今朝、目が覚めると、娘が「プールに行きたくない~。」と言って大声で泣いていました。
夏休みに小学校で自由参加のプールの時間があるのですが、それに行きたくないそうです。
娘は、「プールに行きたくない」と言って、何かを恐れている。
妻は、「プールに行って強くなって欲しい」と、説得している。
「行きたくない」と言っても理解されず、たまりかねた娘は奥の部屋に引きこもって大泣きしています。
もちろん娘が行きたがらないのには訳があるはずです。
これは重要な場面だと思って、娘のところに行ってひとまず向き合いました。
こんな時に大切なのは、「どうしていきたくないの?」と聞かないことです。
いきなり本題に入ると、無意識は警戒して変化を拒み固定化されてしまいます。それより、まずはほぐすこと。
「プールってどんなことしてるん?」と純粋な好奇心を持って聞いてみました。
そうすると、娘はいろんな遊び方を教えてくれます。
「お父さんもそんな事してたわ~。懐かしいなあ。」と親の楽しみのエネルギーを、娘のイメージ空間に注ぎ込んでいきます。
しばらくそんな話をしてると、本当の問題が出て来ました。
「あんな。プールに行っても友達おらへんのんや…。」
予想通りの原因。クラスの友達が誰もプールには行っていないらしい。
そしてここでも、「一緒に遊ぼうって言って友達作ったらええやん!」というようなアドバイスはしません。
「へ~。友達がおらへんのや。そっか。」とただそれを事実として受けとめます。
大切なのは、友達がいないことは悪いことではないということです。
良いことでも、悪いことでもない。それは単なる事実です。
物事は常にニュートラルで、良いも悪いもない。
それを悪いこととして意味づけした時に、単なる事実は超えるべき壁となります。
特に、大人である親が「悪い」という意味づけをしてしまうと、子供にはそれが不必要に大きな壁に見えてしまいます。
だから、あくまで単なる事実として、普通に受けとめること。
「ふ~ん。友達がいないんや。へ~。それでどんな感じで遊んでるの?」とか、「同じ1年生は、何人いるの?」とさらに細かく事実だけを聞いていきます。
そうすると、意地悪な子がいたり、弁当を食べる時に問題があったり、いろんな現実が見えてきます。
そこまで具体的な現実が見えてきて初めて、「へ~。それは嫌やなぁ!」と共感します。
そうやっていろんな場面を聞き出して、親が共感することで、親の意識がどんどん子供のイメージ空間に流れていきます。
場面場面での、自分の感じ方が親と一緒だとわかって、自分は間違いっていないんだということに勇気づけられるのです。
娘にとって、アウェイである環境に、親の意識が流れ込むことでホームに変わっていきます。
娘の表情がどんどん明るくなってきて、笑いも多くなってきました。
「のんは、友達がいた方がいいんか? そっか。どうやって友達つくったらええんやろな。お父さんやったらこうするわ。」と、ここで冗談交じりに1つ例を出しました。
ここが非常に大切なポイントで、「こうしたらええやん!」とアドバイスするのではなく、親のやり方を一つの例として掲示してあげることです。
その方が無意識の抵抗に合わずに、奥深くに入るからです。
父の例を出すことで、娘の創造性が開きます。
「違うで! もっとええ方法があるで。あんな。のんはな。友達作るときはな。最初に自分で面白い遊びをするんや。そしたら面白そうって友達が集まってくるんやで。」と、先程とは違う人格が現れています。
「そっか。そんなええ方法があるんか~。じゃあそれを使ったらどうなるんやろ。」と聞くと、さらに奥底の問題が明らかになってきます。
娘が持っている友達を作る方法は、今回のプールでは上手く機能しないのです。
いうなれば受動的なマーケティング型の方法と、能動的なセールス型の方法との2つがあるとして、娘は受動的な方法でしか、友達を作る戦略を持っていなかったのです。
「そっか。そのやり方やったら、面白い遊びができんかったら友達つくれへんな。」
戦略が1つ足りていないから意識的に学ぶ必要があるという、最も大切な気づきが得られたわけです。
「じゃあ、どうしていったらいい?」
○ 友達を作るのを諦めて1人で楽しむ方法。
○ 一番優しそうで気が合いそうな子を見つけて、笑顔を振りまく方法。
○ いじわるな子に対する返し方。
などなど。いろんなことを冗談として話していると、随分と表情が明るくなってきて体にパワーが戻ってきたようです。
今回のいろんな話は、あくまで冗談として伝えました。
上手くいっても失敗しても、どっちでもいいのだと。
遊び心を持って試してみて、ダメなら違うやり方を試してみる。
最も伝えたいのは、そういった楽天の気質を持って人生と関わる軽さです。
根性で超えるのではない。
遊び心から出てくる創造的なアイデアと心の状態が、気づけば問題が問題ではないところまで運んでくれる。
そういった人生の性質を伝えたかったのです。
具体的に話を広げて、プールで遊ぶイメージをしたことで、その後、娘はプールに行く選択をしていました。
**** 追記 ****
それにしても今回思ったのは、「そりゃあ大変だよなぁ。」ということです。
今回のプールは、学年もクラスも様々な子が、何の脈絡もなく1つの囲いに入れられているわけです。
小1にして、知らない子ばかりで意地悪な子も入る中で、人間関係を構築しつつ自分の安全を守るという、かなり高度なコミュニケーションスキルが求められているわけです。
大人でも難しいのに、子どもの場合、あからさまなグループ意識や意地悪があるわけです。
何も考えずにグイグイ入っていける子なら良いでしょうが、人見知りするタイプには厳しい環境ですね。
でも、そう言った状況に対して、学ぶ機会もなければ、モデルになるようなコミュニケーションパターンに触れる機会もありません。
そしてそこでつまずいた時、親が言うことは、「自分から声かけたらいいよ。」というレベルのアドバイスです。
どうしていいかわからずに、行き詰まりますよね。
ほとんどの場合、持って生まれた性格とセンスと運任せで人間関係のパターンが作られて、それがその後、生涯にわたってのその子の人生の性質を決めていくわけです。
自分のコミュニケーションパターンを分析をしたり、学んだり、修正したりする機会が無いということです。
これって怖いことですよね。
武器を持たずに、冒険に出させるような感じでしょうか。
学校では難しいでしょうから、親から子供たちにコミュニケーション力という武器を持たせてあげられるといいですね。
そのためのノウハウとして、何かわかりやすく提供できるものは無いかと、今も考えています。
昨日、iphone を見てみると、画面に貼ってあったフィルターが剥がされて、ダメになっていました。
誰かが剥がして、また張りつけたようです。
「あれ? これ誰か剥がした?」
と、子供たちに聞くと、
こちらを見るより早く「のんと違うで!」と小1の娘が過剰に反応しました。
何の事かも言ってないのに、フライングしてバレてもうてるやん…(笑)と思いながらも、「じゃあ誰がやったんや?」と聞くと、「知らん。」の一点張りです。
そして娘は「あれ? ノートどこ行ったかなぁ。」とか「宿題せな。」とか、あからさまな独り言を言い始め(笑)、ソワソワソワソワしています。(可愛いいのう。)
昔、親父が「嘘ついても、お父さんはすぐわかるんやぞ!」と言っていましたが、あれはどうやら本当のようです。
子供の全身が、全表情が、頭の先からつま先まで、「わたし嘘ついてます!」と言っているのですから(笑)
子供の身体の反応ってとても素直ですね。
でもそうやって嘘つくことで、娘はさっきまで仲良くしていた僕にも無意識に距離を取りはじめ、目の奥を固め、体はぎこちなくなり、さっきまであった真っ直ぐな感情の表現がなくなってしまっています。
それを見て、まさにこれだと思いました。
こうやって自分の心の奥に後ろめたさをしたためて、その居心地の悪いモヤモヤとした感覚を感じないようにするために、体を固め、体とのつながりを切ってしまう。
そして自分の心の中に、見てはいけない部分が生まれ、それに伴って、心は少しずつスペースを失い、居心地が悪くなっていき、感情は重々しさを備えていく。
そんなことをしているうちに、気づけば人とは距離ができ、世界は見えない薄膜で覆われているように、鮮やかな感覚が失われる。
一体何が問題だったのか、その時になってしまうと、もう理由はわからない。
世界はそもそも最初からこんなに味気ないものだったようにも思えるし、世の中が自分だけを拒絶しているようにも思える。
多くのクライアントの中に見る、世界との距離と拒絶感。
でも実は最初に拒絶を選んだのは、自分なのです。
自分が心の中の真心に従わないことでやましさを抱え込んで、そこを感じないようにすることによって、世界への感受性も同時に失って行ったのです。
そして、そのきっかけは、今の娘がそうであるように、驚くほど些細です。
その日は家族で買い物に行こうと計画していたのですが、お店に向かう車の中でも、娘の感情表現にはいつもの瞬発力がありません。
そこで、ここはしっかりと話しておかないとダメだと思って、もう少し追い詰めました。
「それにしても、これは誰が剥がしたんやろなぁ。しゃーないなぁ。嘘発見器にかけるか。」
「え? ウソハッケンキってなに?」
「あんな、手を持ってな、目を見ながら質問したら嘘ついてたらわかるんや。」
「えっ…」
ソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワ
ソワソワ感が半端ないなぁって思ったら、可笑しくて可笑しくて吹き出しそうになりましたが(笑)、必死で笑いをこらえて、
ダッコしてもう一度聞くと、「のんと違うもん。」と言って泣き出しました。
自我が芽生えると、前言を撤回するということが難しくなるものなんですね。
そこでお話しをしました。
お父さんはのんにこれからも、いろんなことに手を出してたくさんの失敗をして学んで欲しいと思っていること。その失敗はお父さんにとっては喜びでもあること。
そしてのんには失敗をする権利があるということ。
でも嘘をつくことで、今、のんの身体が固まって、気持ちが硬くなってよそよそしくなってしまっていること。
のんがそうなることが、お父さんにとっては痛みであるということ。
娘はひとしきり泣いてから、しばらくして機嫌を取り戻し、一緒に遊びました。
そして、夜になって、寝る前にもう一度聞いてみました。
「このiphoneカバー剥がしたの誰?」
「はい!!のんです!!」
手をピンと挙げて言ってました(笑)
すごい感情のジャンプ力。
世界に自分のやったことを表明してそれで許されている安心感。
全身がのびのびとゆるんで、エネルギーに溢れている感覚。
そうそう。この感覚。
こういった真っ直ぐな感覚を、子供たちがいつまで維持していられるかは分からないけど、
こういう感覚を無くしていくことが、大人になるということかというと、僕は違うと思う。
それはこれからも子供たちに伝えていこうと思う。
誰かが剥がして、また張りつけたようです。
「あれ? これ誰か剥がした?」
と、子供たちに聞くと、
こちらを見るより早く「のんと違うで!」と小1の娘が過剰に反応しました。
何の事かも言ってないのに、フライングしてバレてもうてるやん…(笑)と思いながらも、「じゃあ誰がやったんや?」と聞くと、「知らん。」の一点張りです。
そして娘は「あれ? ノートどこ行ったかなぁ。」とか「宿題せな。」とか、あからさまな独り言を言い始め(笑)、ソワソワソワソワしています。(可愛いいのう。)
昔、親父が「嘘ついても、お父さんはすぐわかるんやぞ!」と言っていましたが、あれはどうやら本当のようです。
子供の全身が、全表情が、頭の先からつま先まで、「わたし嘘ついてます!」と言っているのですから(笑)
子供の身体の反応ってとても素直ですね。
でもそうやって嘘つくことで、娘はさっきまで仲良くしていた僕にも無意識に距離を取りはじめ、目の奥を固め、体はぎこちなくなり、さっきまであった真っ直ぐな感情の表現がなくなってしまっています。
それを見て、まさにこれだと思いました。
こうやって自分の心の奥に後ろめたさをしたためて、その居心地の悪いモヤモヤとした感覚を感じないようにするために、体を固め、体とのつながりを切ってしまう。
そして自分の心の中に、見てはいけない部分が生まれ、それに伴って、心は少しずつスペースを失い、居心地が悪くなっていき、感情は重々しさを備えていく。
そんなことをしているうちに、気づけば人とは距離ができ、世界は見えない薄膜で覆われているように、鮮やかな感覚が失われる。
一体何が問題だったのか、その時になってしまうと、もう理由はわからない。
世界はそもそも最初からこんなに味気ないものだったようにも思えるし、世の中が自分だけを拒絶しているようにも思える。
多くのクライアントの中に見る、世界との距離と拒絶感。
でも実は最初に拒絶を選んだのは、自分なのです。
自分が心の中の真心に従わないことでやましさを抱え込んで、そこを感じないようにすることによって、世界への感受性も同時に失って行ったのです。
そして、そのきっかけは、今の娘がそうであるように、驚くほど些細です。
その日は家族で買い物に行こうと計画していたのですが、お店に向かう車の中でも、娘の感情表現にはいつもの瞬発力がありません。
そこで、ここはしっかりと話しておかないとダメだと思って、もう少し追い詰めました。
「それにしても、これは誰が剥がしたんやろなぁ。しゃーないなぁ。嘘発見器にかけるか。」
「え? ウソハッケンキってなに?」
「あんな、手を持ってな、目を見ながら質問したら嘘ついてたらわかるんや。」
「えっ…」
ソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワソワ
ソワソワ感が半端ないなぁって思ったら、可笑しくて可笑しくて吹き出しそうになりましたが(笑)、必死で笑いをこらえて、
ダッコしてもう一度聞くと、「のんと違うもん。」と言って泣き出しました。
自我が芽生えると、前言を撤回するということが難しくなるものなんですね。
そこでお話しをしました。
お父さんはのんにこれからも、いろんなことに手を出してたくさんの失敗をして学んで欲しいと思っていること。その失敗はお父さんにとっては喜びでもあること。
そしてのんには失敗をする権利があるということ。
でも嘘をつくことで、今、のんの身体が固まって、気持ちが硬くなってよそよそしくなってしまっていること。
のんがそうなることが、お父さんにとっては痛みであるということ。
娘はひとしきり泣いてから、しばらくして機嫌を取り戻し、一緒に遊びました。
そして、夜になって、寝る前にもう一度聞いてみました。
「このiphoneカバー剥がしたの誰?」
「はい!!のんです!!」
手をピンと挙げて言ってました(笑)
すごい感情のジャンプ力。
世界に自分のやったことを表明してそれで許されている安心感。
全身がのびのびとゆるんで、エネルギーに溢れている感覚。
そうそう。この感覚。
こういった真っ直ぐな感覚を、子供たちがいつまで維持していられるかは分からないけど、
こういう感覚を無くしていくことが、大人になるということかというと、僕は違うと思う。
それはこれからも子供たちに伝えていこうと思う。