細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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今年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)
新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影
核なき未来へー被爆二世からのメッセージ





2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月16日(火)
・貴重なパネル、資料により、日本軍の戦争犯罪がよく分かりました。ありがとうございました。
(30代、市外)

ドイツと日本の謝罪の違い






原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 

 

 

 



 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
 ※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。


7月30日(金)~8月1日(日)

東京・武蔵野プレイス

 

8月3日(火)~7日(土)

徳島県阿南市

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.



日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「1931」斉藤準太郎の日記


四月十六日

曇り 薄ら寒し 午前八時半起床 中隊の使役巡察あり 第一五列車。
十五日の午後十時ニ十分駅警察派出所(遼陽警察署)西巡査(日本人)○○巡補(名前はわすれる非常に親しみの深い日本人と変わらない位立派な支那人)第十八列車警戒の為に乗り、彼の巡補は其の役目に終わり一旦派出所に帰り書類の整理をした後 自宅に(派出所のすぐ裏)引き上げた時 自宅の入り口の境の中に待ちかねたらしい怪しい二人組支那人 二発の銃声に 西巡査駆け付けた時 最早人影なく青く倒れているのは巡補ばかり。拳銃はもちろん取られて 二発の弾は(長銃にて撃たれ三八式の弾より非常に大きい弾なり 鞍山満鉄病院にて切開の結果判明)胸部大腿部いずれも猛貫にて人々に惜しまれつつ、遂に死す

其の後 賊は身を隠すために約百閒ばかり離れた支那人農家に入り込み 夜の明けるのを待って逃走したとかいう。未だ捕らわれずにいる おそらく捕らわれる機会はないであろう なぜならば国が違うし 連絡機関が少しもないため一度附属地外に出れば 其の後事件でも起こさない限り不明となるであろう。
その馬賊の目的は勿論明瞭すぎる位明瞭である。来るべき高粱繁殖期に思ふ様猛威を振るはんとする其の下準備に他ならない。
其の来るべき時に出たならば、必ず国こそ違え 日本の行政権を守る日本警察の為に非常に働いた巡補である 安心して安らかに眠りに落ちるように 仇を討ってやりたい。

人情に変わりはないもの。再び首山の駅にあの頼もしい偉大な体の持主が見られないのは残念でならない。終りに結びとして死者の冥福を慰めたい。
こんな事件があった事を悲しむが、之も植民地政策の為に倒れる雄々しい犠牲のひとりであると思はば、なおさらにその英雄的な惜しさが沁みてくる(完)








軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

としとったお母さん

若いとき亭主に死なれ
さいほう、洗いはり
よなきうどん屋までして育てたひとり息子
大学を出て胸の病気の五、六年
やっとなおって嫁をもらい
孫をつくって半年め
八月六日のあの朝に
いつものように笑って出かけ
嫁は孫をおんぶして
疎開作業につれ出され
そのまんま
かえってこない
あなたひとりを家にのこして
かえって来なかった三人


唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

香港難民の大量虐殺
ゲルトネル菌を飲用湯に投入して・・・・

丸山茂
8604部隊

(経歴)
1917年生まれ
1938年 朝鮮・龍山の歩兵79連隊に教育召集
1939年 南支那派遣軍防疫給水部(波第8604部隊)に転属。細菌検索班に所属
1943年3月 除隊。帰国
1945年 再召集
1945年8月 朝鮮で除隊
1945年10月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1993年11月)、『短歌草原』(1992年8・9・10月号)所収「いかなる美名でも戦争への道は悪だ」よりまとめられたもの。

不審なグラフ
昭和17年(1942年)4月、深圳から広東市の部隊本部に戻されましたが、それから幾日もせずマラリア調査の作業のために灘石頭へ、兵・軍属計3人で派遣されました。それで香港作戦以来半年ぶりにMに会ったわけです。Mは、昭和13年(1938年)11月の召集以来の戦友で、南スホ転属後も1科で一緒に仕事をし、内務班も同じでした。
 収容所の南スホの担当者はM1人で、収容所の所長の役をやっていたようです。私の仕事は、ボウフラ、蚊の採集、そして飼育と繁殖などひまな仕事でした。ボウフラ採りに飽きると、田んぼの草をつんだり、魚を釣って夕食の膳を賑わしたものです。

●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳







Ⅰ 東北
2 華北
4 山西
証人の証言に対する審問記録(1954年12月28日)
山西省惇(忄が山偏)県人民検察院検査員冀水は、1954年12月28日、本県城関東街に於いて、賀銀柱が日本人戦犯吉沢行雄が八路軍を解剖した行為を証明していることについて、審問を行った。証人賀銀柱、男、33歳、職業農民、住所本県東街。
問:1944年9月、日本軍が本県倉街に於いて八路軍を解剖した情況を知っているか。
答:当時、私は日本軍の造第3589部隊で苦力をやっており、日本軍は河東の孫家庄、中庄村からわが軍の捕虜4人を同部隊に連行し、衛生室前のエンジュの木の下に縛り付けておいた。その晩、1人が逃げた。数日過ぎて、日本軍はこの3人を同部隊の病院に連れて行き、2人を解剖し、小笠原中士(人名?中尉?)が1人を殺した。(下略)
(1)119-2、732、3、第50号





●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか


3 毒ガス兵器から見た日本軍の諸相

日本軍と毒ガス兵器⑤ 中国戦線の日本軍の実態
第5に、中国戦線に派遣された部隊や兵員の資質の問題も重要である。兵士や部隊の質が良ければ戦闘力が高く、陸軍の軍事思想・戦術思想を体現することが期待できるはずである。
 戦前の日本には徴兵制があり、満20歳の男子は徴兵検査を受け、現役・第1補充兵役・第2補充兵役・第2国民兵役・兵役免除のいずれかに選り分けられた。甲種合格で現役として入営した場合は、2年間の軍隊生活を送った後、5年4か月の予備役に、次いで10年間の後備役となる。予備役・後備役は普段は日常生活を送るが、戦時には軍隊に召集されて戦地に派遣される。



第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
百年の悲劇は、ここから始まった1
百年の悲劇はここから始まった2

 





  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第8章 無辜の被害者
河北井シン(チンシン)県老虎洞 毒ガス殺人事件

九死に一生を得た生存者、范羊羔の回想
私たちはばらばらに這って行った。洞の口からいくらも行かない所で私は日本兵に見つけられ、『パン、パン』と2発弾が飛んできた。私はうつ伏せになって死んだふりをした。日本兵が遠くへ去ると、また這い上がって、東の尾根に向かった。胸は燃えるよう、喉は煙にまかれたようで、とにかく水が欲しかった。よろけ転びながら、東窪里の山間の掘っ建て小屋にたどり着いた。鍋の中に大根を煮たスープのようなものがあるのを見つけた。一気に2椀飲んで、一息つくと、漸く少し力が出た。頭も少しはっきりして、立ち上がることが出来た。


SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用







日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)
三神高(みかみたかし)
教育助手 伍長
〈旧部隊名〉独立歩兵第42大隊歩兵砲中隊

「畜生ッ、強情者ッ」パシッ!「言わなきゃあ、言わしてやる」帯革は幾度もうなって食いついた。そのたびに農民は力を入れて全身をくねらせた。
「こら、民兵だろう、お前は」またひとしきり帯革がめちゃくちゃに飛んだ。皮膚が破れ、血が滲み、切れた唇から鮮血がたらたらと胸に線を引いて流れた。
「我不知道!(俺は知らない!)」ぐっと歯をかみしめて射貫くような農民の眼が光った。
「なにッ、知らんッ?」殺気だった分隊長が胸が又振り上げられようとしたが、その腕は農民のその形相にぐっと食い止められたために、たじろいで下ろされたように三神は思った。三神は手に汗をべっとりと握っていた。そしてゴクリと生唾を呑み込んだ。農民の体はサッと力が抜けたようにその場に崩れ、苦しいうめきが三神やあたりの兵隊たちを押さえつけるように流れた。


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める






●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー
(来年1月も証人調べが続きます)   
第33回:2022年1月14日(金)13時30分~  103号法廷 衛生学校図書室図書係2人の証人尋問予定
第34回:2022年1月24日(月)13時30分~    103号法廷 衛生学校彰古館担当者2人の証人尋問予定



『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第4章
機密国家の復活
3 刑法改正による機密保護
 拡大される公務員の機密漏示罪
刑事法特別部会で決定された改正刑法草案は72年3月に公刊されているが、これに付された説明書は機密探知罪を設けなかった理由に触れ、次のように述べている。このなかで「特別法で詳細な規定を設ける」ほうがより適当であると指摘されていることを見逃がしてはならない。
「審議の過程では、日本国の安全を害するおそれのある防衛上又は外交上の機密の保護を十分にはかるため、この種の機密を不法に探知し、又は収集する行為、あるいは、外国の利益をはかり、又は日本国の利益を害する目的で、これを外国に通報する行為を処罰する規定を設けるべきであるとする意見があった(第1次案136条A案)。しかし、これに対しては、『機密』の概念が不明確で乱用の危険があり、新聞記者等の取材行為にまで適用することになると、憲法で保障された表現の自由を侵すことになるおそれもあること、この種の機密を保護する必要があるとしても、機密の範囲を具体的に限定して乱用の危険をなくするためには、特別法で詳細な規定を設けることとする方が適当であること、外国から武力の行使があった場合に防衛上の機密を探知したり又は通報したりする行為は、外患援助(第127条)として処罰の対象になることなどが指摘され、刑法には機密の探知等に関する特別の規定は設けないこととされた」(172ページ)。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅰ 生物・化学兵器を告発する

4,日本本土も汚されている
本土でも事件続出
塩素ガス流出事件

68年2月の衆議院予算委員会で、増田防衛庁長官が「クロルアセトフェノンは、日本の法律の毒劇物取締法に入っておりません。したがって毒ガス問題ではないし、催涙ガスである、こう考えております」という珍答弁をしているわけだが、これと同じ考え方である。
「毒性」があるのか、ないのかという質問に対して、法律で規定していないから毒ガスではないといったような馬鹿げた答弁が国会の場で大臣の口から出るくらいだから、相模原補給廠での毒ガス問題は一向に解決されるはずもないのであろう。国内法がそれを劇毒物に指定しようがしまいが、第1次世界大戦におけるイープルの闘いの塩素ガスによる2万人に上る死傷の事実と、塩素ガスの持つ激しい毒性に何らかの変化も起こるはずが無いのである。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産


首相の竹下登は公式の弔辞を発表した。その中で彼は、20世紀後半の日本の政治が前提にしてきた2つの虚構を繰り返し強調している。竹下によれば、「大行天皇」(天皇が死去して、「昭和天皇」などの追号がおくられるまでの暫定的な敬称号)は常に平和主義者、立憲君主であり、62年間の激動の時代を通して「世界の平和と国民の降伏をひたすらご祈念せられ、日々実践躬行」した。「お心ならずも勃発した先の大戦に於いて、戦禍に苦しむ国民の姿を見るに忍びずとの御決心から、御一身を顧みることなく戦争終結のご英断を下された」。
 翌日、56歳の皇太子明仁が天皇の任務を引き継いだ。彼は浩宮、礼宮、紀宮という3人の成人した子の親で、その践祚には、昭和天皇の時のような難題はなかった。短い儀式の中で、彼は日本国憲法を守ると述べた。