私は統一教の信仰を持っている、所謂、「食口」だ。さらに言えば、祝福家庭であり、国際家庭である。この状況だと、一般的にはお金がなかったり、どちらかというとリッチには程遠い状況なのかもしれない。
しかし私たちはその「一般的」を超えて、非凡な方に属そうとしている。簡単に言ってしまえば、豊かで不自由のない生活をしようと言うことだ。しかしそれはただのエゴのためではなく、信仰を絶対的に保つためである。つまり、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」のためにリッチになるということである。
私は大学を卒業してから献身生活をした。全てを捧げて朝も昼も夜も時間の許す限りみ旨に明け暮れた。時にはアボジの指示により、韓国に行ったりアメリカに行ったりもした。その国々で、その時にふさわしいみ言を受けた。
皆様もご存知のように、アボジのみ言は突然である。「この大会に参加した者は絶対性教育を受けて帰りなさーーーい!(力強く)」こんなことはしばしばあった。もちろん私は幸いにもその指示に全て応えることが出来たが、もちろん出来ない方々も少なくはなかった。
時には半分の方々が帰り、時には三分の二の方々が帰り、100%全員がその指示に応えるられることはないと感じる。
理由は何か?
「時間」と「お金」である。「time」&「money」だ。英語にしたのには実は理由(わけ)がある・・・はずもない。ただ頭に思いついたから笑
そして私は思った。
「この時間とお金の問題は今後もつきまとう。
この問題がある限り、
私たちは絶対信仰、絶対 愛、絶対服従を貫けない」
と。
が、逆を言えばこの問題を解決すれば、より私たちが真の父母の願いに応えられるのではないかと・・・。
こんな発想はどうなのだろうか?
私だけなのであろうか?
良心では、「すべきだと思う献金」、「修練会の参加」、「先祖解怨・祝福」などなど。
全ての問題は、「時間」と「お金」ではないだろうか?
「時間」と「お金」があるから、「絶対信仰、絶対 愛、絶対服従」が出来るのか?
「絶対信仰、絶対 愛、絶対服従」だから、「時間」と「お金」があるのか?
信仰者はもちろん後者だと言うだろう。
しかし私は自慢ではないが、信仰はない(涙)
だからこそ、「絶対信仰、絶対 愛、絶対服従」を貫く方法を探求してきたのだ。そしてもしも、私のこの気持ちに賛同してくれる方がいるのであれば、一緒に目指していきたいと感じる。「絶対信仰、絶対 愛、絶対服従」のために「時間」と「お金」を作る生活をするということを。
逆に信仰深き、篤き方々には不要な内容であるとも伝えたい。ただ、結果同じ「絶対信仰、絶対 愛、絶対服従」をしているとだけ認識して横目で眺めているか、無視していて欲しい。「信仰なき底辺でゲーゲー言っている輩が何かぶーぶー言っている」と思って、温かく無視をして欲しい。
結局は私たちの目的は父母への親孝行であるから・・・。