細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
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日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
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731部隊全景
スペイン風邪ー恐怖の連鎖ー(続編)
731部隊の真実
東京ブラックホールー戦後0年

戦争を停止する道を探れないのか??

No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!








Why is America not actively moving towards peace ??
Почему Америка не движется активно к миру??
何故アメリカは、和平に向けて積極的に動かない??

Article 9 of the Constitution to the World Constitution !!
Статья 9 Конституции Всемирной Конституции
憲法9条を世界憲法へ!!

RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, world forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.


ОТКАЗ ОТ ВОЙНЫ Статья 9.
Искренне стремясь к международному миру, основанному на справедливости и порядке, мир навсегда отказывается от войны как суверенного права нации и от угрозы или применения силы как средства разрешения международных споров.
Для достижения цели предыдущего абзаца сухопутные, морские и воздушные силы, а также другой военный потенциал никогда не будут сохранены. Право воинственности государства признаваться не будет.

戦争の放棄
第九条 世界は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

I want the United Nations to do everything in its power to stop Russia's invasion of Ukraine!!

Я хочу, чтобы Организация Объединенных Наций сделала все возможное, чтобы остановить вторжение России в Украину!!

国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!

I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire !!

Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!

憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!
Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!






ウクライナ侵攻、10代の素朴な疑問 今の時代になんで戦争?
モハメド・アリ 勇気の連鎖
世界の生物兵器開発はどうなっているの??


「議論自体ありえない」 安倍元首相「核共有」発言に被爆者ら批判


ビキニデーin高知
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
室戸フィールドワーク(マグロ漁船の見学)
忘れられたビキニ被災者たち
ビキニ事件と俊こつ丸
新聞記事からの報告
裁判の報告
世界の核被害問題と解決の取り組み
中満泉ビデオメッセージ
核兵器禁止条約発効の時代に生きる世代へ
閉会の挨拶
なぜ医学界は、核被害を訴えないのか?
731からフクシマまで1
731からフクシマまで2
731からフクシマまで3
731からフクシマまで4









2022.4.14 日中国交正常化50周年記念 緊急集会
「中国は敵ではない。東アジアは平和と繫栄の基礎。東アジアで2度と戦争を起こさない」
「日中対立を促すアメリカ軍事戦略を問う~米本土の盾にされる日本の行方~」
2022年4月「表現の不自由」展
延期されていた「表現の不自由展・東京」がはじまる 最高裁の決定が後押しに
都内で予定の「表現の不自由展」にまた妨害──憲法によって言えること・言えないこと


東京で表現の不自由展開幕 抗議受け10カ月遅れ
私たちは忘れない
元日本軍「慰安婦」の女性 沖縄とインドネシア
映画「主戦場」予告編
日本軍が占領した海南島で



大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

        重慶無差別爆撃

重慶爆撃(戦争のはじまり)


昨年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)
新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影
核なき未来へー被爆二世からのメッセージ

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
14日(日)
・731部隊の全景のことと1940年に改名されたことが勉強になった。
(50代、市内)

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com



日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』



一月二二日

無神経な者でも食べれない。カンメン包をかじりつつ午後0時半出発。愈々吹雪ははげしくなるが演習が始まる。酷寒と耐寒を兼ねたような行軍だ。歩いている間は暑いが休めば体中がいたくなる位寒い。道の半分は畑だ。下手に道など歩けば氷ばかりだ。数えきれないくらいころんだ人がある。面白いようであるが 危険此の上ない。演習は一三が攻撃だ。
初日だというのに山から山 雪野から雪野と斤候  命が縮まる 汗びっしょり部落戦闘に日本軍の威力を示しつつ舎営部落に急いだ。雪ますますはげしく非常に困難なり。


「ずっと父が嫌いだった」






軍都広島での物語
知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。


死!

もうゆれる炎の道ばた
タイコの腹をふくらせ
唇までめくれた
あかい肉塊たち
足首をつかむ
ずるりとけた手
ころがった眼で叫ぶ
白く煮えた首
手で踏んだ毛髪、
むしこめる煙、ぶっつかる火の風
はじける火の粉の闇で
金いろの子供の瞳
燃える体
ける






映画「ひろしま」予告編
メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
原爆初動調査ー隠された真実
広島スピーチ
核兵器をめぐる今 世界は広島・長崎をどう見るか 高原孝生(明治学院大学国際学部教授)
【ダイジェスト】高原孝生氏:「核なき世界」の実現を阻むもの
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅲ 細菌戦部隊の周辺

陸軍病院の軍医として
14人の中国人を生体解剖した

湯浅謙(陸軍軍医)
■この証言は新宿・渋谷731部隊展(1993年7月)、東京東部同展(93年8月)、千葉同展(93年9月)、石川(金沢)同展(1993年11月)ほかの『報告集』よりまとめたもの。

(経歴〉
1916年生まれ
1941年10月 短期現役軍医として旭川28連隊入隊
1942年2月  北支山西省潞安陸軍病院附
1945年8月  現地で敗戦を迎え、年末に国民党軍の徴用を受け人民解放軍と交戦
1949年4月  解放された人民政府病院勤務
1951年2月  捕虜として捕虜収容所へ拘束される
1952年12月 戦犯として太原監獄へ収監
1956年6月  起訴免除により帰国

 はじめての生体解剖

また弾丸の摘出や腸をつなぐ練習をする。10人ぐらいの軍医でやりました。そして胸の方は胸部貫通銃創が課題です。出血で窒息しますから切開器をぐっと喉頭部に刺すと、ぱぁーと空気と共に血が噴き出す。真っ赤な血です。気管を鳥の毛でもって払い、カニューレというのを入れると、喉がひゅろひゅろいいます。気管切開の練習ですね。





戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)
日本軍政下香港(1997.7.27)

●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳

解説
証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に

変化する収容者たちの意識

 運動不足の解消については、先の話にあったように、収容者たちの側で検討することになった。そこで、各棟ごとに対策を話し合い、いろんな案を持ち寄って中国側と協議した結果、労働とスポーツで体を鍛えることにした。労働は、近くの村に、煉瓦と瓦を造る工場を建て、そこで働く。スポーツは、誰でもできるものをと、所内にプールを作って水泳をすることになった。棟ごとに交代で、工場とプール作りを始めたが、自発的に決めて始めた作業であるだけに、みんな積極的に働いたという。

日清戦争従軍カメラマン・第2次大戦への10年 

消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」



●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題


4 毒ガス戦をめぐる歴史資料と国会論戦

「陸軍省大日記」をめぐって

 これと似たような事例は、中支那派遣軍司令部「徐州会戦及安慶作戦に於ける特種煙使用の戦例及成果」(1938年7月)という毒ガス戦資料にも見られる(『資料集Ⅱ』資料44)。この資料の存在はすでに1985(昭和60)年に目録から確認されていたが、防衛庁防衛研究所図書館から「プライバシー保護を理由に、非公開との説明を受けて閲覧できない状態」にあった(粟屋憲太郎/吉見義明「毒ガス戦の真実」)。そして、1994(平成6)年になって、国会議員の要求に対して防衛庁がこの資料のコピーを送付し、その内容が新聞で報道され(『毎日新聞』夕刊1994年7月14日)、ようやくその全貌を確認することができるようになった。
 「陸軍省大日記」に収録された毒ガス戦関係資料をめぐってはこのような経緯があった。以上の資料は、現在は『陸支密大日記』に戻され、目次も元の状態に直されている。









海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)

旧横浜ゴム平塚製造所記念館

明治38年、軍用火薬製造のため、日本海軍と英国の3企業(アームストロング社、チルウォース社、ノーベル社)の合弁で日本火薬製造株式会社(明治40年に日本爆発物製造株式会社と改称)が設立され、本社はロンドン、支店・工場は平塚に置かれた。
工場は明治40年頃に完成したが、この洋館は、英国人支配人の執務室または住居として同時期に建設されたものとも、同44年に焼失し翌年再建されたものとも言われる。
大正8年、会社が日本海軍に買収され海軍火薬廠として発足すると、この洋館は横須賀水交社(海軍将校の社交クラブ)の平塚集会所となり、昭和20年の終戦まで続いた。
戦後は、占領軍による接収を経て、昭和25年、横浜ゴム株式会社が敷地ごと払い下げを受け応接や会議に使用したが、平成16年に平塚市へ寄贈され、同22年に八幡山公園に移築公開された。



・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験


35人に被害、3人は重体

紅旗09号船の中毒患者リスト
職種       姓名         備考
水夫      佟氷雷        臨時工
水夫      李江         臨時工
コック     裴養         臨時工
動力機長    鮑守安        熟練工
副々動力機士  張振海        熟練工
機関士     賈芝芳        熟練工




SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行


田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

 「馬鹿野郎ッ、こんなものに手を出して・・・早く消毒しろッ」顔に薄笑いを浮かべて出てきた宇田は“実験中”と書いた札をさしながら、あざけるように私をなじりました。「馬鹿な、こんなものに手なんか出すものか」私はいらいらした怒鳴りつけたいような気持ちを押えながら、特別班の解剖室に入って行きました。
 解剖台の上は解剖が終わったばかりらしく、“血流し”には真っ赤な鮮血が流れ、下に置かれているガラス瓶の中にポタリ、ポタリと落ちていました。大きな解剖刀は中国人の鮮血を吸って真っ赤な血糊がついています。「オイッ、田村、俺は電話してくるから器材を消毒しておけ、すぐ始めるからな」と宇田は出て行きました。


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密
第2章 日米共同作戦

3 空の共同作戦

防空作戦の協定

教範『防空作戦』は、アメリカ軍などとの共同作戦を重視し、次のように記述している。

 「(作戦計画)策定にあたっては、全般作戦特に与国との協同作戦を重視し、計画のふん合を図ることが重要である。・・・・連合与国航空部隊との調整は、協同作業の基本方針に基づいて、対応する指揮官と、防空作戦指導の要領特に対空警戒警報、基地の使用及びこれに伴う相互の支援、対空射撃、航空救難ならびに他の航空作戦に関する事項等について行なう」。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦


5 生物・化学戦における被害想定

化学剤死傷見積り

 G剤風下危険見積り
(1)友軍の攻撃によるGB剤危険
無装面の友軍部隊に対する安全距離決定の簡易法の手順は、
ア、目標の風向直角幅を、㎞で測定する。
イ、目標地域に散布されるGB全重量を、ポンドで算定する(1弾当りのGB充填量×射撃弾数)。
注:1弾当りの平均充填量(ポンド)は第8表参照。
ウ、GB全重量を、目標幅で割り、第12表の第1欄に挿入し、所望の危険度(通常、無視し得る危険)及び予想気温傾度から、風下危険距離を求める。 


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!


第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年

第一章少年と家族と明治の遺産


 教師たちは、明治天皇を手本に、皇太子を多面的な役割を担う天皇に育てようと腐心しつつ、国の歴史の公的な解釈を教授した。それは、神に始まる彼の祖先の神話に見らるナショナリズムや人種主義の要素と結びついたものだった。彼は皇太子として、権力と権威の行使に個人的責任を問われない道徳的存在である一方、国中の小学校や軍の学校で説かれているのと同じ神話を注入された。伝統・勲功華族の国家的階統の頂点に立つ皇族の全員が、皇太子を神の子孫であると認めていたわけではないにしろ、彼自身はこの観念の有効性を理解していた。それは究極的に、裕仁自身の独自性に寄与するはずだった。