見えるこの世界や人々の描写と、それに対する主人公の感じ方です。

まさしく、読者に対して、一面的なものの見方を改めるよう要求しているのです。


知らない人に話しかけられて返事をしない事にも、赤い食べ物は食べるのに黄色い食べ物は食べない事にも、大勢の人の話し声が聞こえると両耳を塞いでうめき声をあげ続ける事にも、ぜんぶ彼なりの理由が(頭の中で)述べられています。

読んでいて、思わず僕もうなってしまったり…(笑)


人は、自分が想定していないような言動を他人からとられると、不安を感じたりします。

そうした不安を解消するために、想定外の言動をとる人に対して、「異常」とか「奇妙」とか「おかしい」と言った説明をして、納得しようとすることがあります。


でも、そうした姿勢をとることは、相手の世界を狭めると同時に自分自身の世界も狭めてしまうことになるかもしれませんね。

なぜなら、正しい理解なくして、豊かなコミュニケーションは生まれません。

コミュニケーションが広がらなければ、助け合いも、共に歩く世界も成り立たないわけですから。


当たり前のことなのですが、

改めてそんな事を考えさせてくれた好著です。

英語は平易なので、英語学習者にオススメです。


あ、そうそう!

僕は、会社では机の上に読みかけのペーパーバックを置いています。

おかげで、興味を持ってくれた人と本の話題で話が弾んだり、思わぬ良い情報をもらえたりします。

この本も、表紙を上に置いていたら、僕のすぐ前のキュービクルに座っている女性が見かけて、

「あ、この本、私も読んだ!面白かったよね♪」

そういえば、海外滞在経験豊富なこの人、洋書を沢山読んでいて、本来手話とはまったく無縁な人ながら、Sara Gruen "Ape House"(アメリカ手話を使うチンパンジーたちを題材にした小説)を貸してくれたことがあります。


なお、日本語翻訳版もあります↓


夜中に犬に起こった奇妙な事件/マーク ハッドン
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来週はお彼岸ですね。


一昨日の土曜日、一足先に父のお墓参りをしました。


言い古されている言葉のとおり、父が生きている間にもっと何か喜んでもらえる事をしてあげたかったという悔いは常にあります。

同時に、「仏様になって、やっと自由になれてよかったね。」という、ホッしたような気持ちもあるんです。


実は、父が亡くなったことを長い間知らされなかった僕は、数年後に人づてにその事実を知った時に、友人の力を借りてお墓を探し回り、見つけたのでした。

(その時に快く助力してくれた友人には、ずっと感謝の気持ちが尽きません)



そこは、有名な多磨霊園の近くにあるものの、比べようもないほどこじんまりとした公共墓地でした。


ひっそりとした墓石の横に刻まれた俗名で父の名前を確かめた後、見ると戒名は、


安楽行雲信士


これを見た瞬間に、思わず空を見上げて、ニヤリとしてしまいました。


人に理解してもらえない苦しみを抱えながら、精一杯思い通りに楽しく生きようとした父の生き様を表すのに、これ以上ピッタリの四文字はありません。


そして初めて、戒名というものは、仏様の名前というよりも、俗世界で生きていた人物の様子を表しているものなんだなぁ~、と気づきました。


短い言葉の選択で、簡潔にして的確に事実とそして周囲の想いを伝える…


どこか、手話通訳とか言語コミュニケーションが目指す境地に通じるものを感じます。


以来、毎月のように一人でお墓を訪ね、一昨日も行って来たのでした。


僕にできる事といえば、それだけですから。。。


来週はお彼岸です(^ ^)

僕には、意味もなくブツブツ独り言を言うクセがあるようです。

自分では気づかないまま言っている時もあって…

まあ、寂しがりやだから~!(^^;



独り言をいうのは僕だけじゃないですよね。

職場の外国人社員の中にも、ブツブツ言いながらPCを打っている人がいます()



そのようなブツブツ言葉が無意味であることは、耳の聴こえる人は経験上わかっていますから、他人の独り言など聴いてみる気にもならないでしょう。
実際には耳に入ったとしても、聞き流して何を言ってるのか分からないままで放っておくとか。


また、それとは別な意味で、何か音声があることは分かっても、内容が掴めないことがあります。

例えば、その音声自体が小さすぎるとき、周囲の雑音が大きいとき、スピーカーから伝わってくる音声が、大きいけれども不鮮明なとき、などなど。



手話通訳をしている時には、耳に入る言葉は、必死になって細大漏らさず聴きとり、通訳します。

しかし、ふだんの日常生活では、外に居るときに不必要に耳に入ってくる音声については、それが意味ある音声かどうか判断することもせずに、スルーしてしまうこと、けっこうあります。

そうでなかったら、耳や頭が疲れきってしまうかも。



こういった習慣(?)は(健)聴者の多くにあると思います。
でも、ろう者や難聴者の人たちには、他人がブツブツ呟いてる様子を見て、それが特に意味を持たないことを言っているのだとは、わかりません。

また、(健)聴者であれば当然耳に入る音声は、すべて理解できるはずだ!と思いこんでしまうろう者、難聴者もいます。



ずっと以前のこと、僕には難聴の大切な友人がいました。
当時僕は、自分と彼女にとって意味のない周囲の音声は、いちいち伝える努力をせずに済ませていたように思います。

しかし、彼女にしてみれば、無意味であるかどうかという以前に、聴きたくても聞こえない音声なんですよね。

それを僕は、自分一人の頭の中の判断だけで、まるで存在しない音として、勝手に処分してしまっていたのです。



人と人とのコミュニケーションとは、単なる情報の交換だけではないハズ。
何を感じているかを確かめ合ったり、共有することも大切なコミュニケーションです。

たとえ不必要な音声でも、その存在や内容を伝えなければ、「どうでもいいよね」「ジャマだよね」という思いは、暗黙に湧いてくることはありません。

つまり、僕は聞こえる音を彼女に伝えないことによって、彼女の「聞こえないこと」を共有せずに済ましていたのです。。。



そんなワケですから、
その人と一緒にいるときに、果たして僕は、どれだけ本当の意味でコミュニケーションをできていたのだろうか?
…と、今でもときどき、ふと思い起こしては胸の奥に痛みを感じます。



時々ここでわかった風なことを書いている僕ですが、実はコミュニケーション能力はまだまだ未熟なのです…(>o<)










五感で磨くコミュニケーション (日経文庫)/平本 相武
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コミュニケーションとは、単なる情報交換ではありませんよね。

人である限り、情報を得たときに、何かを感じますし、その感じた内容もメッセージとして出されます。

人として「感じる」という要素をコミュニケーションにどう生かせるのか、そのヒントが欲しくて本書を読みました。



例えば、電車の中で知らない女性が僕のことをジーっと見ていることに気づいたとします。

そうすると、自分としては、

「服装とか髪型がどこか変なのかな?」とか、

「あの女性に前にどこかで会ったっけ?」とか、

「もしかして、オレに気があるのかなぁ~」(笑)

などと考えて、目で見た情報について必ず何らかの意味を探してしまいます。



このように、人は、五感で受け取った情報に意味づけをします。

それがコミュニケーションにどう影響し、どう対処したらよいのか、といったことについて、NLP(神経言語プログラム)理論に基づいて、本書の3分の2くらいの分量で説明されています。

このNLPに基づく説明部分がとても興味深いです。


著者によると、

日頃、私たちは、実際に目の前にいる人間そのものとコミュニケーションをとっているのではなくて、自分の頭の中に描いた相手(自分が思い込んでいる「相手」)とコミュニケーションをとっていることが多いそうです。


そして、自分の描いたイメージ上の「相手」と、現実の相手との間にはギャップがあるのが当たり前ですから、コミュニケーションに支障が生じることがあるわけです。


それを解決するためには、その場の状況に合わせて相手から出されるメッセージを五感で的確に感じ取って、適切な対応をしていくことが必要であり、その具体的な手法についても、わかりやすく説明されています。



次に、本書では残りの3分の1くらいは、アドラー心理学に基づき、コミュニケーションを円滑にするための姿勢について書かれてます。


例えば、相互尊敬、信頼関係、協力、感謝…といった、スキルというより心構えの重要性について取り上げた後、コミュニケーションの際の工夫の仕方を述べています。



職場や夫婦・恋人などでの会話の際に、相手の言動を指摘するだけの(まるでダメ出しのような)「あなたメッセージ」でなく、自分の感想(感謝の気持ちなど)を付け加える「わたしメッセージ」で、お互いの共感がスムーズに生まれ、競争・対立ではなく友好的な関係が築ける、という部分が特に参考になりました。


あくまでも概論ではありますが、素人向けにわかりやすく書かれており、あらゆるコミュニケーションを考える上でのヒントとして、オススメです。