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20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
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浅川地下壕を歩く
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ビキニ核被害者救済支援と731部隊
毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
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中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
「アジアの犠牲者にも思いを」マレーシア・横浜で集い
加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!
忘れられた戦後補償
原爆初動調査 隠された真実
原爆・核実験・原発事故そして気候変動№2
2021 8 15 敗戦の日
韓国サンケン労組支援
7.13 多摩労務管理事務所問題の解決に向けて、申入れ行動
73l部隊関連資料の公開を求めて
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん
123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(15/08/12)
日航機墜落事故
【森永卓郎×倉田真由美】 日本航空123便墜落事故で分かった新事実
ミッテランはいかにして野党をまとめ、政権を奪還したのか
http://ptix.at/TDJfzm
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
47、国内外とりわけアジア諸国で戦争被害の実相に、日本政府、裁判所は、国会及び地方議会は目を向けるべきだと思う。
(男性、50代、市外、日中友好新聞)
ドイツと日本の謝罪の違い
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)
731部隊・100部隊の戦後責任
原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
昭和への挽歌 野崎忠郎
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。
7月30日(金)~8月1日(日)
東京・武蔵野プレイス
8月3日(火)~7日(土)
徳島県阿南市
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚)
3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.
日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
「1931」斉藤準太郎の日記
一月三十日
午前十時二十分 軍参謀長来る 初年兵教育視察のため。曇り、風なし 零下十三度
小学校のスケート場は満員だ。満州の子供は元気だ。つばめのように飛んでいる。親たちの心尽くしを身に着けて 冬の満州にふさわしい小児服身に着けて 日に輝くスケートの金冬の 小児のこの元気こそ実際頼もしく思われるのではないか。満州を知り理解し育ちゆく此の人たちの前途は 丁度輝かしい日本の前途であるまいか 一千軒からの社宅と五百軒からの商宅を持つ此の鞍山を 昔の支那街さえ無きところを誰が想像することができよう 撫順の無限の石炭を全部たいても尚大孤山の鉄鋼は取り切れないという いかに広いか 少なくとも努力次第ではあるまいか 素人考えながら此の鞍山を背負う小さい国民の元気な姿は実に気持ちが良い
軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅶ 広島へのさまざまな旅
しかし、人類一般は、もっと恐ろしい罪悪感の赤裸々な現れに、出会わなければならないだろう。もし、ここに一人の凶暴極まる殺人犯が現れて、彼をそのような犯罪に導いたものが、広島で被爆したことへの絶望感に基づくとしたなら。我々の誰がこの犯罪者を正視する勇気を持つだろう?我々が、現実には、このように最も切実に我々の罪悪感の露頭を咬むべき犯罪者をもたなかったのは、単に僥倖と言うべきであろう。そしてこの僥倖は広島の、あるいは絶望するほかなかった人々の、驚くべき克己心によってのみ、もたらされたものであることを肝に銘ずべきであろう。
原爆初動調査 隠された真実
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・
伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。
飼育方法
私が行った時は、下士官、将校がいなくて一等兵ばかり十数名の兵隊と軍属でノミの飼育をしました。一定量保管しておくのが私達の使命でした。またネズミそのものは常に寄チフス菌を持っているため、私たちは予防接種をしてから分遣隊に行ったのですが、1944(昭和19)年1月頃発病して本部に入院したことがあります。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
2 華北
1、河北
紀仇「地獄からの脱出」抄録
これはまだ序の口で、日本には肋骨の切断するという一種の「新発明」があり、保安隊の中の4名は既に第1肋骨がなかった。これは日本の有名な医学博士の「新発明」だそうで、まず我々中国人が実験され、この4人の保安隊員はこの残忍な医学博士の実験成果であったのである。
さらに彼ら8人のふくらはぎには一筋二筋と裂け目がつけられ、中には私には分からない薬が詰め込まれていた。取調室では彼らは跪かされ、筋肉を扁平にするため太い棒が彼らのふくらはぎに押し付けられた。
※訳注:保安隊ー1937年7月28日、日本軍は北平に総攻撃をかけ陥落させた。北平駐屯の中国軍(第29軍)は当初抗戦したものの結局撤退し、一部は「保安隊」に改編されて北平に留まった。日本側資料によれば、この保安隊は武装解除されたはずであるが、本文にあるように抵抗を継続した部隊もあったのかもしれない(防衛庁防衛研究所戦史室『支那事変陸軍作戦』1、朝雲新聞社、1975年、225~228ページ)。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
3 1943年中の中国戦線における毒ガス戦 掃蕩剔抉と殲滅戦
江南・江北・常徳殲滅戦
最後の常徳殲滅戦は、第11軍が湖南省西部の要衝・常徳付近の中国軍撃滅して打撃を与え、ビルマ方面に兵力を増加しようとする中国軍を牽制する目的で、11月2日から攻勢を発起し、12月4日に常徳を占領するが、連隊長も含めて戦死者が1274名に上る大変な苦戦だった。この作戦での毒ガス戦については吉見義明『毒ガス戦と日本軍』が詳しく論じているので参照されたい。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第7章残虐な毒ガス戦
動かしようのない事実
1938年4月11日、参謀総長閑院宮載仁は駐北支那方面軍司令官、寺内寿一及び駐蒙兵団司令官、蓮沼蕃に宛て、「大陸指第110号」命令を下し、以下の範囲内であか筒の使用と、軽迫撃砲用で、あか弾を発射するべく、
1 使用目的 山区を不法占拠する匪賊の掃蕩
2 使用区域 山西省及びその近接山区
3 使用方法 できうる限り煙幕弾と混用し、毒ガス使用の秘密を厳守し、いかなる痕跡も留めぬこと
との指示を与えた。
「いかなる痕跡も留めぬこと」が強調されているが、この命令が出されたこと自体が反駁の余地のない動かぬ証拠であり、この命令は戦後、日本が大陸派遣軍に向けて発した命令の資料集のなかに収録され、何人たりとも否定できない事実となっている。
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
村落掃討
上級将校の罪行
野間栄作
少佐
●―筆者からの一言(昭和57年8月)
私は帰国後しばらく郷里の群馬県立安中高等学校の事務員をしておりましたが、肺結核発病、国立病院に入院8ヶ月、以来、家の本業である農業経営に復帰、のち養鶏を始め、現在に至っています。今年74歳、腰痛に悩まされ、「心不全」の症候があり、力仕事から離れブラブラしている状況です。今にして思うことは、あのような戦争は2度と繰り返してはならない、ということばかりです。(野間栄作・談)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
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在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー
■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷
8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
・12 月 20 日(月)午後 2 時
・1 月 14 日(金)午後?時
・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
5 「秘」の性格と内容
すべての文書が「秘」
「秘」区分の基準のうち重要なものを指摘しておこう。これに属するものは、主として平常時の行動、計画である。秘匿略号および隠語表はすべて「極秘」または「秘」に指定される。情報報告書は通例のものが「秘」、特別のものは「極秘」である。年度業務計画は「極秘」または「秘」に指定される部分と、その他(「取扱注意」)の部分に分かれる。予算関係書類にさえも「秘」区分のものがあり、年度の各種見積、教範類についてもそうである。
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器
2 生物・化学兵器と階級的視点
戦略兵器の変化
即ち、第2次世界大戦後、資本主義諸国の生産能力の60%を占め、投資額の80%近くを支配したアメリカは、核兵器体系の独占と優越を恫喝の背景として、1916年にレーニンがその『帝国主義論』の中で指摘したように、帝国主義の最終目的である世界市場の支配を目指したが、現代の帝国主義国家が、革命運動・民族解放運動の抑圧に向かうことによって、核兵器がいわゆる象徴的存在となって、使用不可能な政治的道徳的兵器となり、生物・化学兵器が冷戦体制における戦略兵器に転身していくことになるのである。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
Ⅲ
ダレスは、占領を終結させる平和条約と日米安全保障条約の全面的な交渉のため6月下旬に東京に到着した。吉田との第1回の会談で、彼は失望を味わった。吉田は安全保障問題については天皇ほど急いでおらず、乗り気でない様子だった。会談の3日後の6月25日、北朝鮮の独裁者金日成が、スターリンと毛沢東の事前の暗黙の支持のもとに、北緯38度線を越えて南朝鮮深く軍隊を進攻させた。分断された朝鮮半島の民族内部の紛争が全面的な内戦に転ずることになった。トルーマン政権は例によってすばやく反応してただちにアメリカの軍事介入を決め、事変は一夜にして国際化した。マッカーサーが東京で指揮する部隊は、気持ちの準備もできないまま、北朝鮮に対する陸海空の作戦に従事することになった。