細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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第6回 戦争の加害パネル展

(感想)
5月9日(日)
70、知らないことが多く、貴重な取り組みだと思いました。毒ガスの調査をした北さんのご冥福をお祈りします。
(女性、50代、市内、ウェブ)





ドイツと日本の謝罪の違い

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)





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昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 

 

 

 



 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
 ※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。


7月30日(金)~8月1日(日)

東京・武蔵野プレイス

 

8月3日(火)~7日(土)

徳島県阿南市

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.



日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「1931」斉藤準太郎の日記
二月十五日
大連の港・・・これが私には一番意義深く思われた。異国?二頭立ての馬車にも、鐘の音に大陸的情緒を忍ぶ汽車の声 未だ見ぬ奉天に憧れたり 安東の鴨緑江の水に引き付けられたりして暮らした一ヵ年が過ぎた。
内地の不景気を知らぬ気に 呑気に暮らす軍隊生活の中にも決して私は忘れはしない。

主人が私を待っていてくれることを 私が独り身なら在満して思うように満州を飛び回るのにと時々思うことがある。白い鳥に驚いたり支那農家の生活を見て珍しがったりしたのは去年の事 国に帰るべき所の私には、何よりも百年の計が考えられなければならない。

軍隊生活を志願する人もあるし、遠い満州まで死に来るような不幸な人がある。「玄界灘で死ぬのも高粱畑で死ぬのも同じこと 決して決して死を恐れてはならない」と中隊長はよく云われる。然し私には大きな責任があるのだ。御主人の家で待っている。母が兄が・・・私を待っている。
私は幸福だ・・・軍隊生活二年目に初めて知った様な らしくない様な。








軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅶ 広島へのさまざまな旅


金井論説委員の提案を受けた談話会は、昨年10月、『日本国政府に対する要請』及び『日本国民に訴える』という2種の文章を発表した。それは1965年という国勢調査の年にあたっての、原水爆被災者の国勢調査という力点を明確にし、被爆者のプライバシーの問題や、琉球民政府をはじめとする国際的な拡がりにまで言及して、金井提案をおしすすめ発展させているものである。今、広島の外から広島を見つめている我々に必要なのは、この原水爆被災白書の運動に、我々自身を参加させることである。金井氏の言葉を用いれば、≪被爆者たちの人間的な呻き≫の側に立ち、≪被爆者の同志≫となることである。



原爆初動調査 隠された真実

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

南京でもやっていた人体実験
血管が切ると心臓からものすごい勢いで血が・・・・
松本博
1644部隊
経歴
1926年生まれ
1943年中支那派遣軍防疫給水部栄1644部隊配属
この証言は1995年6月、8月、11月の聞き取りをまとめたもの。


昭和18(1943)年11月の末、17歳の時に志願して中国に行きました。まず南京の中央大学病院に連れて行かれました。衛生兵でしたから、病院に勤務するのかと思ったのですが、歩兵教育を受け、その後6ヶ月ほど衛生兵教育を受けてから、中支那派遣軍防疫給水部(栄1644部隊)に配属されたのです。軍隊に入ったのは、昭和19年の8月頃だったと思います。それまで1644部隊のことは一切知らされませんでした。
 入隊後私は部隊本部内にある7号棟の建物に連れて行かれました。コンクリート造りの4階建ての建物でした。その時私に言い渡された仕事は、“マルタ”の監視だったのです。







●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳








2 華北
1、河北
野田実自筆証書(1954年7月31日)
1944年5月上旬、私は河北省保定第63師団歩兵第66旅団司令部で衛生業務に従事していた。その時、同司令部が八路軍の捕虜を収容していると聞き、捕虜の生きた体を使って止血帯の医学実験を行いたいと考えた。そこで保定陸軍病院付軍医大尉長田文男と相談し、彼を通じて保定陸軍病院院長軍医中佐柴田長七の許可を得た。私はまた、第63師団歩兵第66旅団の高級副官林吾夫を通じて旅団長少将佐久間盛一の許可を得た。実験の場所は、林吾夫と相談して同司令部の空いた兵舎を使用することにした。












●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

4 毒ガス戦をめぐる 日米の確執 アメリカ軍の毒ガス戦論計画と日本軍

 毒ガス戦の中止へ
 毒ガス使用禁止の指示は、7月14日に東條参謀総長が発した「大陸指第2061号」(件名は「特種煙、特種弾の使用の件」)と思われるが、原文は湮滅されて存在しない(『資料集Ⅱ』資料37‐24)。しかし、その内容をうかがい知ることができる資料が現存する。東京湾要塞司令官・大場四平中将は、7月23日に「自今化学戦に関しては左記に拠るべし」として次のように命令(東要作命甲第135号)している(「東京湾要塞歴史」付録1)。
1、特種煙、特種弾(手投「ちや」瓶、「あか」筒及び「あか」弾を含む)の使用は大本営より命令又は指示せらるる場合のほか禁止す
2、最近における敵の化学戦準備の動向に鑑み敵の瓦斯使用を考慮し速急防護の処置を完整すると共に敵の瓦斯使用の口実を与え化学戦を誘発するが如き事なき様厳に注意すべし 





 



  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第7章残虐な毒ガス戦

動かしようのない事実

武漢戦役(1938.6.7~11.12)
同時に、日本軍は日本国内及び中国華北などから多数の化学部隊を移転させ、各参戦師団に配置した。その概要は次の通りである。

第11軍の長江両岸に沿った進攻
同電報文には合わせて「毒ガスの性質の調査を行うことを重大任務とする」との指示が見える。10月17日午前10時、日本軍第9師団第19連隊第1大隊及び野戦ガス第13中隊が三渓口付近での戦闘中、毒ガス発煙筒100個を放出、中国側第53軍の部隊を後退させ、川を渡った。中国軍の被毒による死亡者は50余人。日本軍の第2軍は大別山北麓に沿って進攻。




「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用


 











日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)

処刑
抵抗する捕虜を始末する
川田孝
伍長
〈略歴)
本籍地  東京都足立区
出身階級 労働者
尋常高等小学校卒業
職業   綿花卸商店員
所属部隊名 第59師団53旅団独歩43大隊機関銃中隊
被捕年月日場所 1945年8月22日朝鮮興南市
年齢   37歳

済南の市街には、中国労働者の押す一輪車や大車が夜中までギイギイ苦しげに鳴り続いた。こうした市街に一角に、墨黒々と「済南憲兵分隊」の看板を張り出し、3階建て4棟の建物に、煉瓦塀でめぐらし、太い2本の門柱には夜中も赤々と電灯を灯していた。その受付口には日本軍各機関はもちろん、領事警察、中国警察からの情報、保安警務報告、旅館の宿泊届けに至るまで毎日山積みされた。 











●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める






●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー

■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷

8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
・12 月 20 日(月)午後 2 時
・1 月 14 日(金)午後?時
・1 月 24 日(月)午後?時

■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷


◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著
第3章 秘密保全の機構と体制
秘密保全のシステム
局限された「知る必要」
航空自衛隊では防衛秘密に関し、空幕長から関係職員に「秘密保護適格証明書」を発給している。それには、取り扱いうる最高秘密区分がしめされる。いわゆるセキュリティ・クリアランスである.だが許可証をもっている者は、許された秘密区分以下ならなんでも見れるというわけではない。それを「知る必要」のあることが、確証できる場合に限られるのである。航空教育隊『教程』中には、「隊員は職務及び階級の上下にかかわらず、公務上必要なときに限り秘密事項を知ることができる」とある。おそらく秘密の達ないし通達にこうした詳細な定めがあるのであろう。









金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
1、生物・化学兵器を告発する
核兵器から生物・化学兵器へ
だが、社会構造そのものが変化し、近代化されていく中で、特定の人間の抹殺による体制の変革は不可能となったが、第2次世界大戦における都市じゅうたん爆撃、さらに広島・長崎に原爆が投下されることによって、大量破壊兵器というものが相手国民の非戦闘員を大量殺戮し、これが戦争に与える影響について新しく評価され、絶大な破壊力と毒性による殺戮をもたらす核兵器がそのエネルギーによってもたらされる破壊や殺傷という事と併せて、大気中に放散されるフォールアウトの毒性が人体に蓄積されていくことによっておこる政治的な問題が重視されていることは事実である。


南方軍防疫給水部(岡9420部隊)











●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。







●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産

 Ⅰ
歴史上のいろいろな軍事占領に比べて、日本占領は穏健で適切なものだった。平和条約はきわめて寛大で、懲罰性が少なかった。事実、日本がそれまでに支払わなければならなかった賠償は、フィリピン、インドネシア、ビルマ、そして後に南ベトナムに対する、数年の分割払いによる10億200万ドル相当の財貨と「用益」だけだった。とはいえ、国中に散在する基地には、1952年末現在で26万以上のアメリカの兵力が配備され、戦略的に重要な沖縄と小笠原は占領されたままだった。天皇はこれらの合意に対し、講和問題に関する国務省特別顧間のジョン・フォスター・ダレスに個人的に同意を与えていた。天皇は、憲法第9条による日本の戦争・軍備の放棄と、アメリカの直接軍政下にある沖縄の巨大な軍事基地の現状を引き続き維持していくことの関係を、当時の大部分の日本人よりはっきり理解していた。