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処理水放出計画 中国とロシアが日本に対し共同で質問を提出
第76回:日航123便はなぜ墜落したのか(森永卓郎)
福島第一原発の処理汚染水海洋放出に市民団体が反対 「東電の垂れ流しは犯罪行為だ」
「日の丸・君が代」強制許すな 教育関係者ら「新たな戦前」への危機感語る
戦後78年「つなぐつながる」核の悲劇を後世に残そうと学ぶ若者たち=静岡
麻生氏「戦う覚悟」発言の異常さ。そもそも、国交ない台湾との軍事関係強化は外交ルールの逸脱では
「尹大統領に任せられない」…韓国野党、国連に「日本汚染水阻止」陳情書提出へ
核抑止からの脱却を 台風で屋内開催、一般参列なし―78回目、長崎原爆の日
6日、広島原爆の日 「核抑止論は破綻」宣言へ
核のごみ最終処分は「国の責任」っていうけど…大丈夫? 文献調査が進む北海道の町村で起きていること
●日本が戦時中に使用して、中国に棄ててきた毒ガス兵器。
その遺棄化学兵器の処理が化学兵器禁止条約が発効した1997年から26年経ってもまだ終了していない。本当に内閣府の計画通り、今までに発見されている遺棄化学兵器は、2027年までに処理が完了するのであろうか?
中華人民共和国において日本が遺棄した化学兵器の2022年より後の廃棄計画
内閣府
日本国政府及び中華人民共和国政府は、「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」(以下「条約」という。)の関連規定に従い、化学兵器禁止機関(以下「OPCW」という。)執行理事会の決定(2012年2月15日付けの第67回化学兵器禁止機関執行理事会決定第6号)に関し、協議を行い、中華人民共和国において日本が遺棄した化学兵器(以下「遺棄化学兵器」という。)の処理のプロセスを全面的に加速し、人員の安全確保及び環境の保護を最も優先させるとの前提の下で、可能な限り早期に遺棄化学兵器の廃棄を完了することを目指して最善の努力を払うとの共通認識を確認し、2022年より後の廃棄計画について以下の共通の認識に達した。
1 移動式廃棄処理設備を使用した遺棄化学兵器の廃棄
日本国政府は、引き続き移動式廃棄処理設備を使用し、ハルビン(黒竜江省)において廃棄事業を実施するとともに、高機動型の移動式廃棄処理設備を使用し、武漢(湖北省)、忻州(山西省)、ハルビン(黒竜江省)又はこれらの代替地の処理場において廃棄事業を実施する。
中国における遺棄化学兵器処理事業について
2023年7月
内閣府 遺棄化学兵器処理担当室
回収数 98293発
処理数 65894発 ※中国に遺棄してきた毒ガス弾はこんな数ではないと思うが?
(2023年3月現在)
死去の森村誠一さん、400冊超える著作 生涯にわたり市民楽しませ、時には社会に鋭く問題提起
731部隊を研究、常石敬一さん死去 79歳 神奈川大名誉教授
なぜ“群集”は暴走するのか 関東大震災100年 ある事件の問い
●長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに
●処理水??放出反対!!
IAEAも原子力規制委員会も原発推進機関だ!!
処理水放出、8月末にも開始の見通し 日米韓首脳会談後に時期決定へ
市民団体が「汚染水」海洋放出に反対するキャンペーン
IAEA報告書は「処理水の海洋放出」を承認していない。中国を「非科学的」と切り捨てる日本の傲慢
福島原発処理水の海洋放出計画、国内外から不安と怒り 今夏に実施か
「汚染水はなぜ流してはならないか」小出裕章講演会
私の魚はあなたの魚
【声明】処理汚染水の海洋放出決定に抗議する
見解:IAEA 包括報告書はALPS 処理汚染水の海洋放出の「科学的根拠」とはならない 海洋放出を中止し、代替案の実施を検討するべきである
「十分な理由がある」 中国外務省、日本からの輸入水産物の全量検査を正当化 福島第一原発の処理水放出めぐり
福島原発事故10年、汚染水を海に流さないで! 原発もうやめよう!
「汚染水放出反対」釜山の市民団体が訪日へ 韓国南部の海上では抗議行動
汚染水の放出中止を!全米海洋研究所協会が声明
「これ以上、海を汚すな!」 原発汚染水海洋放出に世界各地で「反対」の声
処理水の放出反対 日韓最大野党の議員らが声明 立憲内からは懸念も
日本に渡っていった韓国野党、ついに「IAEAは国連の傘下ではない…新しい機構必要」
香港政府、処理水放出なら「10都県からの水産物輸入禁止」…中国と足並みそろえる
グリーンピースは、汚染水をもっと堅牢で大型のタンクに保管し、現在より精度の高い分離技術を開発するすることを、安全で実効的な解決策として提案しています。
なぜなら、海外ではすでにトリチウムを分離する技術が運用されているからです。
福島には、今以上のタンクを設営するスペースも、十分あります。
処理水報告書「中立性欠く検証」 韓国野党、IAEA批判
「サンモニ」目加田説子氏、福島原発処理水を「汚染水」と表現 IAEAの行動「政府手助けに見える」
今さら聞けない「汚染水」のホントとウソ、まとめました
社民党議員 処理水放出反対の韓国野党と連携
処理水の海洋放出に反対 宮城県議会が全会一致で可決
「処理水放出に反対」、福島県の漁業団体が4回目の決議…日本国内の世論は
韓国国会が処理水放出反対決議案可決 野党が強行
駐日中国大使 処理水の海洋放出に反対(2023年7月4日)
広島市教育委員会 被爆の実相の隠蔽!!
はだしのゲン 被爆描いた漫画、なぜ削除 広島市教委に抗議相次ぐ
「第五福竜丸」の記述 平和教育の教材から削除へ 経緯をおさらい
●ウクライナ戦争は即時停戦を!!
戦争禁止条約はできないのだろうか??
【随時更新】ロシア ウクライナに軍事侵攻(14日の動き)
日本、クラスター弾供与反対せず 松野氏、被害低減策に言及
核使えば「すぐ終戦」 ロシア前大統領が威嚇
ザポリージャ原発“爆発物” ウクライナとロシアが非難の応酬
アメリカ政府 ウクライナへのクラスター爆弾の供与を発表
クラスター弾供与に反対 英首相
●長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに
「731部隊少年隊・平和祈念館」清水英男さんの証言
看護師らが患者を…「滝山病院 暴行事件」」
松本清張と帝銀事件第2部
・日本は核兵器禁止条約に署名し、批准すべきだ!!
・日本は生物兵器禁止条約に、1972年4月10日(署名開放日)に署名,1982年6月8日に批准した。
・日本は化学兵器禁止条約に、1993年1月に署名し、1995年9月に批准した。
・核兵器禁止条約が、2021年1月22日に発効したが、日本は不参加。オブザーバー参加もしていない!!
●防衛省は、『衛生学校記事』・『化学学校記事』を公開していない!!日本の自衛隊は、何をやっているのか、国民に情報を公開すべきである!!
大炎上「赤坂自民亭」は何が問題だったか
●情報公開裁判「衛生学校記事」裁判 第1審東京地裁8月29日(火)判決!!
●秘密保護法の廃止を求めます!!
軍拡反対!!
広島市民のG7反対デモ5.20
広島市民のG7反対デモ5.21
広島市民のG7反対デモ5.21続
被爆者インタビュー
高校生「原爆の絵」
【速報】女川原発2号機 再稼働差し止め認めず 仙台地裁
【今日でちょうど60年、独占告白】被差別部落出身の青年が「殺人犯」として不当逮捕された…「命の恩人」は三鷹事件で逮捕された男だった
【ヒロシマを理解したのか】91歳の被爆者サーロー節子さんが見たG7サミット
5月13日東京新聞
帝銀事件
帝銀事件①
戦後最大のミステリー「帝銀事件」犯人は何故被害者と同じ毒物を飲んで死平気だったのか?冤罪?真犯人は旧陸軍?
登戸研究所資料館 / 20181215講演会「帝銀事件と陸軍登戸研究所」
ビキニデーin高知
太平洋での核実験で被害を受けた日本人漁民の証言
ビキニ被災者より聞き取り
足摺岬サンセットクルーズ(高知県)
ジョン万次郎の生家を訪ねて(高知県土佐清水市)
宗田節工場見学(高知県土佐清水市)
震洋艇壕跡(高知県土佐清水市)
幡多ゼミOB・顧問と対談
特別交流会
全体集会第1部
全体集会第2部
ビキニ被ばく船員訴訟報告
広島・長崎の原爆
映画「ひろしま」
放射能汚染の恐ろしさ
核被災に苦しむウイグルの人々
放射線を浴びたX年後
731部隊展
ワクチン開発と戦争犯罪
731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―
731部隊の実態をきちんと伝えよう!!
資料
飯田市平和祈念館問題~731部隊の展示をめぐって~
731部隊・100部隊展
一市民と行政が創る「飯田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一
飯田市の資料収集委員の方が作ったパネル
731部隊で行われていたこと
731部隊で行われていたこと
旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」検討委員会の初会合 長野・飯田市
「証言 石井四郎」~語られた人物像~
731部隊論文 「検証を求める会」設立 京大の責任を問う
京大「人体実験とする根拠なし」 731部隊論文 本調査はしない方針
学者・研究者の歴史認識・軍事研究を問う!!
福島 雅典京都大学名誉教授
「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」
ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展
731・原爆・ビキニ
2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12月21日(水)
2、とても詳しく書かれてあり、分かりやすかったです。3才の時被爆した方のお話は初めて聞く機会でした。残念ながら今まで聞く機会がなかったので、これからもこの様な話をいろんな所でしたらいいと思う。受付の方の話が少し気になりました。(折角の体験談を語っている時)(51歳以上、町田市、友人)
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります。
日本の中国東北侵略から92年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
1月4日
煙台炭坑 分遺隊上番 晴れ温度最高零上5度 最低零下18度
十五夜の寒月冷し
立ててある自動車は何も知らないであろうが 立てて動かす人には実に悲惨ではないか。私は白系露人の心情は知らない いかに今でこそ国を追われ故郷を捨ててはいるが 矢張り彼らには露西亜は自分の国だ 自分の故郷もある・・・・懐かしい・・・・この位の意識は充分持ち合わせているだろ。日本の旗を立てるのも単に客を当てとしたのでなく やむを得ざる国力の差異ではなかろうか。
「ずっと父が嫌いだった」
軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
あとがき
だがこの回想は嘆きと諦めの色彩を帯びながらも、浮動してゆく生活のあけくれ、残された者たちの肩につみ重ねられてゆく重荷の中で常に新しい涙を加え、血のしたたりを増してゆく性質をもち、また原爆の極度に残虐な経験による恐怖と、それによって全く改変された戦争の意味するものに対する不安と洞察によって、涸れた涙が、凝りついた血が、ごつごつと肌の裏側につき当るような特殊な底深さをもつものとなっている。
メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
731部隊を破壊する
1945年8月14日に行った事
溝淵俊美(みぞぶちとしみ)
731部隊・教育部
〈経歴〉
1922年生まれ
1943年 731部隊入隊。教員部配属
1945年 教育助教勤務。ソ連侵攻時部隊警備隊指揮班長
1945年8月 帰国
■この証言は手記『平房燃ゆ』からの抜粋で、本人の了解を得てまとめたもの。
8月14日
乗り遅れる者がいないように、各分隊長は自分の分隊員の員数確認を急いだ、それでも足りない分隊があり、兵舎や63棟、炊事場、倉庫などを探し回った。中には悠々と寝ていた者もいた。
列車が入って来たのは、午後4時頃であった。私はガソリン掘り作業の人員に急行伝令の任務を果たし、分隊長独自の判断で分隊乗車予定の一番最後の列車に、米、砂糖、乾燥味噌、乾燥醤油や簡単に調理してすぐに食べられる食品を積み込むように命令した。まず、何十俵かの米を敷き詰め、その上に食料品を置き、その上に毛布を敷いた、向かうところは朝鮮の江界の炭坑跡と聞いたが、そこでどのような生活が待っているのか、また、いつまでそこに駐屯しなければならないのかもわからない。当座の日常生活ができる品物は欠かせない。
日本軍政下香港(1997.7.27)
●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)
被控訴(附帯控訴)指定代理人(矢野)
甲第690号証を示す
被控訴(附帯控訴)指定代理人(矢野)
パウエル論文からは分かりませんよね。パウエル論文から何がわかるかというと、今のことは分かりませんね。
パウエル論文の中にはこの部分がもちろん紹介されているわけです。その部分はフェルという風には明記されていないのです。おっしゃる通りです。
今の話はパウエル論文の中に、くどいようでございますが、ウェッターとスタブルフィールドの覚書に書いてあるということが一部紹介されているだけですね。
おっしゃる通りです。
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)
Ⅴ エスカレートする作戦 1939‐1941
1 イペリット・ルイサイトの実験的使用
華北での使用
1つは、5月13日に発令された大陸指第452号で、閑院宮参謀総長は「北支那方面軍司令官〔杉山元中将〕は現占拠地域内の作戦にあたり黄剤等の特種資材を使用しその作戦上の価値を研究すべし」と指示している。(図6参照)。 これは、現物は廃棄されてしまったが、かろうじてマイクロフィルムの中に残っているもので、びらん性ガス等を実験的に使えと命令している。この「等」の中には ホスゲン・青酸も含まれるであろう。また、使用の事実を隠すため「万般の処置」を講ずること、特に「第3国人」に対する被害と情報漏洩をなくすこと、軍人以外の一般中国人に対する被害を「極力少なからしむ」こと、実施は山西省の「僻地」で「秘匿の為に便利なる局地」に限定し「試験研究の目的を達する最小限」とすること、という細やかな注意を付している。大本営陸軍部は細心の注意を払って、いわゆる致死性ガスの実験的な実戦的使用に踏み切ったのである。
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!
大久野島の歴史
Ⅴ:敗戦と大久野島
①証拠隠滅
さらに作業に従事すれば高い割増賃金を出すと言われ、皆が渋々命令に従ったそうです。機密文書はもちろんのこと大久野島毒ガス工場で働いた人の名簿などの関係書類も焼却処分されました。また 毒ガスボンベや解体したら毒ガス製造の機械や器具などが細かく切断され、証拠隠滅のため深夜、大久野島近海の水深が深い海底に投棄されました。現在でも大久野島近海に投棄されたものが眠っていると考えられます。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶
中国と日本には、多くの被毒者(毒ガス被害者)がいる!!
チチハル事件以後、一時金は出ているが、不十分である!!
山下基之弁護士の話
認定NPO法人化学兵器被害者支援日中未来平和基金
核時代39年(1984年)5月初版発行
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
血の会食
市場に砲弾を撃ち込んで略奪
宮崎敏夫
砲手 兵長
〈略歴〉
学歴 旧制中学校卒業
旧部隊名 第59師団第54旅団第109大隊歩兵砲中隊
年齢41歳
やがて、中尉が馬を走らせてきた。当番の高村兵長が、あえぎあえぎついてくる。馬を降りるとと中尉は、長い軍刀を鷲づかみに、ガニ股に拍車をガチャガチャさせながら、真っすぐ林の方へ歩いてきた。
「服務中、異常ありません」
宮崎は、カチンと軍靴の踵を合わせ、敬礼した。
中尉はフチなし眼鏡の底から、蛇のように冷たい眼でジロリと4人を見まわし、胸をそらしてうなづいた。
北の村からは、しきりに太鼓の音が聞こえてきた。中尉は、双眼鏡を取り出してジーッとそれを眺めていたが、やがて双眼鏡を下すと、福富の顔を見、薄い唇を歪めてニヤリと笑った。
●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
1 〔別紙第2〕外交及び安保条約運営に関する事項
日米安全保障条約の運営の基本を次の通りとする。
(1) 米国の朝鮮作戦に対する支援は従来通りの積極方針を堅持する。
(2) 我国に対し武力攻撃を生起した場合は、米軍から為し得る限り最大の支援を確保する。
(3)条約第6条の実施に関する交換公文による事前協議については、米軍の要請があった場合は、
核兵器のわが国への持ち込みを除いては、全面的に包括承認を与える。但し公文による事前
協議事項についてはその都度の通知を求める。
(4)将来核兵器の日本国内持ち込みが、直ちに必要な情勢となった場合は、持ち込まれた核兵器の
使用に関しては事前に必ず日米両国政府の完全なる合意を必要とする条件のもとに承認する
予定である。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
4 公害調査に名を借りたBCW作戦
蛍光粒子使用の意味
自衛隊が「公害防止対策に貢献」するべく、通産省と山口県が行なった調査に「全面的に協力」して支援したというこの調査方法を見るならば、いささかでも軍事知識を持つものならば、直ちにこの「公害調査」支援が自衛隊にとって一つの名目に過ぎず、生物・化学(細菌・毒ガス)戦争における攻撃及び防護の作戦訓練であったことに気づくはずであった。なぜなら、蛍光粒子を使用するこの方法は、生物・化学兵器特に生物(細菌)兵器の発射及び汚染区域の訓練特有のもので、岩国の公害調査でも、「適度の湿気」を有する気象条件をもとに、しかもサンプリングの収集を容易にするため紫外線の下で、蛍光を発する性質を持つ、直径2ミクロンの亜鉛化カドミウムの粒子など(エアー・トレーサー=発煙弾、曳光弾)を発射している。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
Ⅲ
1928年1月に始まり、11月の初めに頂点に達した即位礼の儀礼と祭典は、若い天皇のための新しい君主像の創出を推し進めた。儀式は、来たるべき即位における天皇の覚悟を報告するため、彼が神武天皇および4人の先祖の陵に使者を派遣することから始まった。同時に、宮中3殿で行われる1年間の祭祀の日程が公式に発表された。続いて2月5日、天皇は太陽神天照大神にささげる稲を、どの地方で栽培すべきかを占う儀式を行った。春から夏、秋と移るにつれ、行事の歩調は速まった。政府の役人や有名知識人は新聞、ラジオ、講演会などを通じて、天皇制イデオロギーの再生の意図で国民を教化した。それは、公式の「国体」思想に反する共産主義、無政府主義などの異端思想への明確な対決を表現していた。
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
世界は、9条をえらび始めた。
05
基地をなくして緑と海を取りもどしていく世界
世界中に、戦争に備えるための軍事基地がつくられています。アメリカは、40カ国700カ所以上に軍事基地をもち、世界規模で戦争の準備をしています。
日本にもたくさんの基地があります。
基地の周りでは、兵士による犯罪が大きな問題になっています。基地周辺の女性が暴力にあう事件がひんぱんに起きています。ひどい騒音もあります。
基地による環境汚染は深刻です。ジェット機の燃料がたれ流されたり、危険な毒物、金属、化学物質が土地を汚染しています。こうした問題を、国はいつも隠そうとします。国は、汚染した土地の後始末にさえまじめに取り組もうとはしません。それでいて、「基地は平和と安全を守る」と繰り返しています。基地の周りの人びとの暮らしは「平和や安全」とはとても言えたものではありません。
軍事基地はつねに、植民地に設置されるなど、立場の弱い人たちに押しつける形でつくられてきました。先住民族は押さえつけられ、その権利や文化は奪われ、人びとの精神や心理さえもむしばまれてきました。
【そもそも解説】防衛装備移転三原則の見直し 今なぜ武器輸出拡大?
憲法9条を生かそう!!
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
この史料館を順路通りに歩いていくと、数々の遺影や、遺品のコーナーがあり、そこで写真を見たり、遺書・手紙の類(検閲を受けたもの)を読む人々も多いです。そして、出口へと向かう最後のコーナーでは、自衛隊戦闘機の操縦席とか、世界平和に貢献する自衛隊ポスターとか、自衛隊賛美のような内容のコーナーを通るという順路になっています。戦没者たちを自衛隊のためにまさに利用する行為は、戦没者たちを踏みにじり冒涜する行為だと思います(近年、展示の仕方や順路等の変更があったとしても、展示の根本思想は同じだと思います)。ですから、この史料館は、他の場所に移設(新設)し、平和祈念会館などの名前で、公的機関が管理すべきではないかと、思うに至りました。少なくとも、自衛隊敷地内に史料館を置いて、まるで戦没者たちが、彼らの持ち物でもあるかのように思い違いし、彼らを正当化するために、利用されてはならないと思います。一人ひとりの戦没者たちは、自衛隊から、解放されるべきです。
『PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会・6月25日』の参加者感想文
2023.6.25
13、罪悪感を解放するために酒を飲む人もいれば、”力”を行使した満足感、それを現在も行使したい欲求が酒を理由に実行できた(ひどい行いとして表現できずため込んでいた)人、いろんなタイプがいたのだろう。民族・地方・貧困差別を行使する政治権力者にも脈々と受け継がれ、影響を受けているのが私たち日本人を含めた、在日外国人、被差別部落者、沖縄、アイヌ、性的マイノリティーなど、日本の全住民だと考えられ慄然とした。