文章が書ける人 | スピカの住み家

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私は文章が書ける人間です。そう宣言しときましょう。

神は私に絵の才能をゼロにし、文の才能を与えた、といえばなんかバランスがいいですが、明らかに絵と釣り合っていないのでかっこよくまとまりません。


芽生えたきっかけは小学1年生でした。宿題で初めて作文を書く課題が出たときのこと。原稿用紙3枚までの間に何かテーマを決めて書くものでした。もう何を書いたのか覚えていませんが、3枚までに収まらなかったのです。そこで両親に相談しました。


すると家にあった原稿用紙を取り出してくれまして、4枚目を書くことになりました。


ここで両親に感謝したいのが、「3枚までだから書き直して」と言わなかったことです。きっと作文も文章を書くことも嫌いになっていたでしょう。


私は10枚を目標にしました。集中力だけは凄かったようで恐らく文章としては稚拙極まりなかったと思いますが、10枚を書ききりました。「書こうと思えばまだ書けたけど10枚でまとめた」みたいなことも言いましたね。そして両親と先生に褒められました。


そんな小さな成功体験です。そこから上手かはともかく文章を書くことは得意になりました。でもほかに特別な訓練をしたかといえば……ちょっとしたくらいです。


新聞の社説欄を書き写していました。小学校高学年から中2くらいまでですかね。これは父親の指南でした。やめたのは担当者が変わったのか文章の質が落ちまして、写す価値なしと判断したからです。


子どもの頃からそんな感じなので文章がうまいかどうかの判断は馬鹿みたいに厳しいです。独自理論も相当持つようになりました。ちなみに私よりうまい人の文章を見たらメモします。でもここ最近はすみませんやっていません。そういう目で見なくなっただけです。


将棋界では河口八段と先崎九段が二台巨頭でした。

小学生の頃に図書館で「対局日誌」を知りまして、そこから将棋を指すのではなく、見る、読むほうに興味が移っていきました。旅行にも持っていくほど読みまくっていたのを覚えています。


先崎九段の文章を初めて見たのは「順位戦泣き笑い熱局集」です。研修会で昇級したのでなんか買ってもいいかなあと連盟の販売で適当に手に取ったのがきっかけでしたが、結果的に大当たりでした。


将棋界だと河口八段が文語体の、先崎九段が口語体の最高傑作だなと。おふたりの著書は大人になってからも追い求めて大方読みました。


すると文章もかなり影響を受けます。自然と似せるようになり、いたるところで評価されたものでした。そうして自分には文才があるのだと思うようになりました。


人生で最高の文章を書いたこともありました。


それは某出版社の就職試験での作文です。提示されているキーワードの中から3つ使って(線を引いて示せというもの)ショートストーリーを作れというものです。キーワードの数は7個くらいありましたかね。その手の分野は私の超得意分野だったんですが、どうしても質の高いもの、目立つものができませんでした。困った、時間がない。


しかしラスト30分くらいになって急にアイデアが降ってきました。その手段はキーワードを3つ使ったあと、使わなかった残る全部のキーワードもこっそりまぶしてあるというものでした。


時間ギリギリで書き上げたそれは、もう持って帰りたくなるほど完璧なものでした。なんて素晴らしい作品だと。合格確実、いや志望者の中で1位だと確信したのです。未だにこれを超えるものは書けていないのですが残念ながら手元になく。

そして最終面接で普通に落ちました。ぴえん。



文章が書けるようになったのはよかったのですが、本当にいまの時代は怖いんです。


ペンは剣より強しといいますが、本当にそう思う世の中だと思います。週刊誌の記事だけで世間に相当影響を与えますし。だからもう私は何も書けなくなってきたんです。何かを書けば誰かを傷つけてしまうんです。悪意はなくても。


だからこうやって自分語りしかできません。私が悪いんじゃない。時代が悪いんです。ゴミ時代です。すみません、時代さんを誹謗中傷してしまいました。


文章が書けるようになってもあまりいいことなんてないです。世に出すものは周りに変に配慮しなくちゃいかず、全然本気のものが書けません。尖らせると叩かれてしまうので無味乾燥なものばかり生み出す日々。老師の時代はよかった。いまは味を出せば濃い!と言われてしまいます。


絵が上手いほうがマンガで表現を多くの人に広められたでしょう。Xとか見てもそう思います。文章は率が悪いし危険なんです。ええ、感動を与える速度は段違いですし、パワーも乏しいです。そういうものなんです。


私は文章を書くのが好きとは、どこにも書いていません。



そうだ最後に文章が書ける人の特徴を教えます。それは人より喜怒哀楽がちょっと大きいことです。でも熱く書けばいいってもんじゃありません。SNSを見るとよく小手先でやっている方いますけど。普通の人は騙せても私は裏で嘲笑っています。ひいまた誰かを傷つけてしまったすみません。