黒い太陽731
●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。


・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦
・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。
中国に於ける旧日本軍の細菌戦
中国の被害者も同じ心境では?
沖縄戦、心の傷深く 体験者65%「今も思い出す」
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
●特別取材:日米は731部隊の細菌戦の罪を密かに覆い隠している―日本人学者、近藤昭二氏を取材
●731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る
●「731部隊はどこまで明らかになったか、この部分はまだ謎」
4月26日近藤昭二講演 001
4月26日近藤昭二講演 002
4月26日近藤昭二講演 003
4月26日近藤昭二講演 004
4月26日近藤昭二講演 005
●西里扶由子さんが熱く語る731部隊!!
2015年3月22日西里講演 001
(講演中の訂正)
農安細菌戦 1940年
衢県(くけん)、寧波(にんぽー)細菌戦 1940年
常徳細菌戦 1941年
広信、広豊、玉山細菌戦 1942年
(月刊保団連) 「旧日本軍による細菌兵器攻撃の事実-新発見史料
2015年3月22日西里講演 002
2015年3月22日西里講演 003
●松村高夫さん(慶応大学名誉教授):「731部隊を検証する」4.11
「731部隊を検証する」4 11№1
「731部隊を検証する」4.11№2
「731部隊を検証する「4 11№3
「731部隊を検証する」4.11公開学習会№4
「731部隊を検証する」4 11№6









ヒルレポート(総論)




●奈須重雄さん(細菌戦資料センター理事):「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会
「731部隊による細菌戦を検証する」3.5公開学習会№1
「731部隊による細菌戦を検証する」公開学習会2016年3月5日№2
「731部隊による細菌戦を検証する」公開学習会2016年3月5日№3
「731部隊による細菌戦を検証する」公開学習会2016年3月5日№4





侵華日軍第731部隊罪証陳列館
【731部隊展実行委員会より】
731部隊とはどんな部隊だったのでしょう?
日本政府は、中国東北地方にあったこの部隊の情報を隠し続けています!!
731部隊展実行委員会では、最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!!
ぜひ、この機会にあなたの町で「731部隊展」を開いてみませんか?
●「731部隊展」開催のお願い
日本は731部隊の暴行について正式に認めてはいない。
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
聞け、この沈黙の慟哭を
平房の涙、地底の叫びを
見よ、この虐げられた大地を
名も知れぬ鳥たちが番人のように私を見下ろしている
記憶は人間の地底を永劫に流れ続ける
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
再び始まった江西省の細菌戦被害調査―1月南昌会議の報告
一瀬敬一郎
2、データ正確性を巡る若干の論点
(1)すでに金子論文の記載自体からも何点か検証すべき点が浮かび上がっている。
1942年8月の廣信・廣豊・玉山もついて、金子氏は「1.0kg換算値」を計算する際に、2次流行の数値を「2910」として計算している。従って2次流行の死者数は、論文中の表記載の通り「9210」のなのか、上記換算値計算に用いられている「2910」人なのか、という問題がある。
(2)次に、各細菌戦被害地で戦後行われた被害調査の結果と対照し検討する必要がある。
戦後(大半は1990年代後半以降)、細菌戦被害地では被害調査が行われたが、細菌戦裁判で原告側が上記被害調査の結果を証拠として提出し、その信憑性を専門家証人で立証した。
※日本人も731部隊で細菌などを扱っていたので、細菌に感染することがあった。時には日本人も、生体解剖された!!

・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)

・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤を作っていた!!
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大
イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇(富山のシュヴァイツァー)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。
全国に知れ渡った奇病
この富山新聞の報道が富山県民を驚かした。それまで県民は自分たちの住んでいる県内に、このような病気が存在することを知らなかった。一方、患者たちは、自分たちの病気がイタイイタイ病という奇妙な名前の病気であることを知って困惑にかられた。この新聞報道をきっかけにマスコミがこぞって動きだし、医学界の権威者が注目したことから、婦中町に閉じこもっていた奇病が富山県だけでなく、日本の津々浦々まで知れ渡るようになった。富山新聞の記事が富山県婦中町熊野地区の奇病を世に知られるきっかけを作った。
細谷省吾
護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶
三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞
・パネル展(731細菌戦)

中国は生物兵器を持っていないが、かつて生物兵器の被害国である。
・細菌戦最大の被害地・浙江省を訪ねるスタディツアー

2016年10月24日 衢州(くしゅう)


2016年10月25日 麗水 (れいすい)
2016年10月25日(火)麗水№2
2016年10月26日(水) 四路口(しろこう)

2016年10月27日(木) 武義、金華石門
2016年10月28日(金) 金華市街
2016年10月29日(土)義烏市崇山村
台湾義勇隊(金華 )
台湾義勇隊(上)抗日戦争:細菌戦
台湾義勇隊(下)(抗日戦争)
事前学習会
※下記の“コラム”の記事にあるように、90名を裁判もかけずに捕まえ、30人をハルビンの731部隊で人体実験に供し、残りの60人は、孫呉で下車させられ、習志野学校(毒ガス部隊)と石井部隊(731部隊)の協同による毒ガス弾効能実験にあてられ、その特別演習用に供せられた。つまり、90人全員が生体実験され殺されたわけだ!!!!
『細菌戦資料センター会報10号』より

731部隊展のホームページです。
ご覧下さい!!
731部隊展