細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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今日は、敗戦の日、深く戦争を反省し、2度と戦争をしないと誓う日だ!!
靖国参拝反対!!戦没者追悼式典反対!!

40キロで認められる広島 8キロでも認められない長崎 2つの被爆地での大きな格差『被爆体験者』
鳩山元首相が日米両政府の新型ミサイル共同開発を懸念「ここまで米国と一体化して良いのか」
処理水放出計画 中国とロシアが日本に対し共同で質問を提出
第76回:日航123便はなぜ墜落したのか(森永卓郎)
福島第一原発の処理汚染水海洋放出に市民団体が反対 「東電の垂れ流しは犯罪行為だ」
「日の丸・君が代」強制許すな 教育関係者ら「新たな戦前」への危機感語る
戦後78年「つなぐつながる」核の悲劇を後世に残そうと学ぶ若者たち=静岡
麻生氏「戦う覚悟」発言の異常さ。そもそも、国交ない台湾との軍事関係強化は外交ルールの逸脱では
「尹大統領に任せられない」…韓国野党、国連に「日本汚染水阻止」陳情書提出へ

核のごみ最終処分は「国の責任」っていうけど…大丈夫? 文献調査が進む北海道の町村で起きていること


●日本が戦時中に使用して、中国に棄ててきた毒ガス兵器。
その遺棄化学兵器の処理が化学兵器禁止条約が発効した1997年から26年経ってもまだ終了していない。本当に内閣府の計画通り、今までに発見されている遺棄化学兵器は、2027年までに処理が完了するのであろうか?


中華人民共和国において日本が遺棄した化学兵器の2022年より後の廃棄計画
                            内閣府

 日本国政府及び中華人民共和国政府は、「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」(以下「条約」という。)の関連規定に従い、化学兵器禁止機関(以下「OPCW」という。)執行理事会の決定(2012年2月15日付けの第67回化学兵器禁止機関執行理事会決定第6号)に関し、協議を行い、中華人民共和国において日本が遺棄した化学兵器(以下「遺棄化学兵器」という。)の処理のプロセスを全面的に加速し、人員の安全確保及び環境の保護を最も優先させるとの前提の下で、可能な限り早期に遺棄化学兵器の廃棄を完了することを目指して最善の努力を払うとの共通認識を確認し、2022年より後の廃棄計画について以下の共通の認識に達した。

1 移動式廃棄処理設備を使用した遺棄化学兵器の廃棄


(1)ハルピンの処理場
ハルビン、ジャムス、チチハル、鶏西等黒竜江省の保管庫に保管されている遺棄化学兵器は、2027年中に廃棄を完了する予定である。

(2)武漢及び忻州又はこれらの代替地の処理場
黒竜江省以下以外の保管庫に保管されている遺棄化学兵器を廃棄する。武漢の廃棄事業は2024年中に完了する予定であり、忻州の廃棄事業は2025年中に完了する予定である。

中国における遺棄化学兵器処理事業について
2023年7月
内閣府    遺棄化学兵器処理担当室

回収数 98293発
処理数 65894発    ※中国に遺棄してきた毒ガス弾はこんな数ではないと思うが?
(2023年3月現在)


死去の森村誠一さん、400冊超える著作 生涯にわたり市民楽しませ、時には社会に鋭く問題提起
731部隊を研究、常石敬一さん死去 79歳 神奈川大名誉教授
なぜ“群集”は暴走するのか 関東大震災100年 ある事件の問い






長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに


●処理水??放出反対!!
IAEAも原子力規制委員会も原発推進機関だ!!
処理水放出、8月末にも開始の見通し 日米韓首脳会談後に時期決定へ
市民団体が「汚染水」海洋放出に反対するキャンペーン
IAEA報告書は「処理水の海洋放出」を承認していない。中国を「非科学的」と切り捨てる日本の傲慢
福島原発処理水の海洋放出計画、国内外から不安と怒り 今夏に実施か

「汚染水はなぜ流してはならないか」小出裕章講演会
私の魚はあなたの魚


【声明】処理汚染水の海洋放出決定に抗議する
見解:IAEA 包括報告書はALPS 処理汚染水の海洋放出の「科学的根拠」とはならない 海洋放出を中止し、代替案の実施を検討するべきである
「十分な理由がある」 中国外務省、日本からの輸入水産物の全量検査を正当化 福島第一原発の処理水放出めぐり
福島原発事故10年、汚染水を海に流さないで! 原発もうやめよう!
「汚染水放出反対」釜山の市民団体が訪日へ 韓国南部の海上では抗議行動
汚染水の放出中止を!全米海洋研究所協会が声明
「これ以上、海を汚すな!」 原発汚染水海洋放出に世界各地で「反対」の声
処理水の放出反対 日韓最大野党の議員らが声明 立憲内からは懸念も
日本に渡っていった韓国野党、ついに「IAEAは国連の傘下ではない…新しい機構必要」
香港政府、処理水放出なら「10都県からの水産物輸入禁止」…中国と足並みそろえる
グリーンピースは、汚染水をもっと堅牢で大型のタンクに保管し、現在より精度の高い分離技術を開発するすることを、安全で実効的な解決策として提案しています。
なぜなら、海外ではすでにトリチウムを分離する技術が運用されているからです。
福島には、今以上のタンクを設営するスペースも、十分あります。


福1の処理水放出で思い出すビデオ!!


処理水報告書「中立性欠く検証」 韓国野党、IAEA批判
「サンモニ」目加田説子氏、福島原発処理水を「汚染水」と表現 IAEAの行動「政府手助けに見える」
今さら聞けない「汚染水」のホントとウソ、まとめました
社民党議員 処理水放出反対の韓国野党と連携
処理水の海洋放出に反対 宮城県議会が全会一致で可決

「処理水放出に反対」、福島県の漁業団体が4回目の決議…日本国内の世論は
韓国国会が処理水放出反対決議案可決 野党が強行
駐日中国大使 処理水の海洋放出に反対(2023年7月4日)
広島市教育委員会 被爆の実相の隠蔽!!
はだしのゲン 被爆描いた漫画、なぜ削除 広島市教委に抗議相次ぐ
「第五福竜丸」の記述 平和教育の教材から削除へ 経緯をおさらい

●ウクライナ戦争は即時停戦を!!
戦争禁止条約はできないのだろうか??
【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(14日の動き)
日本、クラスター弾供与反対せず 松野氏、被害低減策に言及
核使えば「すぐ終戦」 ロシア前大統領が威嚇
ザポリージャ原発“爆発物” ウクライナとロシアが非難の応酬
アメリカ政府 ウクライナへのクラスター爆弾の供与を発表
クラスター弾供与に反対 英首相




長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに

 



「731部隊少年隊・平和祈念館」清水英男さんの証言

看護師らが患者を…「滝山病院 暴行事件」
松本清張と帝銀事件第2部



・日本は核兵器禁止条約に署名し、批准すべきだ!!
・日本は生物兵器禁止条約に、1972年4月10日(署名開放日)に署名,1982年6月8日に批准した。
・日本は化学兵器禁止条約に、1993年1月に署名し、1995年9月に批准した。
・核兵器禁止条約が、2021年1月22日に発効したが、日本は不参加。オブザーバー参加もしていない!!
●防衛省は、『衛生学校記事』・『化学学校記事』を公開していない!!日本の自衛隊は、何をやっているのか、国民に情報を公開すべきである!!

大炎上「赤坂自民亭」は何が問題だったか
●情報公開裁判「衛生学校記事」裁判 第1審東京地裁8月29日(火)判決!!






秘密保護法の廃止を求めます!!



軍拡反対!!

広島市民のG7反対デモ5.20

広島市民のG7反対デモ5.21

広島市民のG7反対デモ5.21続


被爆者インタビュー


高校生「原爆の絵」


【速報】女川原発2号機 再稼働差し止め認めず 仙台地裁

【今日でちょうど60年、独占告白】被差別部落出身の青年が「殺人犯」として不当逮捕された…「命の恩人」は三鷹事件で逮捕された男だった


【ヒロシマを理解したのか】91歳の被爆者サーロー節子さんが見たG7サミット


秋葉前広島市長へのインタビュー


核なき世界へ


上田紘治さん




5月13日東京新聞
帝銀事件
帝銀事件①
戦後最大のミステリー「帝銀事件」犯人は何故被害者と同じ毒物を飲んで死平気だったのか?冤罪?真犯人は旧陸軍?
登戸研究所資料館 / 20181215講演会「帝銀事件と陸軍登戸研究所」





ビキニデーin高知


太平洋での核実験で被害を受けた日本人漁民の証言


ビキニ被災者より聞き取り

足摺岬サンセットクルーズ(高知県)

ジョン万次郎の生家を訪ねて(高知県土佐清水市)

宗田節工場見学(高知県土佐清水市)

震洋艇壕跡(高知県土佐清水市)

幡多ゼミOB・顧問と対談

特別交流会

全体集会第1部

全体集会第2部

ビキニ被ばく船員訴訟報告

広島・長崎の原爆
映画「ひろしま」
放射能汚染の恐ろしさ
核被災に苦しむウイグルの人々
放射線を浴びたX年後
731部隊展





ワクチン開発と戦争犯罪




731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―





731部隊の実態をきちんと伝えよう!!


資料





飯田市平和祈念館問題~731部隊の展示をめぐって~

731部隊・100部隊展
一市民と行政が創る「飯田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一

飯田市の資料収集委員の方が作ったパネル


731部隊で行われていたこと


731部隊で行われていたこと


旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」検討委員会の初会合 長野・飯田市


「証言 石井四郎」~語られた人物像~
731部隊論文 「検証を求める会」設立 京大の責任を問う
京大「人体実験とする根拠なし」 731部隊論文 本調査はしない方針
学者・研究者の歴史認識・軍事研究を問う!!
福島 雅典京都大学名誉教授





「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」


ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展

 


731・原爆・ビキニ


2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12月21日(水)
3、731部隊について新しいことを知った。
・戦争免責 戦争犯罪を問うより、実験データを入手する方が重要。
・グローブス少将の残留放射能に対する見解。(51歳以上、市内、図書館)

 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

 

 

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

 

 

※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります。

 



日本の中国東北侵略から92年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

1月4日
煙台炭坑 分遺隊上番 晴れ温度最高零上5度 最低零下18度
十五夜の寒月冷し

此の煙台炭坑に於いてもまた同じ事であらう 露人が発見―これを守るために一個小隊の露軍が派遣され採炭を始めたのに今では日本が此れを行ひ 二千名からの支那人を使用し日夜探炭しつつある現状は まず日本に生まれたことを喜ぶ前に 最初此れに手をつけた露西亜人の心情 又は自分の手で自分の国を掘り 人に取られる支那人の事を思えば感慨無量である。これを守りこれを末永く・・・机上の外交や単に軍隊の力でこれを確保してゆくことが出来るであろうかしら ああ、正月の初めから大きなことばかり書いて仕舞った






「ずっと父が嫌いだった」

軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
あとがき

 今年もやがてなくなった人たちの八周忌が近づく。広島では多くの家庭が、一度に応じきれぬ寺院の都合を思い、繰り上げたり繰り延したりしていとなむ法事をそろそろひらきはじめる頃であるが、その座に坐った人たちの閉された心の底にどのような疼きが鬱積しつつあるかということを果して誰が知り得るであろうか。それはすでに決して語られることのないことば、決して流されることのない涙となっているゆえに一層深く心の底に埋没しながら、展開する歴史の中で、意識すると否とに拘らずいまや新しいかたちをとりつつあり、この出来事の意味は人類の善意の上に理性的な激しい拡大性をもって徐々に深大な力を加えつつあるのである。


メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書

 

 




●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』
731研究会編

Ⅰ 731部隊

731部隊を破壊する
1945年8月14日に行った事

溝淵俊美(みぞぶちとしみ)
731部隊・教育部

〈経歴〉
1922年生まれ
1943年 731部隊入隊。教員部配属
1945年 教育助教勤務。ソ連侵攻時部隊警備隊指揮班長
1945年8月 帰国
■この証言は手記『平房燃ゆ』からの抜粋で、本人の了解を得てまとめたもの。


8月14日
 午後7時。列車は発車した、大部分が石炭を満載した無蓋列車(屋根のない貨車)で、中々スピードは上がらなかった、指令車からの命令で、全員が小銃に弾を込めた。暗くなった“北満”の広野を、列車はひた走った。

注 1945年6月、「満州第731部隊」の秘匿名は「満州第25202部隊」に変更された。同時に支部の秘匿番号も以下のように変更になった。
関東軍防疫給水部全体ー満州第25201部隊
同 ハルピン本部ー満州25202部隊
同 牡丹江支部 ―満州25203部隊
同 林口支部  ―満州25204部隊
同 孫呉支部  ー満州25205部隊
同 ハイラル支部ー満州25206部隊 












日本軍政下香港(1997.7.27)

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行


速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)
被控訴(附帯控訴)指定代理人(矢野)
甲第690号証を示す

被控訴(附帯控訴)指定代理人(矢野)
パウエル論文に関連いたしまして、「ヒル・レポート」について確認しておきたいと思います。 まず「ヒル・レポート」について確認したいんですが、証人はパウエル論文の中に「ヒル・レポート」が紹介されていると御指摘になりましたが、このレポートの全文が引用されているわけではなくて、 直接引用されているのは最後の部分だけでございますね。

 その通りです。

この「ヒル・レポート」現物を証人はいつ頃入手されましたか。

 私は1984年の秋です。

昭和59年ですね。

 そうです。


 






消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」




●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)




Ⅴ エスカレートする作戦 1939‐1941

1 イペリット・ルイサイトの実験的使用

華北での使用
 注目すべきことは、中国の民間人の被害は少なくするが、生じてもやむを得ないという立場を取っていることである。 第3国人(ここでは欧米人)の被害は絶対に避けると言っているのだから、人種差別(民族差別)的発想が現れていると言えるだろう。また、「雨下はこれを行わず」と言っているので、飛行機からの毒ガスの撒布は行われなかった。これは「短時間に大量〔のガス〕を要」すため「雨下は効なし」という結果が、中国東北における人体実験を含む「特種試験」により出たからである。こうして、ガス爆弾の投下、ガス砲弾の発射、地上でのイベリットの撒布が行われることになる。この指示によってどの程度の実験的使用が行われたかはよくわからないが、少なくとも次のことは確実である。










海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!




大久野島の歴史

Ⅴ:敗戦と大久野島

①証拠隠滅

 このように敗戦直後の証拠隠滅によって、資料や書類が焼却され、毒ガス工場の実態が全く隠されてしまいました。そのため敗戦後、大久野島の実態を明らかにしようと思っても、工場で働いた人の名簿すら残っていないために、大久野島毒ガス工場の全貌を解明することは難しくなっています。現在でも、戦争中、何人が大久野島で働いたか、どのぐらいの人が毒ガス傷害で働けなくなり、医務解雇されて島から追放されたかも明らかになっていません。大久野島に残っている殉職碑の中には納められている戦争中の大久野島での被害者の名前はわずか3名です。そのために、大久野島での毒ガスによる被害者は3名に過ぎないと間違った認識を持つ人もいますが、そうではありません。相当な数の人々が大久野島に働きに行って死亡していると考えられます。敗戦後約1ヶ月経過した後の1945年9月11日、東京第2陸軍造兵廠忠海製造所は閉鎖となり、当時の従業員約1300のうち80%は解雇となりました。残った従業員はその後の工場の整理や連合軍の指示のもと毒ガス処理作業に従事しました。

 




SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶



認定NPO法人化学兵器被害者支援​日中未来平和基金




 




核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

血の会食
市場に砲弾を撃ち込んで略奪


宮崎敏夫
砲手 兵長

〈略歴〉
学歴 旧制中学校卒業
旧部隊名 第59師団第54旅団第109大隊歩兵砲中隊
年齢41歳

「オイッ、宮崎、明日は正月だ、今夜は年越しの会食をやる、今から材料を集める、細かいことは福富の指揮を受けろ」
と、言葉を一寸切って、もう一度、4人の顔をジロリと見まわし、薄笑いを浮かべ、
「その為、お前らを指名したのだ。いいか、うまくやれッ」

 中尉は、それだけを言うと、キチンと立っている4人に背を向け、肩をそびやかし、馬に乗っていった。
木下軍曹の指示で、初年兵が砲脚の穴を掘った、宮崎は少し離れた所で砲隊鏡(大型の望遠鏡)をのぞいた。
市場迄800m、城門から100m程離れた少し低い場所にある市場には、赤いのぼりが風に揺れ、その下に屋台店らいいのが並び、白い湯気や、煙が立ち上り、左の方へ細長く続いている。




●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著


第3編 主要極秘文書
1 三矢研究

3 自衛隊が必要とする作戦資材等の供給に関して対米折衝を促進する。
〔別紙第7〕国防中央機構等の整備に関する事項
 1国防中央機構等の整備は、情勢の推移を勘案して、法令の整備と相まって、逐次段階的にかつ 機能発揮の均衡性を配慮しつつ実施する。
 2整備を必要とする機構等を次の通りとする。
(1)戦争指導機構
    基研№1準ずるもの、但し国家情報委員会のは設置済み
(2)民防衛機構(郷土防衛隊)
(3)国土防空機構
(4)交通統制機構(航空を含む)
(5)運輸統制機構
   海運
   陸運
   空輸
(6)通信統制機構
(7)放送、報道統制機構
(8)経済統制機構






●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

4 公害調査に名を借りたBCW作戦

蛍光粒子使用の意味
 米陸軍生物戦争研究所のリロイ・ウォースエギルの生物兵器に関する発表によると、「無害化した炭疽病菌」を水滴の大きさ1~5ミクロン、有効成分5%を含む霧状の雲がジェリージリット装置(発射機)からエアロゾル化して発射する。このスプレー作戦では、海岸2マイル沖の海軍の小型船後部デッキから2マイルにわたって陸地に向かって散布しているのだが、細菌を含んだ霧状のこの雲は広大な地域をエアロゾルで覆い、約100㎢が汚染地域となり、風下23㎞にまで達した、と報告している。





●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年



 1928年11月から12月にかけて、即位礼は最高潮を迎えた。11月には帝国中の市町村と首都で何十万もの人々が祝宴や賞典式に参加し、何百万もの学童が旗行列や提灯行列に加わった。天皇の仁愛を示すため、この年に貧者の救済や叙位叙勲に数百万円が費やされた。13~14世紀から19世紀にかけての尊皇家にも位階が追贈された。さらに政府は天皇の名で、原敬の暗殺者を含む3万2968人に減刑を行い、植民地でも2万6684人に減刑をほどこした。このほか大赦に浴したものは1万6878人にのぼった。道府県と市町村の当局は、君主制の新時代を拓く活動に空前の数の一般国民を参加させる事業を開始した。





IMAGINE9
解説

9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
世界は、9条をえらび始めた。

05
基地をなくして緑と海を取りもどしていく世界


  基地をなくして、緑や美しい海を取りもどし、きれいな空気がよみがえる。それが、人びとにとっての本当の「平和」ではないでしょうか。それは、人びとが 「平和に生きる権利」を確保することでもあります。
 フィリピンでは、1992年、国民的な運動の結果、米軍基地はなくなりました。韓国ではピョンテクという場所に新たな米軍基地がつくられようとしていることに対して、人びとは反対運動を続けています。
 沖縄では「もう基地はいらない。美しい海を守りたい」と、辺野古での新しいヘリポート建設に反対する人たちが活動しています。自分たちの土地がイラクやアフガニスタンを攻撃する拠点と して使われることに黙っていられないと、世界の人びとは立ち上がっているのです。
 かつて日本やアメリカに占領されてきた歴史をもつミクロネシアの憲法は、その前文で、次のようにうたつています。
「ミクロネシアの歴史は、人びとがイカダやカヌーで海を旅したときから始まった。私たちの祖先は、先住民を押しのけてここに住んだのではない。ここに住んでいる私たちは、この地以外に移ろうとは望まない。私たちは、戦争を知るがゆえに平和を願い、分断された過去があるがゆえに統一を望む」









【そもそも解説】防衛装備移転三原則の見直し 今なぜ武器輸出拡大?
憲法9条を生かそう!!



『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について

~ご理解していただきたいことを文章にしました~

2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)

鹿屋海上自衛隊内にある「鹿屋航空基地史料館」は、自衛隊とは全く別の、戦争のコマとされて亡くなった(命令によって特攻に行かされ、現場から上層部に無謀な作戦であると意見しても、全く無視された中で、更に多くの若き兵士たちが犠牲者となった)戦没者たちの史料館なので、別の場所に移動し、公的機関管理の『平和祈念資料館』(もしくは「平和祈念会館」~鎮魂と平和=憲法九条を明確にして平和を発信する「庶民のための」資料館)にすればいいとの考えに、ようやく、数十年かけて、たどり着き、まとまってきました。場所は、どこでもいいでしょうが、例えば、(平成の大合併で鹿屋市に吸収された)串良町平和公園内(海軍串良航空基地跡~特攻で363名戦死)でもいいでしょうし、その場合、既に鹿屋市内にて活動している「平和ガイド」の方々も力を合わせていけるのではないでしょうか。



『PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会・6月25日』の参加者感想文
2023.6.25
14、ありがとうございました。勉強の途上です。PTSD日本兵の問題、とても重要だと思います。この問題に永らく日本人は気付いて来なかった、覆い隠されてきたことが又大きな問題だと思います。
戦争責任という言葉が出されたと思います。正に戦争責任(天皇や政府の)隠ぺい問題と、日本兵のPTSDの隠蔽が繋がったように思います。埋もれたPTSD日本兵の家族の問題を掘り起して行く活動に大変期待しており、可能な限りの協力をさせていただきたいと思います。