細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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11月14日(日)~19日(金)
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2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月16日(火)
・原発の誕生についての映像は、とてもよくまとめられていて良かった。
(80代、市外)

ドイツと日本の謝罪の違い






原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 

 

 

 



 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
 ※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。


7月30日(金)~8月1日(日)

東京・武蔵野プレイス

 

8月3日(火)~7日(土)

徳島県阿南市

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.




日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「1931」斉藤準太郎の日記
四月十七日

晴 風あり 相変わらず使役あり 巡察あり。
平凡な被服庫の使役が終わって第十五列車にて巡察に行く 事件直後とて総員六名と云ふにぎやかさ。
今日の巡察は明日午前四時に遼陽出発首山に向ひ 午前七時首山発第三五列車にて 中隊に帰るのであるが 十七日午後七時早くも遼陽に至り 分遣隊に午前四時迄休養して行動にうつるのだ。遼陽では清水軍曹があの広場で捕らえたリス(去年八月小隊の守備勤務演習の際非常にたくさんのリスを見た)を可愛がっていた。非常に慣れが早く鼠のような体ではあるが人懐こい顔をしている。









軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

としとったお母さん

ああお母さん
としとったお母さん
このまま逝ってはいけない
焼跡をさがし歩いた疲れからか
のこった毒気にあてられたのか
だるがって
やがて寝ついて
いまはじぶんの呟くことばも
はっきり分らぬお母さん


唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

香港難民の大量虐殺
ゲルトネル菌を飲用湯に投入して・・・・

丸山茂
8604部隊

(経歴)
1917年生まれ
1938年 朝鮮・龍山の歩兵79連隊に教育召集
1939年 南支那派遣軍防疫給水部(波第8604部隊)に転属。細菌検索班に所属
1943年3月 除隊。帰国
1945年 再召集
1945年8月 朝鮮で除隊
1945年10月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1993年11月)、『短歌草原』(1992年8・9・10月号)所収「いかなる美名でも戦争への道は悪だ」よりまとめられたもの。

不審なグラフ

ある日収容所の中にいる難民の検温し、マラリアを調査してくれという命令ががありまして、収容所の中に入ろうとしたらMに注意されたんです。
「収容所の中では飲食するな。作業が終わったら、使用器材は一切消毒してから出ろよ」と彼は言ったんです。そんなことはいつでも私はやっていることで、特に注意される必要もないことなんですか、彼にそう言われ「何かあるんだなあ」と思いました。
 灘石頭には8604の宿舎があって、私も蚊を解剖する器具とか顕微鏡とかを持ち込んで作業をやっていました。マラリア検血を行った数日後、やはり同じ宿舎にいたMがグラフ用紙に何か記入しているのを見ました。彼は朝鮮で召集前、総督府の文書課び役人をしていて、統計係だったので、グラフを作るのが得意でした。


●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳








Ⅰ 東北
2 華北
4 山西
種村文三供述書(1954年8月21日)
問:中国で中国人民に危害を加える、いかなる罪行を行ったか具体的に述べよ。
答:1944年10月15日、潞安陸軍病院で衛生中尉であった時、潞安在留邦人国防婦人会の50名の会員を訓練し、戦傷の救急法を身につけさせるため、病院の中国人労働者1名を連れてきてその腕を刀で切り、止血法を実験した。
(1)119―2、106、第4号





●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか


3 毒ガス兵器から見た日本軍の諸相

日本軍と毒ガス兵器⑤ 中国戦線の日本軍の実態
 武漢攻略作戦直前(1938年8月1日)の中国戦線の日本陸軍兵士の比率は、現役兵が11.3%、予備役兵が22.6%、後備役兵が45.2%、補充役兵が20.9%となっており(防衛庁防衛研究所戦史室『戦史叢書 支那事変陸軍作戦<3>』)、約70%が若くはない予備役・後備役兵で占められていたことになる。陸軍は、「予後備兵の戦力については、陸軍は既に日露戦争で深刻な体験を得ており、その編成と運用については慎重な配慮が必要なことを強調した教訓書を持っていた」(同前)という。



第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
百年の悲劇は、ここから始まった1
百年の悲劇はここから始まった2

 





  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第8章 無辜の被害者
河北井シン(チンシン)県老虎洞 毒ガス殺人事件

九死に一生を得た生存者、范羊羔の回想
そして、急いで助けを呼びに行かなくては、と考えた。周りを探したが、人っ子一人いなかった。もう日が暮れており、歩き回っている内に道も分からなくなり、野外にうずくまって一晩を過ごした。翌日は夜が明けてからやっと、胡雷(フーレイ)村までたどり着いた。人々は私を見て言った。『老虎洞で死んだのでは?』と。『逃げて来た』と私は答えた。




SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用


 












日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)
三神高(みかみたかし)
教育助手 伍長
〈旧部隊名〉独立歩兵第42大隊歩兵砲中隊

「突かせますか?」月形軍曹の声がすると、チョビ髭少尉のあごが動いた。そしてその眼が自分の方に向いているのを三神は見た。
「お前は優秀だから、実的刺突の時は一番先にやらせる」と日頃言っていた分隊長が、今チョビ髭少尉となにか相談をしだした。≪だが、あんな丈夫な奴、うまく突き殺すことができるだろうか?もし突きそこなったらどうしようか?いやそんなことはない≫不安と動揺が去来する三神の脳裏に、薄暗い庭で薪割りをしている親父の姿が・・・日の丸を振った子どもや村人の顔などが幾重にも幾重にも重なり合って駆け巡った。

















●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める






●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー
(来年1月も証人調べが続きます)   
第33回:2022年1月14日(金)13時30分~  103号法廷 衛生学校図書室図書係2人の証人尋問予定
第34回:2022年1月24日(月)13時30分~    103号法廷 衛生学校彰古館担当者2人の証人尋問予定



『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第4章
機密国家の復活
3 刑法改正による機密保護
こうして、ふたたび独立立法としての機密保護法を追求することになったのである。代わりに改正刑法草案第140条に、公務員の機密漏示罪が新設されている。すなわち「公務員又は公務員であった者が正当な理由がないのに、職務上知ることができた機密を他人に漏らしたときは、3年以下の懲役又は禁固に処する」というものである。説明書はいう。
「公務員法等に定められた刑は、この種の行為に対するものとしては軽すぎること、国家公務員法又は地方公務員法の適用を受けない特別職公務員の中には、秘密保護のための罰則の適用を全く受けないものもあり、これらの公務員が機密を漏示した場合にも処罰の必要があること等の理由から本条を新設することとされた」 (176ページ)。




※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅰ 生物・化学兵器を告発する

4,日本本土も汚されている
姫小島の毒ガス事件

68年7月12日、午後4時から約20分にわたって、山口県岩国市に白い霧状のガス体が漂い、多くの市民の眼やノドを刺激するという事件があって、県議会で問題になった。目撃者の話をして県議会で明らかにされたところでは、岩国米軍基地の沖合約4㎞の地点にある姫小島付近から白い煙が上がったという。姫小島は以前から米軍の砲弾爆破場として使用されているところで、この日の白煙は化学兵器の破壊処分によるものに間違いないというのである。(政府は、発煙弾等を処理したものと答弁している)


南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。







●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産


東西ドイツが最終的に統一され、冷戦が終結し、世界最大の帝国ソ連が解体に踏み出す中で、「平成」(達成された平和)の新時代が始まった。政治情勢は至る所で流動化の度を強めた。日本では後を絶たない汚職による卑小な政治危機が体制を揺るがしていた。89年7月の参院選挙で自民党は戦後初めて一時的な敗北を喫した。この1年間に3人の首相が登場し、辞職した。昭和天皇の葬儀と新天皇の即位式をめぐって、支配エリート間で深刻な論争があった。天皇が即位のための一連の儀式を始めるのは、慣例による1年間の国
の服喪が明けてからだった。式典は昭和天皇の大典と同様、すべて国費で行われたが、ずっと簡素で落ち着いたものだった。国民は興味深くながめ、少数の人々は深く感動した。