あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? | 「731・100部隊展」

「731・100部隊展」

「731・100部隊展」実行委員会のブログ

ペタしてね

●「731部隊展」開催予定
2014年
7月25日(金)~27日(日) 群馬
前橋プラザ元気21
8月 1日(金)~ 3日(日) 東京(中野:なかのゼロ
8月22日(金)~24日(日) 東京(足立:エル・ソフィア






最近の気になるニュース
1941年6月5日、日本軍が重慶市に対する連続5時間余りに及ぶ大規模な爆撃を行い、較場口の防空トンネルにいた多くの市民が窒息死し、「六五大トンネル事件」となった。
「侵華日軍重慶大爆撃殉難同胞記念園」の設立、専門家が呼びかけ―中国メディア

安倍首相提起の「新しい日本人」像は、極めて危険な思想―香港メディア

罪を認め尊敬されるようになったドイツ、歴史を否定し批判の的となった日本―中国メディア

<日中関係>日本側による歴史認識問題、尖閣問題の対応が関係改善の条件―中国外交部

社説:集団的自衛権 理解できぬ首相の焦り

首相「海外派兵はない」 歯止め強調、ただし内閣次第

<韓国>元徴用工支援へ財団発足 「日本側も出資を」

韓国元徴用工ら252人、三菱重など3社を提訴

高速増殖炉もんじゅ存続の思惑とは?「原子力ムラはどんなに失敗してもやがて上手くいくと言い続けて自分達は責任逃れをしていくという、そういう組織なのです」


福島原発告訴団の原告らが「吉田調書」を情報公開請求


小出裕章先生:学者・政治家、その他関係者がキチンと責任をとるという所から始めなければいけない

原子力規制委員会による検索よけの疑惑にネットが騒然!原子カ、ス卜口ンチウム…このからくり、気づきました?

東電関連財団から報酬5年=規制委員候補の田中氏―年60万円、助成事業審査

いま、話したいこと


弱い者いじめに早く気がつこう!!( *`ω´)

オークション会社が「北京1855部隊」の写真を出品=「731部隊を上回る罪業」―中国メディア
2014年6月1日、中国広播網は、戦時中に中国で細菌兵器の人体実験を行ったとされる日本軍の「北京1855部隊」の写真がオークションに出品され、各地で巡回展が開催されていると伝えた。

(参考)
第2回 1855部隊と北京・抗日戦争紀念館より 

北京甲1855部隊の第一分遣隊は北京協和医学院を接収したもので、「細菌」「結核」「培地」「血清」「菌株」「血清」「BCG」「病理解剖」などを担当し、第二分遣隊は「静生生物研究所」を接収して、ペスト蚤(のみ)の生産を行なっていた。

第二分遣隊ではそれ以外に中国人捕虜を用いての細菌感染実験が行なわれていたとの複数の証言がある(伊藤影明氏など)。支部は16ヶ所あった。

中国解放後の1949年、放置されていた生物制品所の地下から試験管が1000個発見され、鐘品仁さんが分析した結果、ペスト菌株で、最も毒性の強いものであると確認された。細菌戦にはワクチンの予防注射が必要なので、本部では大量にワクチン製造をしていたのではないか。

石井四郎の使ったのと同じ細菌培養缶も大量に見つかっている。アルミニウム培養缶で作った細菌は金属のさびや雑菌が入ってワクチンには使えない。しかもこの数は人体実験用には多すぎる。つまり、細菌兵器として利用しようとしていた以外に考えられない。

曲昭然さんはもう亡くなられたが、15才から20才まで協和医院で働いていた。郭成周さんが5年前に聞いたところでは、清掃夫だった曲さんは中に入れず、重要な部分はわからなかった。曲さん以外の証人はいないので、生体実験をやっていたかどうかは分からない。図面も残っていない。

731部隊が主として細菌兵器についての基礎的研究と開発を行っていたとすれば、ここ1855部隊は研究だけでなくより実践的なワクチンの製造や細菌兵器の大量生産をやっていたのではないか。そんなことを考えたが、なにしろ残されている物や資料は乏しく、本部のあった場所には今は何もない。・・・・

こんなにもあった細菌戦部隊より
北京1855部隊
■北京に設立された。
現在も本部細菌培養棟地下室が残されている。戦後ここから日本人名のラベルが貼られたペスト菌入りの試験管が発見さ
れた。
「私は、1855部隊の済南支部で通訳として働かされてい
ました。私が働いていた1年10ヶ月は悪夢のような毎日で
した。中国人捕虜や韓国人流民たちに天然痘の菌を注射。
反応を観察しました。捕虜たちが「助けてくれ」ともだえ苦し
む姿は、凄絶でした。コレラ菌を8キロ離れた村落へばらま
いたり、捕虜たちのにぎり飯に注入して食べさせたりもしま
した。私が働いていた間に目撃した犠牲者は1000名にな
ると思います」韓国大邱市在住・崔享振さん(死去)





日本政府はどうして反省しないの?・・話を聞いて黙り込んだ娘は、怒りと悔しさを感じていた―中国ネット


戦争の傷跡
旧日本軍第32軍司令部壕調査

変質する平和

ナチス顔負けの日帝731部隊…「映画で世界に告発」

インドネシアの元慰安婦ら、体験語る 東京で集会

ワシントン郊外に慰安婦の碑 韓国系寄贈、郡庁舎敷地に

西安に韓国光復軍記念碑を設置=中韓が独立運動の歴史で連携を強める―韓国メディア


遼寧省で唯一公認の日本軍細菌戦による被害者が病死―中国メディア

旧日本軍の「ガス防護手引き」を発見、毒ガス戦の犯罪の証拠が加わる―中国紙


きちんと731部隊のことを展示してほしい!!

「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館
・・・731部隊の展示は2008年刊の「京都大医学部病理学教室百年史」から引用したパネル2枚。部隊長の石井四郎ら医学部出身者の関わりを、文献を示して解説。731部隊の「発祥の主たる舞台となった京都大学医学部としても検証が必要なのでは」と指摘していた。同資料館の管理担当者によると、完成記念式典の後ほどなく撤去したという。・・・・


<京大医学部資料館>731部隊の展示撤去 開館後間もなく
・・・医師の戦争責任を考える運動を続ける京都府保険医協会の垣田さち子理事長は「731部隊の検証に関しては、医学界の一部で消極的な声も強い。撤去の経緯が不透明で、事実を隠す意図があるのではないか」とし、協会として大学側に問い合わせる方針。




【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき

この東郷部隊は、その後加茂部隊と秘匿名を変え、さらに昭和13年から15年にかけて、ハルピン郊外約20キロの平房付近に大規模な研究施設を作って、移転した。関東軍第731部隊(正式名は関東軍防疫給水部)と名乗ったこの部隊は、本書の証言にあるように、「丸太」と呼ばれた捕虜を用いて、さまざまな細菌および戦時医学の実験・研究を行なったのである。
その詳細は、本書の証言に譲るとして、731部隊のもう一つの貌(かお)も紹介しておきたい。それは、石井四郎731部隊長の発明になる、石井式濾水機(ろすいき)を使っての、防疫給水部としての活動である。細菌戦防衛機材として開発されたこの濾水機による731部隊員の活躍は、中国全土から遠くビルマ、フィリピン等の南方戦場にまで及んだ。
731石井部隊の存在を語るとき、この部隊の2つの貌―「丸太」を使用した細菌戦研究と防疫給水―を、双方ともに見据えてもらいたいというのが、元隊員たちの願いである。


戦前、戦中と日本は、大日本帝国であった。天皇は現人神(あらひとがみ)であり、八紘一宇をスローガンに世界を日本中心、天皇中心の世界にしようとした。今でもこの思想は、根強い!!だから右派国会議員は靖国へ行く!!
大日本帝国憲法のもとでは官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする法理(国家無答責)がまかり通っていた。
天皇は神だから悪いことをするはずがないということか?
その憲法のもとで、戦争が行われ、どういうわけかその憲法のもとで、戦後賠償裁判が行われた。

大日本帝国憲法
第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

異常な時代は、細菌戦を実施した時代だけではない。今も異常ではないのか?
戦争の反省は全くせず、9条を無視して、集団的自衛権の行使しようとしている。
それも岸の末裔だ!!


日本政府は、南京大虐殺、重慶大爆撃、731部隊等の資料を全て公開し、中国やロシア、アジアの国々に正式に謝罪せよ!!

平頂山から日本へのメッセージ、いや世界へのメッセージ!!
平頂山で何が起きたの?

未だ癒えぬ傷



南京から日本へのメッセージ、いや世界へのメッセージ!!
南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


1941年6月5日、日本軍が重慶市に対する連続5時間余りに及ぶ大規模な爆撃を行い、較場口の防空トンネルにいた多くの市民が窒息死し、「六五大トンネル事件」となった。
「侵華日軍重慶大爆撃殉難同胞記念園」の設立、専門家が呼びかけ―中国メディア

重慶大爆撃

重慶大爆撃 対日民間賠償請求訴訟
重慶大爆撃とは①

もちろん、無差別爆撃もあった!!
陸軍航空隊の爆撃行



安倍首相「ドイツのような謝罪はしない」、中韓の要求を拒絶=韓国紙がその真意を読み解く―中国メディア

“日本人は南京大虐殺で謝罪の準備できている” 映画「釣魚島の真相」の米監督が語る―中国メディア

・・・その上で、「日本人にとって最も賢い選択は、南京に行き、中国人に謝罪することだと思う。私が出会った中国人の多くは、『ドイツの首相は謝罪した。なぜ日本はできないのか』と話し、日本が謝罪することを求めていた」と語った。

インタビュアーが「しかし、日本の一部の政治家は日本が南京で侵した罪について認めていない」と指摘すると、ネーベ監督は「多くの日本人が間違いを認め、謝罪する準備をしているが、政治家たちは政治的利益のために認めないのだろう」と分析。


日本軍が中国で行った戦争!!
大日本帝国が行ったかつての戦争に参加したほとんどの兵士は、かん口令が出され、帰国後ほとんど戦争の残虐さを話すことなく貝になってしまった!!
日本人は、アジアの諸国に優越感をもち、アジアの人々を蔑視した!!
一部の勇気ある日本人が、戦争を語ったが、そのほとんどの人が亡くなった。
証言ー侵略戦争1


証言ー侵略戦争2


証言ー侵略戦争3


安倍氏主導の下、日本の周辺外交はすでに「収拾のつかない状態」に―中国紙

731~福島まで!!

日本の医学界は、731部隊のことを反省していない。

国立感染症研究所や陸上自衛隊の研究室ではどんなことが研究されているのだろうか?

精魂塔とは何だ?


中国で、細菌兵器を精魂こめてつくったことを称え、そこで殉職した職員を供養している塔なのか、それとも、実験のために虐殺した多くのマルタ(被験者)の霊を供養している塔なのかさっぱりわからない?
建立者、建立年月日、塔の由来などいっさい刻まれていない異様な塔である。

・・・ちなみに、詳しく調査した結果、この建立者である二木秀雄という人物は、731部隊の主要メンバーの一人であり、第一部(細菌研究)の中にある二木班(結核研究)の代表者だ。
懇心平等万霊供養塔より)


日本政府はいまだに731部隊が第2次大戦中、捕虜に細菌・生物実験を施したことを正式に認めていない。昨年11月、東京高裁は中国人毒ガス被害者の訴えを棄却した。その理由は「当時の行為を予見することは不可能だった」。原告側の「日本政府が迅速に措置をとっていれば事件の発生は防げた」との訴えは退けられた。だが、これほどの被害を「運が悪かっただけ」だと片づけてしまってよいのだろうか?

まさに人間地獄・・731遺跡博物館の何とも言えぬ重苦しさ―中国紙

731部隊とは
劇映画:黒い太陽731


アウシュビッツよりもひどい!!
731部隊


知ってるつもり「731部隊と医学者たち」

細菌戦被害の人々

語り部フォーラム


闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)近藤昭二


ナチス顔負けの日帝731部隊…「映画で世界に告発」

中国等の日本陸軍病院では、生体手術演習が麻酔もかけずに行われていた!!
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」


日本の医学界は、原爆被爆、水俣病、・・・・薬害エイズ、福島原発事故などで苦しんでいる人を救ったのであろうか?

原爆
原爆の子

禁止される原爆報道・医学研究
ファーレル准将が広島を視察した後、1945年9月19日、GHQ(連合国軍総司令部)は「プレスコード」を発令し、連合国、占領軍の利益に反するすべての報道を禁止しました。これによって、1952年4月に占領が終わるまで、原爆の被害のほとんど不可能になったのです。
記事だけでなく、写真も映画フィルムも同じでした。
・・・・
救援に駆けつけたジュノーさんの活動も妨害します。世界に向かって救援を呼びかけたジュノーさんの電報は、打電できませんでした。
11月には原爆被害の医学研究も禁止しました。これには日本の医学者たちが猛烈に反対しますが、どうにもなりませんでした。(『チェルノブイリから広島へ』 広河隆一著より)

※本当に医学者たちは猛烈に反対したのか?
日本政府は、アメリカに全面協力し、被害者の救済には当たらず、被害の実態を調べた「原爆報告書」をつくった。
自国民の原爆被爆被害を日本軍部が喜んで米国のために調査した本当の理由
封印された原爆報告書
自国民さえも実験台として、嬉々として自国民の被爆調査を行い、自発的に英訳して調査報告書を渡す。全ては、七三一部隊の秘匿、そして、天皇に対する免責を勝ち取るためだったのではないのでしょうか。この取引は十分に功を奏したようで、太田昌克氏の著作にも人体実験に対する米国の追求はどこか間が抜けたものとして書かれています。単純に細菌兵器の技術、実験結果を知りたかったためとしては、やはり片手オチ。米国は、第二次世界大戦で最も知りたかった情報を自ら差し出してきた日本軍部と取引したのではないでしょうか。そうしない限り、この七三一部隊の隠蔽理由(いまだにこの部隊はでっち上げだという論陣を張る人がいます。それは、悪魔の飽食の書評を見ただけで明らかでしょう)をどうしても納得できません。

原爆被爆者は、軍部免責、天皇制維持のための、数少ない有力なカードだったのではないでしょうか。

天皇や三笠宮も731に行っていた?(生体実験を知っていた?)40分あたりから
unit731



広島や長崎に、アメリカが設置したABCC(原爆障害調査委員会)(被害調査はしたが治療はまったくしなかった)の傘下に元731部隊員もいた国立予防衛生研究所の支部が置かれた。
そしてABCCの後継機関が放射線影響研究所だ。
そこの理事長だったのが重松逸造だった。


山下俊一のお師匠さん、
重松逸造も、戦中の医学界の流れを引き継いだ!!
重松逸造とはどんな人物?
プルトニウム元年 第3作 1993年8月放送 3/5


被曝をめぐる御用学者の系譜より
ところで、この重松逸造とはいったいどんな人物なのでしょうか。
重松が戦時中何をしていたのかは不明ですが、戦後は公衆衛生院の一員であると同時に、広島長崎の原爆被害について米国が作った原爆障害委員会(以下、ABCC)のスタッフでした。このABCCが解散した後、1975年に予防衛生研究所との再編でできたのが放射線影響研究所(放影研)。広島の日赤病院の一角にあり、被曝者を調べるだけで治してくれない処と地元では云われてきたそうです。それもそのはず、ABCCとは原爆を落とした米国が、原爆による被害をチェックするために作った機関であり、被曝に苦しむ人たちを救おうという研究機関ではありませんでした。そして、非被曝群ではなく低被曝群を比較対照とすることで、被曝被害を過小評価してきました。重松は放影研の理事長などを務め、実質的に放影研を牛耳ってきた人物です。

重松は被曝被害を過小評価しただけではありませんでした。日本で公害問題が深刻になり、水俣病をはじめいろいろな公害病が話題になった時にも名前が登場します。イタイイタイ病では公害認定がなされた後の1976年になって三井金属や自民党等が原因のカドミウムを否定する動きを見せ、それを受けてWHOにカドミウムの見直しを提起した学者の1人が重松でした。また、スモン病の時には厚生省の調査班班長となり、後日原因物質として認定されることになるキノホルムを原因としませんでした。つまり、キノホルムによる薬害を認めず、製薬企業や国を利する報告を行ったのです。詳しくは広河隆一さんの『チェルノブイリから広島へ』(岩波 1995)に書かれています(この本は絶版みたいなので最近出た新版らしきものを横に紹介しておきます)。

また、重松は、成人T細胞性白血病(ATL)の原因ウイルスの母子感染について、厚生省研究班の班長として1990年度に「全国一律の検査や対策は必要ない」との報告をまとめ、感染者の全国拡大を招きました。これは、国の対策が遅れたことによる被害という側面をもたらしました。これに関して重松は、今年1月の新聞インタビューで「私は、いわば雇われマダム的な班長だった・・・」と白状しています(雇われマダムに失礼な発言だ!)。

御用学者はその名の通り、国や企業の便宜を図るような話をしたり論文を書いたりするため、研究費等のお金がたっぷり貰えます。お金のある研究室の回りには研究者もたくさん集まるため、御用学者は集団化し大きな勢力となります。お金と人を握れば学会などを支配できますので影響力が増し、発言権も大きくなっていきます。これが(醜悪な)世の習い。

一方、権力側に都合悪い話でも正しいことを堂々と主張する研究者もいます。でもごくごく少数です。そして、このような立派な研究者にはお金が回ってきません。学会からも遠ざけられます。こういう状況を知っている大多数の研究者たちは、発言を慎みささやかに生きていくか、御用学者化するか、どちらかに流れていきます。その結果が今日の東電福島原発を取り巻く状況だと思っていいでしょう。だから、権威筋の話しか信じない・信じられないという一般人は、今回のような事故の時には完全にマヤカサれてしまいます(きっぱり)。

ということで、重松逸造にはたくさんの弟子がいます。最近メディアに出てくる長瀧重信(長崎大、元放影研理事長)は先のチェルノブイリ原発事故調査の時にも重松といっしょにシゴトをしています。広島大原医研の神谷研二。長崎大の山下俊一も、重松や長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査を行っており、その資金源は右翼笹川系の笹川チェルノブイリ医療協力(日本財団)でした。原爆と原発と戦後右翼を繋ぐ禍々しいリンクが垣間見えてきます。最近、山下の代わりに露出気味の高村昇というのは長崎大での山下の弟子になりますね。その他の有象無象の「御用学者」はネットで調べれば簡単にわかります。

重松、長瀧、神谷、山下、高村、・・・・彼らは、放射線の被曝影響を小さく見せるための御用学者です。それ以外にも、地震の影響を過小評価して原発の立地にゴーサインを出す地震学者、原発関連だけでも御用学者はたくさんいます。フランスのペルラン裁判と同様、彼らの犯罪は後できっちりオトシマエをつけなければなりませんね。

(参考)今中哲二編「チェルノブイリ事故による放射能災害」(国際共同研究報告書)(技術と人間 1998)

チェルノブイリから広島へ 学者はどうして反論しなかったか『お金が入れば批判なし』重松氏は水俣病の調査責任者で、水俣病被害
【重松逸造】対広島の学者の対立も起きます。
広島県被団協の近藤幸四郎事務局次長は語りました。下「」引用。
「良心的な学者だとか、研究者だったら、放影研へは来ないですよ。だから、あの人がチェルノブイリの調査責任者に選ばれたのは、最初から、ある結論を出させるためだったのではないか、と私は思います」

【重松逸造】がどのようなことをしてきたかも新聞などでも概要は伝えられています。
・「環境庁の水俣病調査中間報告「頭髪水銀値は正常」、論議必至。(一九九一年六月二三日付読売新聞)重松氏は水俣病の調査責任者で、水俣病被害者とチッソの因果関係はないと発表したのです。
・「黒い雨「人体影響認められず」広島県、広島市共同設置の「黒い雨に関する専門家会議」(座長・重松逸造・放射線影響研究所長、十二人)は、十三日、「人体影響を明確に示唆するデータは得られなかった」との調査結果をまとめた。(一九九一年五月一四日付毎日新聞)ここでも重松氏は調査責任者。
・「イタイイタイ病について環境庁の委託で原因を調査していた「イタイイタイ病およびカドミウム中毒に関する総合研究班(会長・重松逸造放射線影響研究所理事長)とし、イ病の発症過程を解明するに至らなかった。イ病では、認定患者百五十人のうち、既に百三十四人が激痛の中で死亡している」(一九八九年四月九日付読売新聞。)
・岡山スモンの記録「スモン研究の思い出。前厚生省スモン調査研究班々長重松逸造。結局は後で原因と判明したキノホルムに到達することができませんでした」重松氏はスモン調査の責任者でありましたが、キノホルムの因果関係はないと発表していたのです。
・九三年一月一三日、岡山県の動燃人形峠事業所が計画している大規模な回収ウラン転換試験の安全性を審査していた「環境放射線専門家会議」(重松逸造委員長)は、ゴーサンを出しました。じつにあらゆる公害問題においての政府・企業の利益になる決定に、重松氏が責任者となっているのが分かります。・・・・


重松逸造の恩師・野辺地慶三の原子力施設からの放射性廃棄物に対する意外な危機意識

重松逸造、肺炎で死去:報道まとめ

重松逸造の訃報に接して 肝心なことは、何も語らずに逃げるように逝った貴方