細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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第6回 戦争の加害パネル展

(感想)
5月6日(木)
48、パネルで一番興味を持った731について映画を見ました。すごく学びになりました。
ありがとうございました。
(女性、30代、市内、ウエブ)


ドイツと日本の謝罪の違い

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)





731部隊・100部隊の戦後責任





原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 

 

 

 



 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
 ※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。


7月30日(金)~8月1日(日)

東京・武蔵野プレイス

 

8月3日(火)~7日(土)

徳島県阿南市

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.

 


日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「1931」斉藤準太郎の日記
一月三十一日
大隊当番下番 守備隊勤務について中隊長の学科あり 晴 風少々あり 零下14度 明日は日曜なり 1ヶ月は消えた
1ヶ月は早くも終わった。大隊当番の最終だ。明日の休日活動と独り決めしていると あに図らんや1日かたまた分遣だ 入浴に行く時間もなし 中隊長の守備勤務に対する実例的な学科ある為3日も入らず 本当に腹が立ってしょうがない 行軍から帰ってすぐ大隊当番に下番すれば また分遣上番だ 腹を立てるだけ野暮は知りつつ激しい勤務が癪に障る・・・・車中の新聞に(奉天新聞)に左のようなことが出ていた記録取るにはならないと思うが気になった故書き連ねた。







軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅶ 広島へのさまざまな旅


 あの、白血病で死んだ穏やかな青年が、もし、2年間の≪夏休み≫を、勤勉に働くことの代わりに、一個の犯罪者となってしまっていたとしたら、と空想してみることは、我々のぬくぬくと収まっている心に、鋭いショックを与えないではいられない。青年はストイックに働いて日々を送り、彼の死に続いてすぐ後追い自殺するほどにも彼に深い印象を受けた恋人を得た。それこそが、まさに異様なほどにも、常識的な状態を超えた、一つの稀有の達成であったのだということを忘れてはならない。







原爆初動調査 隠された真実

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部


ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・

伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。

飼育方法
その年(1944年か?)の2月から3月に、私たちの次の初年兵が12、3人加わり、8月頃から下士官が十数人来ました。将校は大尉が4人くらい来まして、本格的になりました。最終的には50人くらいだったと思います。軍属だけでやっていた仕事が全く兵隊だけでやるようになり、一時は下士官も将校も全部裸になってその仕事をやっていました。いかにあの仕事が重要であったかが分かります。そして5月頃からは、将校は全員軍医ですから、各研究室・実験室・細菌室滅菌室などが設けられました。
 総勢50人くらいの中には兵隊の他に、(多分篠田隊長が大学から助手として連れてきたのでしょう)女子学生のような女性が数人おり、外国の資料の翻訳や標本の整理に当たっていました。






●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳








2 華北
1、河北
紀仇「地獄からの脱出」抄録
 不思議だったのは、この8人の頑強な戦士たちはこれほど残酷な仕打ちにも関わらず、まだ死ぬことなく、低く微かな呻き声を立てることができたことである。そしてそのうち、生来体が丈夫だった一人はまだ話をすることができ、私に以下のようなことを語った。「あんたはここを出られる。出てほしい。我々の死を・・・全国の人民と全世界に知らせ、全国の人々に日本と最後まで戦ってほしい。そうなれば、我々の死も無駄にはならない」。彼は大体このようなことを言った。針金が彼の口を貫いていたため、言葉ははっきりせず力もなかった。
 




●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

3 1943年中の中国戦線における毒ガス戦  掃蕩剔抉と殲滅戦
江南・江北・常徳殲滅戦
この作戦に参加した、毒ガス戦部隊の迫撃第4大隊の元兵士たちは、戦後、常徳殲滅戦についてのシンポジウムで、「あか弾」の使用について次のような議論をしている。参加者の中には、「あか弾」の携行や使用はなかった、観測班にいたのでわからないなどという発言もあるが、司会の「主要道路上には敵トーチカ健在で激しく抵抗、道路上も進撃することはできず、家を一軒一軒壊しながら前進したと出ています。敵も最大限に建物を利用抵抗するので、これは大変な戦いだったと思いますよ。南京の攻略よりももっと時間がかかっているいるんです。・・・・常徳の地形から言ってここは赤弾を使用しなければ絶対に攻略不可能な所だったとだったと違いますか。・・・・持っている弾薬の半数以上は赤弾だったと私は確信していますが・・・・」という問題提起に参加者からは「携行弾薬の約半数が赤でした」「城内にはずいぶん赤弾を撃ちました。それは降伏入城後、私は城内で敵の新聞に随分、日軍毒瓦斯使用の文面を派手に大きく書いているのをたくさん読みました」「敵の抵抗が頑強なので瓦斯弾を撃たにゃどうにもならない状況だった」との発言があり、これを受けてさらに司会は「友軍の歩兵は全部防毒面を持っています。赤弾を撃ちガス化したところに歩兵は着剣装面して突っ込み(中国兵を)刺殺するんです。日本軍が敵兵に与えた損害の中で刺殺によるものが非常に多かったのはこんな所に原因があるように思います。常徳のような攻城戦に赤弾を使わないで、どこでは赤弾を使うんですか。私が作戦参謀なら当然ここで瓦斯を使用します」と述べている(迫四会大隊史編纂委員会編)。ま、注記には「火焔弾・榴弾も撃ったが、赤弾射撃が常徳城降伏の引き金になっている。これは降伏した敵も語っているし、感状の原因にもなっているのです」どう記されている(同前)。
 このように、日本軍は常徳殲滅戦でも、攻略が困難な場合に毒ガス弾に頼ることで作戦を成功させていたことが分かる。





  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第7章残虐な毒ガス戦

動かしようのない事実


だが、それでも一部には、「このような命令があったとしても、日本軍が戦中、嘔吐性のガスを使用した証拠にしかならない。この種のガスは催涙ガスと同じもので、今日の社会においては警察も使用している」と言う者がある。これらの人々は、日本軍が糜爛性かつ致死性のガス―イペリットやルイサイトを使用したことについても明らかに否認する。さらに一部の人は、日本軍は化学兵器の使用に当たって「人道的」であったとさえ言っているのである。
 事実に基づけば、これらの発言が虚言であることは火を見るよりも明らかである。







日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)

虐殺
若夫婦殺し
島津酉二郎
分隊長 憲兵伍長
《略歴〉
本籍      和歌山県東牟婁郡
出身階級   手工業労働者
学歴      尋常高等小学校8年卒業
職業      鍛冶工
所属部隊名 前関東軍長春第2特別警備隊第2大隊
被捕時    1945年10月初旬
被捕地点   長春市南嶺
年齢      36歳
1945年6月下旬、憲兵伍長の私は河北省尊化県南台村に駐屯する前、関東軍第881部隊38部隊山野中隊の配属憲兵として中隊内び起居していた。南台村を根城に、花が香り、小鳥のさえずる、美しいそして平和な長城線(万里の長城)一帯の人民の上に銃火を浴びせ、殺し、焼き、奪うの残忍非道な三光政策を実施し、人民をして生き地獄の中に突き落としたのだった。
 今日も中隊は南台村から南の方向十数キロの山岳地帯の中を、飢えた大蛇が獲物を漁るように這いまわっていたが、やがて緑濃く生い茂る高粱の初夏の風に波打つ大平原に出、中隊の通ってきた山を背にした160戸ばかりの村落を発見した。中隊員は、先を競うようにして村落めがけてなだれ込んだ。






●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める






●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー

■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷

8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
・12 月 20 日(月)午後 2 時
・1 月 14 日(金)午後?時
・1 月 24 日(月)午後?時

■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷


◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著
第二章国家機密の構造
5 「秘」の性格と内容
「秘」は公知の事実
川崎一佐事件の第1審判決文から、実質的にも「秘」にあたると判示された記載事項の具体例と、その理由を紹介しておこう。自衛隊の秘密の実体と、その秘密主義的体質をしめす貴重な資料であるから、該当条項ごとに整理しつつ、全部を掲出することにしたい。空自達第11条1号(平常時における部隊行動、配備計画など)にあたるとされた秘密は、
(1)レーダー改換表(3次防中に改換装される24個のレーダーの位置、改装する種類が記載され、日本の防空能力の現状、弱点わかる)
(2)AEW機(早期警戒機)用地上通電設備(AEW機に関する地上通信のための設備をするポジションとその内容が記載されている)



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

2 生物・化学兵器と階級的視点


生物・化学兵器と階級的視点
第1次世界大戦後に萌芽を見た国家独占資本主義がその形を整えたのは、1929年に始まる大恐慌の打開策として、国家権力が独占と癒着したしたときにその契機を見出すことが出来る。この典型的形態ははアメリカニュー・ディール政策、イギリスの英連邦特恵制度、ドイツのナチズム、日本の準戦時体制に見られるのであるが、国際貿易では、貿易と為替の国家管理、世界市場ではその再分割をめぐってブロック経済、あるいは広域経済が登場する。それは、必然に1931年の日本による満洲、イタリアのエチオピア(1935年)、ドイツのチェコスロバキア(1938年)への侵略をもたらし、この3国の軍備拡張ー戦争政策が第2次大戦の原因になるのである。
 

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)










●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす

 一方、天皇はダレスと吉田の会談が不調に終わったことを知り、〔戦争勃発の〕翌日の夕方、宮内庁の松平康昌を通じて、吉田への不信を示す「口頭メッセージ」をダレスに伝えた 。ダレスの説明では、メッセージの「要点」は次のようなものだった。アメリカの当局者が「実情の視察に来日しても、連合国最高司令官(SCAP)が公式に承認した政府内の日本人に会うだけであり・・・・明らかにSCAPは、以前軍国主義的見解を抱いていたとして、より経験豊かな人物に彼らが接触するのを恐れている」。しかし、「将来の日米関係に関心のあるアメリカ人に有益な助言と協力ができる」のは、ほとんど追放中の彼らのような練達の官僚であることに間違いない。天皇は「平和条約の条項に関して最終的な過程がふまれるまえに、真に国民を代表する日本人による何らかの諮問会議を設置するべきだ、と示唆した」。つまり天皇は、ダレスに対してあいまいな態度の吉田にくらべて、米軍と基地を残すかわりに占領を終結させ、日本を独立させるという平和条約の締結にずっと熱心だった。