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旧日本軍の毒ガス戦、戦後の処理
第2回遺棄化学兵器処理事業情報公開訴訟口頭弁論 2023.3.23
安保3文書改訂の正体~中国は、日本の敵なのか?~
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反核や平和への訴えも…ノーベル賞作家・大江健三郎氏が死去
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一市民と行政が創る「飯田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一
731部隊論文 「検証を求める会」設立 京大の責任を問う
京大「人体実験とする根拠なし」 731部隊論文 本調査はしない方針
学者・研究者の歴史認識・軍事研究を問う!!
福島 雅典京都大学名誉教授
厚労省は新型コロナワクチンデータを開示せよ!
【特集】ワクチン後遺症~副反応ではない 慢性的な後遺症の訴え
コロナワクチン接種 遺族団体“健康被害の救済認定速やかに”
2023年3月9日 20時47分
新型コロナウイルスのワクチンを接種したあとに亡くなった人の遺族でつくる団体が、厚生労働省で会見し、予防接種法に基づいた健康被害の救済制度の認定を、速やかに進めることなどを国に求めました。
新型コロナウイルスのワクチン接種をめぐっては、副反応で健康被害が出たり死亡したりした場合、予防接種法上の救済制度の対象となり、接種との因果関係が否定できないと国が認定した人には、医療費や死亡一時金などが支給されます。
9日の会見には、おととし10月に、当時36歳の夫が2回目を接種した3日後に亡くなり、先月、救済申請が認められた須田睦子さんらが出席しました。
この中で須田さんは「夫が亡くなってから、当時、おなかの中にいた娘と上の子3人を育てていけるのか、不安の中で毎日を過ごしていました。接種の中止が一番の思いですが、せめて同じ不安を抱えている多くのご遺族の迅速な救済を望みます」と訴えました。
このあと団体は、救済制度の認定を速やかに幅広く進めることや、ワクチン接種後の突然死などについて、国が研究を進めることなどを求める要望書を、厚生労働省に提出しました。
救済制度には、先月10日時点で6219件の申請があり、死亡30件を含む1622件が認定されていて、厚生労働省は「審査の回数を増やしており、できるだけ迅速に対応していきたい」とコメントしています。
留守名簿はなぜ全部開示されない??
731部隊展
“捨てられる裁判記録”は誰のものか
日本の機密文書管理はきちんと行われてりるのだろうか?隠蔽されている??機密文書も時間が経過したら、きちんと公開すべきだ!!日本にも積極的な情報開示を求めます!!
【バイデン大統領】自宅から別の機密文書見つかる
6861ページのほとんどが黒塗り!~遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟第1回公判
根岸恵子
情報開示請求をしたら、提出された6861ページのほとんどが黒塗りだった。化学兵器禁止条約に照らして旧日本軍が中国各地に遺棄した毒ガス弾の処理はどうなっているのか。情報のほとんどを私たちは知ることができない。そして無毒化されることのない砒素を含んだ毒ガス弾の行方は闇に葬られようとしている。
ジャーナリストで映像作家の稲垣美穂子さんは、中国に遺棄された化学兵器によって理不尽にも被害に遭った人々に思いを寄せ、日本政府の対応や処分事業などを取材してきた。そして最終処分場として有害物質を含んだ残存物がドイツに運ばれることを知り、情報公開を請求したが、黒塗りの書類では何もわからないと裁判に訴えることにした。
その第1回の公判が1月24日、東京地裁で開かれた。稲垣さんは「多額の税金を投じた国家事業であるにもかかわらず、その内容を明らかにしようとしないことは、許されることではありません」と訴えた。
遺棄毒ガス問題
新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??
鳥インフルでの殺処分は適切なのだろうか??
鳥インフルの処分数 全国で1000万羽超える 過去最多
多摩動物公園でカモが鳥インフル陽性 あすから休園
「はだしのゲン」の何が問題視されたのか 広島市教委の平和学習教材から外された理由
日本は、きちんと謝罪・補償すべきだ!!
元徴用工問題で賠償「肩代わり」 韓国で反発相次ぐ(2023年3月7日)
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高市氏 放送法めぐる行政文書“自身関係はねつ造 辞職考えず”
【随時更新】ロシア ウクライナに軍事侵攻(24日の動き)
「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」
ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展
731・原爆・ビキニ
2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12月25日(日)
20、所用によりご挨拶のみとなり誠に恐縮な次第です。見たこともない資料も多く、時間の都合とは言え、残念でした。来年こそじっくりと拝見させて頂きます。又何かしらお手伝いできることがありましたら、ご連絡ください。よろしくお願い申し上げます。(21~50歳、市内、友人)
★新宿戸山の陸軍軍医学校跡地から見つかった人骨についての番組を見たい方は
下記のギガファイル便をダウンロードしてください(4月26日までダウンロード可能です)。
桜の下に眠り続ける死者たち
https://81.gigafile.nu/0426-f28efe24152e71e1bbe5a9daa5171a2b4
飯田市平和祈念館の問題と清水英男さんの証言
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
医療倫理・研究倫理の深化
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
。
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com
日本の中国東北侵略から92年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
五月十七日
晴 風なし 分遣下番 第一六列車 日曜日 四週目の鞍山 姿が変る。
午前七時起床す。第十六列車にて下番 今日は日曜の事とてピクニックらしい人出だ。
大分日本人が多い。野辺の花取りか温泉に行くんだろうよ。下番者は二人なり萩野と僕だ。鞍山の駅からあの広場並木通小学校のポプラ営内の木々 皆姿をかえていた非常にと言ふてもよい位変っていた
中隊を出た時には少しも葉のなかった木々が 今は枝さえ見えない位に青々としている。
「ずっと父が嫌いだった」
軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
墓標
君たちよ出てこないか
やわらかい腕を交み
起き上ってこないか
メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
731部隊破壊と証拠隠滅作業
ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない
篠原鶴男(しのはらつるお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたもの
部隊での生活
私達は早速、731部隊員としての教育を受けることになりました。はじめのうちは何が何だかわからないままおりましたが、日が過ぎるにしたがって部隊の様子が段々はっきりしてきたのです。当時日本の医学界ではトップクラスの医学者が部隊に入れ替わり立ち替わり出入りしていて、ロ号棟の解剖室では毎日のように生体実験が繰り返されていると聞いておりました。部隊本部2階の陳列室には1000種類もの、人体の各臓器がホルマリン漬けの標本になってガラスの容器に入っていました。またこの731部隊では細菌戦に備えて、日本の法定伝染病をはじめ、20数種類の菌を培養生産していたのです。私達はまず1番先に消毒学の教育を受けましたが、今考えてみると、細菌を使用しての攻撃的な行動隊員となるためにそれが必要だったからだと思います。
日本軍政下香港(1997.7.27)
●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
第4 むすび
以上、筆者は、731部隊についての家永の原稿程度の命題が、本件検定の行われた1983(昭和58)年当時、学界で既に確立した認識であったこと、これに対する検定意見やそれを指示する見解が明らかに事実の基礎を欠き、または歴史学の方法に関する常識に照らして、根本的な誤りを含んだものであることを明らかにした。
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)
Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始 1937―1938
1 日中戦争の全面化と毒ガス戦
また、垣曲(えんきょく)東方で苦戦に陥り、7月6日には死傷者が500人に達した弘前第108師団の中野支隊(支隊長・中野直三少将)からも、毒ガスの使用許可を求める電報が度々届いたが、「戦況不利の場合之に頼らんする悪風を生ずるは適当をなら」ずという理由と、「敵に国際的悪宣伝の資料を与ふる」という理由で、第1軍は許可しなかった。
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!
大久野島の歴史
Ⅱ:毒ガスの島への変貌
①第1次世界大戦と日本
1915(大正4)年4月ドイツ軍がベルギー領イープルの戦いでフランス・アルジェリア連合軍に対し、塩素ガスによる毒ガス攻撃を行いました。毒ガスは1899(明治32)年8月に締結された「毒ガスの使用に関するハーグ宣言」で使用が禁止されていました。にも関わらずドイツ軍は大量の塩素ガスを放射し、多くの連合軍兵士を死傷させました。さらに1917(大正6)年7月、ドイツ軍はイープルの戦場でびらん性ガスであるイペリット(マスタード)ガス弾5万発を使用イギリス軍兵士を殺傷しました。ドイツの毒ガス使用をきっかけに、第1次世界対戦では参加した各国が毒ガスを使用するようになりました。各国は新しいガスマスクや毒ガスの開発に力を入れ、より殺人能力の高い毒ガスを開発し使用しました。その結果、第1次世界対戦での毒ガスによる死傷者は約130万人に及びました。犠牲者の中には、非戦闘員が多く含まれ、子どもたちの命も多く奪われたのです。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶
核時代39年(1984年)5月初版発行
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
汚された泉
井戸へ放り込み惨殺
杉本千代吉(すぎもとちよきち)
大尉
〈略歴〉
学歴 中学高卒業
旧部隊名 第59師団第54旅団第45大隊
出身県 静岡県
年齢 38歳(1919年生まれ)
頭大の石は1,2回側壁に当たり、跳ねながら落ちていく。おお命中だ・・・思わず私は手を打った。だが黒影はさっと石を避けていた。「ドブン」大きな水の音、しぶきが側壁と農民の体をバサアと洗った。
「畜生!おい、何をぐずぐずしているんだ。早く石を持ってこい」カッとなった私はうっぷんを部下にぶっつけた。軍靴がガサガサ辺りを乱れ動いた。
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)
研究―四
三矢研究事前研究項目(対米関係事項)
第3 日本直接防衛のための日米共同作戦
3日本領域に対する敵の本格的攻撃作戦の開始又はそれが切迫した場合、日本防衛戦略態勢上の脆弱性を早急に是正するための作戦についての考え方
(3)要約
現段階における日本防衛戦略態勢上の脆弱性は、軍事のみならず、政治、経済、社会等各般にわたり大なるものがある。
これらの脆弱性の是正は、日本独力による解決は困難なものが多く、米軍の戦略的支援作戦に負う所が大きい。
また、米軍の攻撃作戦により敵を防勢に追い込む着意が必要であるとともに、全面戦回避のため慎重な考慮が必要である。これがため日米の緊密な作戦調整が特に重要である。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
機動隊の催涙ガス作戦
1968年1月のいわゆる佐世保事件で、警察機動隊が使った「催涙ガス」(CN)が大きな社会問題になった。それが69年1月の東大本郷安田講堂事件では、催涙弾の直撃を受けて負傷者428人、失明1人、重傷者76人を出すというこれまでにない残虐行為が行われ、「化学兵器」のもつ非人道性が大きく非難されるところとなったのである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
1、摂政時代と大正デモクラシーの危機
Ⅳ
摂政時代の裕仁と側近たちは、軍部がほかの国家機関に対して特権を保持する政治体制の連合政権的性格を無条件に容認していた。この体制のもとでは、陸海軍大臣は現役の将官のなかから選任されるため、どの内閣も必然的に武官と文官が連合した「文武連合・混成」内閣になる。
1888年から1945年まで日本を統治した42の混成内閣では、「軍部は、軍人閣僚をとおすか、天皇を経由する以外に道がなかった。摂政が若くて経験に乏しい間、軍人閣僚や統帥部の長は、病気で能力を欠く天皇にも、未経験の摂政にも、決定以前の政策論議を伝えないようにしていた。しかし、摂政に対するこの配慮にもいくつか重要な例外があった。
IMAGINE9
解説
02
武器をつくったり売ったりしない世界
世界ではいま、 武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
憲法9条を生かそう!!