細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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プーチン対アリ
No War!!Stop War!!



I want the United Nations to do everything in its power to stop Russia's invasion of Ukraine! !!
Article 9 of the Constitution to the World Constitution! !!

Я хочу, чтобы Организация Объединенных Наций сделала все возможное, чтобы остановить вторжение России в Украину! !!

Статья 9 Конституции в Конституцию Мира! !!



国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!
憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
憲法9条を世界憲法へ!!



Article 9 The world sincerely seeks international peace based on justice and order, and the war in which national rights are exercised and the threat or use of force by force are forever used as a means of resolving international conflicts. Abandon.
②, In order to achieve the purpose of the preceding paragraph, the Army, Navy, Air Force and other forces, will not hold this. The state's right to engage does not recognize this.

Статья 9. Мир искренне стремится к международному миру, основанному на справедливости и порядке, а война, в которой осуществляются национальные права, а угроза силой или ее применение навсегда используются как средство разрешения международных конфликтов.
② Для достижения цели предыдущего абзаца армия, флот, военно-воздушные силы и другие силы не будут его удерживать. Право государства заниматься этим не признает.


第九条 世界は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


Русские солдаты! !! Часть 2 Russkiye soldaty! !! Chast' 2(ロシアの兵士の皆さん!!パート2)




ロシア軍兵士の皆さん!!
直ちにウクライナから
撤退してロシアに戻りましょう!!

Русские солдаты! !!
Сразу из Украины
Отходим и возвращаемся в Россию! !! 
Russkiye soldaty! !!
Srazu iz Ukrainy
Otkhodim i vozvrashchayemsya v Rossiyu! !!

NO WAR!! STOP PUTIN!!
ロシアはウクライナ侵攻をやめろ!!




プーチン政権と闘う女性たち


マリウポリ市長が語った“地獄”【インタビュー詳細】
ウクライナ大統領府顧問 徹底抗戦続ける構えを強調

モハメド・アリ 勇気の連鎖
国連人権理事会からロシア“追放” 93か国の賛成により採択
世界の生物兵器開発はどうなっているの??


ロシアに抗議しよう!!
在日ロシア連邦大使館
〒106-0041 東京都港区麻布台2-1-1
電話:03-3583-4224
FAX:03-3505-0593
E-mail: tokyo@mid.ru
駐日ロシア連邦大使館









2022年4月「表現の不自由」展
延期されていた「表現の不自由展・東京」がはじまる 最高裁の決定が後押しに
都内で予定の「表現の不自由展」にまた妨害──憲法によって言えること・言えないこと


東京で表現の不自由展開幕 抗議受け10カ月遅れ
私たちは忘れない
元日本軍「慰安婦」の女性 沖縄とインドネシア
映画「主戦場」予告編
日本軍が占領した海南島で
全貌226事件



大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

        重慶無差別爆撃

日米戦は重慶で始まった
重慶大爆撃(日本ニュース)
重慶大爆撃(苦干)
重慶爆撃(戦争のはじまり)






加藤哲郎講演会「パンデミックと731部隊」(特別集中講座「ヒロシマ講座」)
加藤哲郎講演第1回
オリンピックに翻弄された日本のパンデミック対策ー731部隊から感染研・ワクチン村へ

加藤哲郎講演第2回
映画「スパイの妻」と731部隊ー「幻の東京オリンピック」の影で進められた細菌戦と人体実験

加藤哲郎講演第3回
多磨霊園フィールドワーク

加藤哲郎講演第4回
731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―

加藤哲郎講演第5回
731部隊と100部隊の戦後責任ー永寿総合病院から見える731部隊とワクチン村
731部隊と100部隊の戦後責任ー永寿総合病院から見える731部隊とワクチン村

加藤哲郎講演第6回
生き残った感染症村・ワクチン村・優生思想ー厚生省・厚生技官・医療政治と差別の問題
加藤哲郎講演第7回(最終回)
感染症の世界史への日本の遺産 お話:加藤哲郎さん




昨年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)
新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影
核なき未来へー被爆二世からのメッセージ




2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月18日(木)
・断片的に知り得ていた事が少し繋がってきた。知らなかったことが多すぎる事がわかった。45分間の見る時間を予定していたが足りない。再度の見学で続けたい。
(70代、市内)

ドイツと日本の謝罪の違い






 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

 

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.

 




日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


1月4日
煙台炭坑 分遺隊上番 晴れ温度最高零上5度 最低零下18度
十五夜の寒月冷し
 此の煙台炭坑に於いてもまた同じ事であらう 露人が発見―これを守るために一個小隊の露軍が派遣され採炭を始めたのに今では日本が此れを行ひ 二千名からの支那人を使用し日夜探炭しつつある現状は まず日本に生まれたことを喜ぶ前に 最初此れに手をつけた露西亜人の心情 又は自分の手で自分の国を掘り 人に取られる支那人の事を思えば感慨無量である。これを守りこれを末永く・・・机上の外交や単に軍隊の力でこれを確保してゆくことが出来るであろうかしら ああ、正月の初めから大きなことばかり書いて仕舞った


「ずっと父が嫌いだった」






軍都広島での物語
知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

その日はいつか



君は黙って途中まで足早に来た、
何かの気配でうつ伏せたとき
閃光は真うしろから君をち
がおさまり意識が返ると
それでも工場へ辿りつこうと
逃げてくる人々の波を潜り此処まで来てれた
この出来事の判断も自分の中に畳みこみ
そのまま素直に眼を閉じた、


メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
原爆初動調査ー隠された真実
広島スピーチ
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅲ 細菌戦部隊の周辺


大腸菌の大量培養をしていた
実験用ネズミが逃げて・・・・

斎藤陽
防疫研究室

〈略歴〉
1916年生まれ
1937年 現役兵として入隊
1939年 中国・広東省で負傷。後除隊
1940年 防疫研究室に軍属として勤務
1945年 空襲による防疫研究室被災により出所せず
◆この証言は「人骨焼却公金支出差止請求訴訟」の為に準備した“陳述書”をまとめたもの。

ネズミが逃げて大騒動

又、ある時防疫研究室敷地内を散歩中に、厚い防水天幕で覆った、人の丈ほどの高さの野積みされた積載物があり、何かなと思いました。帰室してそのことを話すと、先輩に「あれは“マルタ”が入っているので、立入禁止区域で見つかると始末書を取られるぞ」と注意されました。それ以前より、人体実験用の人体及び実験済死体を“マルタ”と呼ぶこと、それがハルピンから送られてきているということは、雑談などで聞いておりました。
 このようなことはその時が初めてでした。


戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)
日本軍政下香港(1997.7.27)

●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳

解説
証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に

戦争犯罪と裁判
 第3は、旧「満洲国」関係。前述のように、日本軍が1931年9月に「9.18事件」を起こし、これをきっかけに全満洲を占領。翌年、日本の傀儡国家である「満洲国」なるものをでっち上げた。実体は、日本の植民地であり、「満洲開発」と称して資源を収奪、敗戦に至るまで14年間、中国人民を支配し、東北抗日義勇軍や抗日連軍などの武装闘争に代表される抗日運動に対しては、朝鮮と同様に厳しい弾圧を加えた。




日清戦争従軍カメラマン・第2次大戦への10年 


消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」



●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題


3 証拠隠滅と戦犯免責

毒瓦斯に関する思想統一に関する件
20・12・21 総務課

 毒瓦斯に関する事項に関しては、終戦直後より思想統一を図り、本趣旨に基き連合国側の要求に応じ資料提出等を実施し、中央の関係事項は殆ど終了せるが如きも、現地部隊長に於いて〔陸軍〕中央との関係もありその答弁に苦しむ向きあるを以て、中央現地を通じその思想特に之が用法に関する点を統一し、明確なる態度を以て事に望み得る為、下記の如く所要に応じ関係者に連絡決裁。



海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)

2002年9月の相模縦貫道工事中の事件
2002年9月25日 、寒川町内に建設中の「さがみ縦貫道 (現在の圏央道の一 部)」の工事現場から液体入りの古いビール瓶が見つかりました。一部が掘削作業中に破損したが、その液体の近くで作業を行っていた作業員 8人が10月1日以降、顔や足などに痛みを訴えて通院。
 いずれも痛みを伴う水ぶくれが顔や胸、足などにできるという症状が確認されたが、治療に当たった医師は「原因不明のため治療困難」としていました。
 現場が第二次世界大戦中、相模海軍工廠があった場所ということもあり、壊れていないビール瓶を数本回収し、防衛庁に対して内容物の鑑定を依頼しました。 この結果、中身が毒ガスとしてサリン被害防止法の対象物質として指定されている「イペリット (マスタードガス)」と、催涙剤の「クロロアセトフェノン」だったことがわかりました。大戦中に本土決戦用として海軍が確保していた「黄 1号乙」と呼ばれていたガスです。この被害者のうち、Aさんは、現在も下痢の慢性化、手足の指が白蝋化しているなど体調不良で通院しています。Bさんは、2019年に肺がんで亡くなっています。

略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)

西寒川から木更津に運び、南方戦線へ??


遺棄毒ガス・砲弾被害賠償請求事件 東京高裁 判決 2007.7.18
中国での毒ガス兵器遺棄を巡る戦後補償問題





第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
百年の悲劇は、ここから始まった1
百年の悲劇はここから始まった2

 





  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

松花江にも毒ガス砲弾

 中国の東北地区のちょっと年を取った人なら誰でも皆この事実を知っているか、聞いたことがある。それは1945年、日本軍が敗戦時にたくさんの武器、弾薬を東北地方に捨てていったという話だ。筆者らが東北地区の調査を行なったときもこうした話はよく聞いたし、ある所では、遺棄された大量の砲弾を目にもした。そして、その遺棄毒ガス弾によって傷ついた人々がいるという話も耳にした。だが、当時日本軍が遺棄した、それらの強力な毒ガス弾は、証拠隠滅の為、秘密裏に事が運ばれ、関連資料は既に全て処分され、当事者は堅く口を閉ざしたままである。したがって毒ガスが遺棄された正確な場所や数量を調べる方法がないのである。

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

軍医の野天解剖


小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

土倉は白い粉末の毒薬を注ぎ込んだ。男の苦しみは頂点に達し、全身をくねらせ痛む腹と胸を押さえようとして腕を持っていこうと必死に反転するが、力むたびにかえって麻縄は腕首に深く食い込み、紫色のはれ上がったところから血がにじみ出てきた。軍医は薄い唇に冷たい笑いを浮かべて男を見守り、時計を見比べている。25秒、30秒、・・・・男はググーッとこみ上げてきたと思うと、カーッと血を吐いた。


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
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(2021年2月4日)

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める






●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー

『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密
第2章 日米共同作戦
1 平時機構と軍事協定

訪米時の密談
レアード長官は、核問題について次のように述べている。
「核抑止の問題については、それと核兵器の所在 (positioning)の関係が重要なcredibirity上の要因になる。抑止力と兵器の所在は、タイアップしたものとして理解されるべきである。なぜなら、核兵器のcredibirityは核兵器がどこにstoreされているかにかかわる。したがってcredibirityを維持するためには、核兵器のpositioningについてlightlyに(軽く)考えてはならないと思う。平和を維持するために、アメリカの核抑止力が必要であることや、そのcredibirityの重要性を認識していただけるならば、責任ある政策決定者は80年代にかけてtough decision(きつい決断)に迫られることもあると思う。われわれは核を使わずに,その抑止効果によって平和を維持せねばならない。その抑止効果を高めるためにもpositioningについては慎重に考え、かつtough decisionに備えるべきだと考える」(21ペ‐ジ)。




第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦


3,自衛隊における人体実験の疑念 

生体実験の事実

 アテノウイルス4型の新兵熱についての意義=園口将補、42,5、「日本医師会雑誌」
インフルエンザワクチンと他ワクチンの併用=園口将補、42、10「日本医事新報」2270号。
インフルエンザワクチンの皮内接種=園口将補、42、12「日本医事新報」2278号。
インフルエンザ・アジェバンドワクチンの野外研究、第6報、新流行株に対する抗体上昇効果=時岡2佐、42、4「防衛衛生」14巻4号。
インフルエンザ・アジェバンドワクチンの野外研究、第7報、同化性アジェバントワクチンの接種=時岡2佐、42、10「防衛衛生」14巻10号。
1966年に行なわれたインフルエンザ生ワクチンの野外研究=時岡2佐、42,11、「防衛衛生」14巻11号。
 これは67年に明らかにされた研究の一部を摘記したに過ぎないのであるが、インフルエンザ・アジェバントワクチンの野外研究は、武山の少年工科學校と、千葉県下志津の高射学校、勝田の施設学校の生徒を対象として実験を行なっている。



南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年

第一章少年と家族と明治の遺産


1907年には、韓国支配のため韓国皇室を操縦するという日本の長年の努力も、新しい段階を迎えた。韓国皇帝高宗は9月、韓国の保護国化が皇帝の公式承認なしに進められたことを訴えるため、ハーグの平和会議に3人の使節を送った。列強は、日本の保護国でもある韓国には外交権がないとして、高宗の使節の会議出席を拒否した。この日本を当惑させた事件のあと、明治天皇は韓国皇室との関係を強めるため、皇太子を韓国に派遣した。嘉仁が10月末に帰国した直後、明治天皇は、高宗を退位させ、その嗣子の皇太子を東京に住まわせるという伊藤の案に賛成した。李垠を連れてくるのは、公式には教育を受けさせるためとされたが、実際には韓国皇室にこれ以上の反日行動を取らせないためだった。1907年12月15日、10歳の李垠は伊藤に手を引かれて皇孫御殿を訪問し、迪宮、秩父宮、高松宮に会見した。続く2年余り、明治天皇は李垠の保護者となり、それまで自分の孫にも示したことのないほどの心をかけ、贈り物を与えた。その間に寡頭政治家たちは、韓国の地位を保護国から植民地に転換する重要な決定を行った。迪宮兄弟を訪問するとき、伊藤はいつも李垠を連れて行った。