ちょっと前の記事です。
『うそを多くつくほど、うそが上達するということだ。』
『うそが大胆になるほど、へんとう体の反応が徐々に低下。
研究チームはこのプロセスを「感情適応」と呼んだ。』
(抜粋以上)
私は嘘をついたことがありませんが、
「嘘」は言い慣れてしまうもので、
それは脳神経的にも証明されるという記事です。
また、「嘘」に慣れるということは、
嘘による感情の動揺や不安感も減るため、
「嘘」が「上達」することを意味します。
怖いですね、怖いでね、怖いですね。(淀川長治氏風に・・・)
「嘘も方便」という言葉があります。
仏教にはもともと「地獄」「天国」という考えはないのですが、
布教のため「仏教を信じなければ、地獄に落ちる」と
いう嘘をつく。
布教のための方便は、仕方ないと。
ある利益のためには、「嘘」も認めるということです。
それを否定しようとは思いませんし、
私は嘘をついたことがありませんが、
「嘘」が必要なこともあるでしょう。
「嘘」に慣れるとは言っても、
逆に「嘘ではないこと」「真実だと思うこと」が
別にあることを自覚していると思うのです。
嘘の反対語が真実・事実だとは思いませんが、
その違和感は自分の正気のようなものでしょう。
「100%痩せられる薬(個人差あり)」
「絶対に髪が生えてくる(個人差あり)」
「これをやっておけば間違いなし!」
自分につく嘘、自分がつく嘘、
広告やマスコミのいい加減な言葉・・・「嘘」
それぞれに理由はあり、利益があるでしょう。
けれど、いつの間にか、極端に、肥大的に、
慣れてしまわぬようにしたいですね。
多少なりとも、警戒が必要なのです。
このブログに嘘はありませんが(クドイ)。
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