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693陸軍病院と万人坑
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
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中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
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原爆初動調査 隠された真実
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日航機墜落事故
【森永卓郎×倉田真由美】 日本航空123便墜落事故で分かった新事実
ミッテランはいかにして野党をまとめ、政権を奪還したのか
731部隊について
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月9日(日)
69、毎回見させて貰っていますが、一寸尋ねたいことがあります。1960年代は、まだ関内、桜木町の駅頭で3人ぐらいの傷痍軍人がアコーディオンで軍歌など奏でながら物乞いをしていました。見聞ですが、その方々の中には多勢の半島出身者がいたという事です。日本人なら軍人に限り政府から恩給がでましたが、それ以外の方々は何の補償も受けられず、放っておかれましたが、その後どうされましたか?また政府は何か手を差し伸べたのか知りたく思っています。昨今の風潮でこのような展示は自虐的だなどという輩が多いですが、正しく歴史を知ることが武力よりも日本を守ることになると思います。ずっと続けてほしいと思います。
(不明、60代、市内、不明)
ドイツと日本の謝罪の違い
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)
731部隊・100部隊の戦後責任
原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
昭和への挽歌 野崎忠郎
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。
7月30日(金)~8月1日(日)
東京・武蔵野プレイス
8月3日(火)~7日(土)
徳島県阿南市
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚)
3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.
日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
「1931」斉藤準太郎の日記
二月十五日
主人の死・・・そうだ主人の死であった。主人は不治の病で2ヶ年の末、私が入営する2週間前に死なれた。運命のたわむれであろう。やせこけ苦しみぬいて死んだ主人は 私には美しく見えた。
斎藤・・おまえにもいろいろお世話になった。お前も入営に先立ってこんなことになろうとは気の毒なれど、仕方がない。家のことは宜しく頼む。私はこの時ほど、本当に泣いた。お主婦様の姿を見たり、小さい物心つくや付かずの小供たちを見て、私は本当に軍隊が嫌になった。
軍人にも大きな勤めはあるが、私にはまた大きな責任がある。然し嫌になったら軍隊でも 男の務めなら反対に心づけられて 涙と不安との中に神戸の港をたった。
私は不幸というものを知らなかった。父親がないのは不幸に違いなかったが、母の限りない愛で知らずにのびのび育った男だ。母の事を思うとたまらなく母のことが頭に浮かぶ。
私の母は母としては非常に弱かった。しかし一家の主人としてはまた云うに云われぬ強さを持ち大勢の小供を育てつつ平然と暮らしてきた人だ。私は母の大きな心持を知っている。
然し時々母そのもののみに支配されることがある。父としての役を忘れたかの様に。
軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅶ 広島へのさまざまな旅
≪被爆者との意思疎通を根として、対保守、対マスコミの両対策から、国民運動としての裾野をどの程度拡げるか。また、日本学術会議とか、厚生省、文部省、外務省、総理府方面へ働きかけて、国勢調査の付帯調査に織り込むための国会共同議決の獲得の問題。調査方法と、ケース・ワーカーに高い知性を燃え立たせる可能性など、いかにも問題は大きすぎます。小生などはなるべく側面的な協力者の立場にあって、日本の最高の知性の活動の組織化と、国民運動的な裾野の突き上げとの二重構造で、この白書運動が展開するものを見守りたい気持ちです。実際には邪魔っけにならないよう小さな自分の力をわきまえて、できるだけの;;プログラムの見通しはつける義務があろうかと思われます≫
原爆初動調査 隠された真実
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・
伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。
解説ー甲1855部隊 西野瑠美子
伊藤氏が第3課建物内部に監禁されていた中国人“捕虜”を目撃したのは1945年2月のことであったが、第3課にいた他の元隊員は、1944年の夏過ぎに3日に渡って計17名の中国人捕虜第3課に連行したことを証言している。彼らは北京市豊台の捕虜収容所から連れてきて、第3課で細菌実験を行ったという。それ以外にも、1942年に2人の中国人捕虜に対して人体実験が行われたという証言もある(『細菌作戦』同文館)。これらについては『季刊・戦争責任研究第9号』(「北京甲1855部隊の検証」西野瑠美子、日本の戦争責任資料センター刊)に詳しい。
さらに人体実験が行われていたのは本部だけではない。特に済南支部では、かなりの回数に渡って人体実験が行なわれたと思われる(前掲『細菌作戦』参照。
一方、大快良明氏の証言によれば、シンガポールの9420部隊では、東京の軍医学校からペストノミの生産に必要なネズミを大量に宰領(管理)していたが、1855部隊もこれと同様に年2回軍医学校にネズミの受領に出かけていた。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
2 華北
1、河北
林吾夫自筆供述書(1954年4月20日)
1944年5月、解剖実験を行うため、私は旅団長の許可なしに、勝手に旅団司令部が拘留していた2名の捕虜を保定の陸軍病院に引き渡した。私の記憶では、旅団司令部の空き地で防空壕を作っている時に、旅団司令部情報係の黒江中尉が「保定陸軍病院のある軍医(当時野田軍医であったかどうか、今では記憶にない)が解剖をするために捕虜2名を欲しがっているが、どうだろうか」と聞いてきた。このとき私は旅団長の許可を得ることなく、その場で引き渡すことに同意した。私が許可したので、その後のことは旅団司令部の黒江中尉が全て処理した。
(1)119‐2、855、1、第4号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
4 毒ガス戦をめぐる 日米の確執 アメリカ軍の毒ガス戦論計画と日本軍
毒ガス戦の中止へ
このような連合軍側の動きに日本軍は敏感に反応した。参謀本部作戦部長・真田穣一郎少将の業務日誌には、7月12日から15日の間に「大局上直ちに禁止すること(あか筒)」と記されているので(参謀本部第一部長真田穣一郎少将「真田穣一郎日記」)、参謀本部がくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用禁止を決定したことが分かる。
この決定は直ちに戦線に伝達された。第11軍の高級参謀・島貫武治大佐の日誌には、7月13日に特種煙及び特種弾の使用を禁止せらる。米軍に使用の口実を与えざるが為なり」とある(島貫武治「1号作戦、第11軍の統帥」)。また、畑俊六支那派遣軍総司令官の7月15日の日記には「衡陽の攻撃は弾薬不足に起因し、15日より再興することとなり、且迫撃砲を以てする赤筒の使用は相成らずとの事にて、第11軍は折角相当赤筒を準備したるに大本営は重慶(中国国民政府)の宣伝に驚き、瓦斯弾使用は米をして瓦斯使用の口実を得せしめるものとし、折角の処にて使用を中止せられた」とはあるので(伊藤隆/照沼康孝編『続・現代史資料第4巻 畑俊六日誌』)、大本営は、日本軍の毒ガス用に対する中国国民政府の非難をきっかけとしてアメリカ軍が先制的な毒ガス戦を発動するではないかと恐れ、慌てて毒ガスの使用を中止させていたことが分かる。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第7章残虐な毒ガス戦
動かしようのない事実
武漢戦役(1938.6.7~11.12)
同時に、日本軍は日本国内及び中国華北などから多数の化学部隊を移転させ、各参戦師団に配置した。その概要は次の通りである。
第11軍の長江両岸に沿った進攻
蒋介石は9月13日、何応欽に充て次のような電報を打った。
「敵軍の松陽橋東南高地への3度にわたる持久性毒ガスの放射によりわが軍の前進は阻止され、被害は甚大となった。同陣地一帯の毒ガスはまだ飛散しておらず、進入は不可能。なお陣地にある負傷兵救出のため、大量の消毒剤及び防毒マスクを携行した消毒人員を早急に派遣されたし」。
「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
虐殺
若夫婦殺し
島津酉二良(しまづゆうじろう)
分隊長 憲兵伍長
《略歴〉
本籍 和歌山県東牟婁郡
出身階級 手工業労働者
学歴 尋常高等小学校8年卒業
職業 鍛冶工
所属部隊名 前関東軍長春第2特別警備隊第2大隊
被捕時 1945年10月初旬
被捕地点 長春市南嶺
年齢 36歳
●―筆者からの一言(昭和57年8月)
③昭和51年、白浜町役場を定年退職。以後、家庭にありて花卉(かき)園芸を営み現在に至る。その間、52年6月、内臓破裂のために入院、手術にて奇跡的に助かり、その後数回の入院生活を続けながら健康を取り戻し、楽しみ程度の花卉園芸をしています。
④昭和55年8月、和歌山県日高郡印南町切目にある弘龍庵(宗教団体)の同意を得て、中華人民共和国戦争犠牲者の慰霊塔を建立いたしました。
私は過去、日本軍国主義の中で育ち、軍隊に入り罪悪の限りを尽くした、即ち、人間の面をかぶった鬼でありました。中国の戦犯管理署において中国政府と中国人民のあたたかいご配慮のもとで戦争を憎み、平和を願う人間へと転換させていただきました。戦争ほど残酷なものがないことを私自身の実践で体得しました。再び戦争を許してはならないと私は心に願、多くの人々の力を結集して平和を守りたいと願うものです。
(島津酉二良)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー
■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷
8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
・12 月 20 日(月)午後 2 時
・1 月 14 日(金)午後?時
・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第3章 秘密保全の機構と体制
秘密保全のシステム
局限された「知る必要」
かくも厳重かつ広範に保全措置がとられている文書等が、いったいどのように利用されるのであろうか。貸出しは管理者の承認を要し、「極秘」以上については閲覧場所が指定される。「秘」についても当日限りである(陸・空達)。「極秘」以上を勤務時間外にわたり使用するときは、特別の立会人がつく。基地外への持出しは原則として禁じられている。
だれに、なにを閲覧させるかの基準はあるのか、庁秘訓令が「関係職員」に限定している以外、具体的な規定は見当たらない。各省庁のものでは、法務省の「秘密文書等取扱規程」が「秘密事項は職務の上下にかかわらず、公務上必要な場合に限り知ることができる」(第7第2頑)と定めているのが目につく。科学技術庁「文書取扱規程」は、秘密区分とに許可権者がちがう。「機密」は主管局課の長および総務課長、「極秘」は主管局課の長、「秘」は主管課長の許可を要する。だが、許可を与えるさいの基準はない。
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
1、生物・化学兵器を告発する
核兵器から生物・化学兵器へ
絶対主義王制において皇帝を毒殺するという事は、資本主義経済が高度に発達したアメリカでケネディ大統領が暗殺されるというようなこととは全く異なる意味を持つことは言うまでもないが、かつて王位の転覆をはかるために、真菌類、担子菌類が利用されて来たということは、生物・化学兵器(BC兵器Biological Chemical Weapons)を考えるに当たって興味あることである。シェークスピアの『ハムレット』が、ドラマとして成立するためには、毒薬というものが、重要な構成要素となっているのもそれ例であるが、絶対主義王制のもとにおける毒物ー生物・化学剤は戦略的な要素を持ち得たと言える。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十七章 静穏な晩年と昭和の遺産
天皇が古い自己認識に固執するなかで、このころには退位の憶測は消滅し、日本のメディアの関心は彼の18歳の息子、皇太子明仁(あきひと)に移っていった。彼には戦争犯罪の影がなく、新聞はこぞって彼を「未来の日本のホープ」と見なした。彼は西洋式の教育を受け、他人との会話に慣れ、普通の声と普通の抑揚で日本語を話した(彼の父は両方とも苦手だった)。さらに明仁は明治天皇よりもイギリスのジョージ5世の君徳を学び、フィラデルフィア出身のクエーカー教徒であるエリザベス・ヴァイニングに英語を教わった。彼はいまや52年11月に予定された「国家儀式」立太子礼に向けて準備中であり、その後まもなく、エリザベス女王の戴冠式に参列するため外国に派遣されるだろうと新聞は報じていた。占領後の時代が始まるに当たって、天皇と宮内庁と吉田内閣は、非政治化された立憲君主制のモデルと讃えられる島国のイギリスに、皇太子を通じて緊密な友好のメッセージを伝えようとした。